ただ)” の例文
例のその日はたびめぐりて今日しもきたりぬ。晴れたりし空は午後より曇りてすこし吹出ふきいでたる風のいと寒く、ただならずゆる日なり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
だのに、ぜひとも今夜、むかし二人が初めて会ったあの梅園のほとりへ来てくれという、ただの女の哀願も、切々と書かれてある。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嬉しやと己も走り上りて其処そこに至れば、眼の前のありさま忽ち変りて、山の姿、樹立のさまただならず面白く見ゆるが中に、小き家の棟二つ三つ現わる。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
熊本のあがたより遠く見はるかす温泉うんぜんたけただならぬやま
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
だから、それを見送っていた公卿たちも、かずある武将のことなので、正成もまたその中の、ただの一個に過ぎないものとしか見ていなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて双眼鏡は貴婦人の手に在りて、くを忘らるるまでにでられけるが、目の及ばぬ遠き限は南に北に眺尽ながめつくされて、彼はこのグラスただならず精巧なるに驚けるさまなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
岸高く水遠くして瀬をなし淵をなし流るる川のさまもただならぬに、此方の岩より彼方の岩へかかれる吊橋の事なれば、塗りたる色の総べて青きもなかなかに見る眼いとわしからず
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それ程、ただならずと思うなれば、なぜ、賤ヶ嶽の桑山修理も、なんじの主人高山右近も、速やかに、手勢をもって、馳せ加わらぬか
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
粧飾つくりより相貌かほだちまで水際立みづぎはたちて、ただならずこびを含めるは、色を売るものの仮の姿したるにはあらずやと、始めて彼を見るものは皆疑へり。一番の勝負の果てぬ間に、宮といふ名はあまねく知られぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
お通は、ふるえあがって、牛の背へしがみついた。そして、丑之助の眉に、ただならぬ出来事が起りそうな気色を見たので
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、登って来た二頭の荷駄を迎えて、ただならぬ親しみで久闊きゅうかつの情をべたり、無事を歓び合ったりしているのであった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先を急ぐことに焦心あせりきっている梅軒の眼には、ただではあり得なそうな二人の刹那の驚きも眼にはとまらないらしく
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
物の具ひっかついで、侍屋敷の横から駈けて出て来るのに、何人かぶつかった。ただならぬはやさで五騎、七騎、お城のほうから駈けて来るのにも出会う。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かん気と、情熱と、そして、やはり源家の家系に生れた精悍せいかんな血潮とを示して、それが、稚子ちごであるために、単純化されて、ただものが何気なく見ては
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへ堀秀政の詳報が着き、諸将の眉色もただならぬものを現わしたが、秀吉もまた、瀬兵衛戦死の報に接しては
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御前おんまえ様。……ぶしつけではございますが、ただの場合ではございませぬ。どうぞ、お身装みなりなど気づかいなく、早くここを開けて、お顔をかして下さいまし」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朱実は、あなたと初めて伊吹の下で会った時のように、もうけがれのない野の花ではありません。人間におかされてただの女になってしまったつまらない女です。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『何処に耳をつけているのだ。そんな物音か! あれが。——おおっ、表門に、裏門に、ただならぬ気配がする』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう理解されて来た頃から、彼はただの子でなくなったのだ。同時に、父なる人の死に方をも痛切に知りたがった。そして遂に知り得た時、彼は、まなじりげて
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて鷺山さぎやま一円では、密かに、出兵の備えらしく、ただならぬ様子が見えたに依って、御城下に火の手が揚っては、もはや大事と、駒を急がせて、戻って来た。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(柴田勝家の本軍一万二千もまた時を同じゅうして、全面的にうごき出て、狐塚を中心に、北国街道に沿い、東野山方面へ当てて、布陣ただならず見えて候う)
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おや?」ただの犬の声とも思えないのである。畜生の吠えるうちにも喜怒哀楽はあるものだ。心蓮は、釘を打ちこまれたように、犬のいたむ心を、共に傷んだ。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土塀につづいて高いさくがあり、柵のうちには、ただの町家や屋敷構えとちがう黒い建物の棟が重なっていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただならぬ顔いろはもうとうに通り過ぎている朱実であった。歩いている側に河でもあれば、すぐ飛びこんで見せてやりたいような火の塊りが胸へこみあげてくる。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
