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仁和寺
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にんなじ
ふりがな文庫
“
仁和寺
(
にんなじ
)” の例文
やがての、
仁和寺
(
にんなじ
)
の
行幸
(
みゆき
)
には、心ゆくばかり、
馳
(
か
)
け
競
(
きそ
)
うて、春の口惜しさをそそぎ、かたがたとともに、
快
(
かい
)
を叫びたいと存ずる。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仁和寺
(
にんなじ
)
の宇多上皇———
亭子院
(
ていしいん
)
の
帝
(
みかど
)
が平中をお召しになって、「御前に菊を植えたいと思うので、よい菊を献上するように」
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
京都の嵯峨から御室、嵐山から清涼寺大覺寺を經て
仁和寺
(
にんなじ
)
に到るあたりの青葉若葉の靜けさ匂はしさを何に譬へやう。
樹木とその葉:08 若葉の頃と旅
(旧字旧仮名)
/
若山牧水
(著)
仁和寺
(
にんなじ
)
、大覚寺をはじめ、諸
門跡
(
もんぜき
)
、
比丘尼御所
(
びくにごしょ
)
、院家、院室等の名称は廃され、諸家の執奏、
御撫物
(
おさすりもの
)
、
祈祷巻数
(
きとうかんじゅ
)
ならびに諸献上物もことごとく廃されて
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
皇后宮亮
(
こうごうぐうのすけ
)
経正は、幼い頃、
仁和寺
(
にんなじ
)
の
御室
(
おむろ
)
の許で、稚児姿で仕えたことがあった。慌しい都落ちにも経正は五、六騎の供を連れ仁和寺へお別れにやってきた。
現代語訳 平家物語:07 第七巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
▼ もっと見る
ここは京都の郊外の、
上嵯峨
(
かみさが
)
へ通う野路である。
御室
(
おむろ
)
の
仁和寺
(
にんなじ
)
は北に見え、
妙心寺
(
みょうしんじ
)
は東に見えている。野路を西へ辿ったならば、
太秦
(
うずまさ
)
の村へ行けるであろう。
血ぬられた懐刀
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
四年前に
仁和寺
(
にんなじ
)
御室から叮嚀な封状が届いたのでギョッとしたが、相手が出家ゆえ金の催促でもあるまいと妻子の手前
徐
(
おもむろ
)
に開封すると、茶の十徳という事あり
十二支考:08 鶏に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
この人は、広沢に住んでいたが、同時に
仁和寺
(
にんなじ
)
の別当をも兼ねていた。別当というのは、
検非違使
(
けびいし
)
の長官をも云うのだが、神社仏寺の事務総長をも云うのである。
大力物語
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
わが身はこの荒磯でくちるとも、せめて筆跡だけでも都の中へ入れさせて下さいと、弟の
仁和寺
(
にんなじ
)
上首
覚性法親王
(
かくしょうほっしんのう
)
のもとへ、経にそえてつぎの和歌をおくったのである。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
たとえば昔
仁和寺
(
にんなじ
)
の法師の
鼎
(
かなえ
)
をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。
侏儒の言葉
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
鼎
(
かなえ
)
をかぶって失敗した
仁和寺
(
にんなじ
)
の法師の物語は傑作であるが、現今でも頭に合わぬイズムの鼎をかぶって踊って、見物人をあっと云わせたのはいいが、あとで困ったことになり
徒然草の鑑賞
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
あらぬさまにならせられ
仁和寺
(
にんなじ
)
の北の院におはしましける時、ひそかに参りて畏くも
御髪
(
みぐし
)
落させられたる御姿を、なく/\おぼろげながらに拝みたてまつりし其夜の月のいと明く
二日物語
(新字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
徳川幕府では、寛政の
初
(
はじめ
)
に、
仁和寺
(
にんなじ
)
