さる)” の例文
○さてわが塩沢しほさはは江戸をさることわづかに五十五里なり、直道すぐみちはからばなほ近かるべし。雪なき時ならば健足たつしやの人は四日ならば江戸にいたるべし。
さる夏狂言評好く拙作の所作事しよさごと勤候處、先づ勤めてのき候故、去顏見せには三座より抱へに參候仕合故しあはせゆゑ、まづ役者にはなりすまし申候。」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
見られ其方儀さる十二月二十七日の夜當方の下役したやく名乘なのりし者に召捕れ候趣き其節の手續てつゞき明白に申立よと尋ねられければ文藏はなみだ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
さる十三にちぼくひとつくゑ倚掛よりかゝつてぼんやりかんがへてた。十いへものてしまひ、そとあめがしと/\つてる。
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
されば婦人に七去とて、あしき事七ツ有り。一には、しゅうとしゅうとめしたがわざる女はさるべし。二には子なき女は去べし。是れ妻を娶るは子孫相続の為なれば也。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
さる四月二十四日東京を発して当県に来る事となりました、劍山に登らんとくわだてましたのは七月の二日で、ず芦峅村におもむき人夫をやとおうと致しましたが
越中劍岳先登記 (新字新仮名) / 柴崎芳太郎(著)
さる二十一日夜山名入道宗全入滅畢にゅうめつしおわる。其夜同一族大内新助降参方御陣に参候」(『寺社雑事記』)
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「小樽には、天然セメントの出る山があるので、築港にも非常な便利です」と、さる十五日にここを汽車でとほつた時、同行者の一人が聽かせて呉れたことを、義雄は今思ひ出した。
泡鳴五部作:03 放浪 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
その新雪光る富士山のいただきを、私が踏んだのは、さる四十年十月の末であった。
雪中富士登山記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
大なる花枝を折りまた竹萌ちくほう木萌を穿うがさるの類戒め給はるべし
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
○さてわが塩沢しほさはは江戸をさることわづかに五十五里なり、直道すぐみちはからばなほ近かるべし。雪なき時ならば健足たつしやの人は四日ならば江戸にいたるべし。
然るところさる承応二年六丸殿は未だ十一歳におわしながら、越中守に御成り遊ばされ、御名告なのり綱利つなとしと賜わり、上様の御覚おんおぼえ目出たき由消息有之、かげながら雀躍じゃくやく候事に候。
さる二日書状しよじやう到來たうらいいたし委細ゐさい拜見はいけん致し候偖々さて/\其方にても段々不如意ふによいとのおもぶ蔭乍かげなが案事あんじ申候みぎに付御申こし娘儀むすめぎ出府しゆつぷ致されべく候吉原町にも病家も有これあり候間よろしき先を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
一 およそ婦人の心様こころさまの悪き病は、やわらしたがわざると、いかりうらむと、人をそしると、ものを妬むと、智恵浅きと也。此五のやまいは十人に七、八は必ず有り。是婦人の男に及ざる所也。自らかえりみいましめてあらためさるべし。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
村をさる事七八町に七ツ釜といふ所あり、(里俗滝つぼを釜といふ)滝七だんあるゆゑに七ツ釜とよびきたれり。銚子てうしの口不動滝ふどうたきなどいふも七ツ釜の内にて、妙景めうけい奇状きじやうふでをもつていふべからず。
一橋本町一丁目家主八右衞門申上奉つり候さるふゆ御所刑おしおきに相成候彦兵衞せがれ彦三郎と申者父彦兵衞無罪むざいにして御所刑に相成候事私し申上方よろしからざる故也因ては父の敵に候へば討果うちはたし彦兵衞に手向たむけ度由申候に付公儀の御成敗ごせいばいは我々力に及ばずと申聞候へ共一かう得心とくしん仕つらず殊に若年と申大坂より一人罷下まかりくだり候儀亂心らんしんの樣に相見え旅宿承まは
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
村をさる事七八町に七ツ釜といふ所あり、(里俗滝つぼを釜といふ)滝七だんあるゆゑに七ツ釜とよびきたれり。銚子てうしの口不動滝ふどうたきなどいふも七ツ釜の内にて、妙景めうけい奇状きじやうふでをもつていふべからず。
頸城くびき郡の高田は海をさる事遠からざれども雪深し。
頸城くびき郡の高田は海をさる事遠からざれども雪深し。