狡猾こうかつな盗っと猫のように屈みこんでいた男の挙動がただではない。遠くを見あわせたと思うと、ぱっと植込みを斜めに駈け抜けて、長屋門の外へ逃げ出そうとした。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この納所にも、ただの日蓮坊主ではないような骨ぐみがある、武蔵を見下みくだして意見するのである。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
骸骨がいこつのように鼻の穴が大きく又八のほうから見える。ただの浪人のあかじみた着物を着て、その胸に、普化禅師ふけぜんじの末弟というしるしばかりに黒い袈裟けさをつけているに過ぎないのである。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父という仏も、察するに、ただ田夫野人でんぷやじんではなかろう。由縁よしある者の末にちがいはない。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただの一町人になって暮すのだと、あれ程、お前たちにも話し、これから先は、弓矢よりは地所家作、武道よりは算盤大事そろばんだいじと、主税や吉千代の教育にも、左様に心得置くようにと
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ和子わこではございません。作られている三体の御像みぞうの非凡さ、容子ようすのつつましさ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きょうのお顔色では、ただならぬ御不快と、実は、お案じいたしていましたが、なによりでございました。……では、お耳に入れますが、お留守の間に、珍客が見えられて、お帰りを
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お通が、胸へひしとかかえている物が物であるから、城太郎も変な顔をしてしまった。それに、独り泣いている様子も常とはちがい、ただならぬことが童心にも感じられたのであろう。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはただの客に対するような挨拶でしかなかった。行家はちと物足らない顔をした。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わ、わしを、ただの人足扱いにしやがったな。わしはこれでも、十川の郷士だぞ」
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
……どこやら大容おおような風、そして異相、まことにただならぬ者と、頻りにお気にかけておられしゆえ、それがしが推量にて、それこそ、忍び上洛中の足利貞氏の嫡子又太郎高氏にて候わん
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主筋ではあるし、この女性のただの女性でないことは、呉の臣下はみな知っていた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さてこそ、ただ軍立いくさだてとは異なると思うていた。——おびただしき大軍のように見えるが、事実はさしたる兵数ではあるまい。ただ大将の軍配一つによってあのようにも見えるものだ」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だからふだんはただの問屋でも、いざとなれば、御合戦の一役をするのですからね
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、そこへすくんでしまった。その時も、彼の顔いろは、ただならず変っていた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清洲城はここ毎日、登城の列、下城の人馬で、ただならぬ光景を見せていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただならぬ時節がらの中を、こよいは曲げてお越しくだされ、一しおありがとうぞんじまする。実は、出先にちと不測ふそくの事が起りまして、十河そごう殿の御陣所へ捕われてゆき、そのため、お迎えの礼を
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いや、いまの取次の容子ようすでは、そんな憂いはない。もし異変を知って帰って来た物見なれば、必定ひつじょう、その血相は取次に移り、取次の語気は、またそのただならぬものをこれへ移して来たであろう。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
屋敷仲間やしきちゅうげんでもなし、若党わかとうでもなし、ただの町人とも見えないのである。
魚紋 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうでない。そなたもただの女ではあろうが、しかし正成が日ごろにいうてあることだけは、よくわかってくれておるようだ。それでよいのだ。またの出陣となっても、あらためて申すことは、ひとつもない」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(ほう、これは大浪おおなみだ。ただ暴風しけではないぞ)
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元々のこの宋江は、世間のただの一民です。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただではない、案のじょう
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(——ただつかれない)
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)