文庫本を謄写せしめて、これを躋寿館に蔵せしめたが、この本は脱簡が
極
(
きわめ
)
て多かった。そこで半井氏の本を獲ようとしてしばしば命を伝えたらしい。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
又
仁和寺
(
にんなじ
)
に
華厳宗
(
けごんしゅう
)
の名宗で大納言
法橋慶雅
(
ほっきょうけいが
)
という僧があった。仁和寺の岡という処に住んでいたから、岡の法橋ともいわれていた。醍醐にも通っていたのか醍醐の法橋ともいわれていた。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
それから
仁和寺
(
にんなじ
)
の前を通って、古い
若狭
(
わかさ
)
街道に沿うてさきざきに断続する村里を通り過ぎて次第に深い
渓
(
たに
)
に入ってゆくと、景色はいろいろに変って、高雄の紅葉は少し盛りを過ぎていたが
狂乱
(新字新仮名)
/
近松秋江
(著)
その頃
仁和寺
(
にんなじ
)
に
隆暁
(
りゅうぎょう
)
法印と云う出家があった。
現代語訳 方丈記
(新字新仮名)
/
鴨長明
(著)
その結果、同門の一族協議の末に、
仁和寺
(
にんなじ
)
のさる高僧に頼んで、光子の御方を尼として、
嵯峨野
(
さがの
)
の奥へ行い澄ませようと謀った。
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こうして若宮は髪を落し、法師の姿となって
仁和寺
(
にんなじ
)
御室
(
おむろ
)
の弟子になった。後に
東寺
(
とうじ
)
の一の長者安井宮の大僧正道尊といわれた人は、実にこの若宮であった。
現代語訳 平家物語:04 第四巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
古今集巻五秋歌の下に、「
仁和寺
(
にんなじ
)
に菊の花めしける時に、歌そへて奉れと仰せられければよみて奉りける」
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
所詮は
長尾
(
ながお
)
の
僧都
(
そうず
)
は申すまでもなく、その日御見えになっていらしった山の
座主
(
ざす
)
や
仁和寺
(
にんなじ
)
の
僧正
(
そうじょう
)
も、
現人神
(
あらひとがみ
)
のような摩利信乃法師に、
胆
(
きも
)
を御
挫
(
くじ
)
かれになったのでございましょう。
邪宗門
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
仁和寺
(
にんなじ
)
に住んでいた一人の尼が法然の処に来て申すよう
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
『そうそう。
仁和寺
(
にんなじ
)
へゆく日は、もう
幾日
(
いくひ
)
もないのであろな……』上皇は、ふと、公卿たちのいかめしげな
物議
(
ぶつぎ
)
を、あらぬ方へ、
交
(
か
)
わされて——
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
帰りに御室の
仁和寺
(
にんなじ
)
の前を通ったので、まだ厚咲きの桜には間があることが分っていたけれども、せめて枝の下にでも休息して
木
(
き
)
の
芽田楽
(
めでんがく
)
をたべるだけでもと
細雪:01 上巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
仁和寺
(
にんなじ
)
の
御室
(
みむろ
)
、
守覚
(
しゅかく
)
法親王が参内、
孔雀経
(
くじゃくきょう
)
の法で祈り、天台座主
覚快
(
かくかい
)
法親王も揃って祈祷した。これは
変成男子
(
へんじょうなんし
)
の法という秘法で、胎内の女児を男児に変成するものである。
現代語訳 平家物語:03 第三巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
村上
(
むらかみ
)
の
御門
(
みかど
)
第七の王子、
二品中務親王
(
にほんなかつかさしんのう
)
、六代の
後胤
(
こういん
)
、
仁和寺
(
にんなじ
)
の
法印寛雅
(
ほういんかんが
)
が子、
京極
(
きょうごく
)
の
源大納言雅俊卿
(
みなもとのだいなごんまさとしきょう
)
の孫に生れたのは、こう云う
俊寛
(
しゅんかん
)
一人じゃが、
天
(
あめ
)
が
下
(
した
)
には千の俊寛、万の俊寛、十万の俊寛
俊寛
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
仁和寺
(
にんなじ
)
の
慶存
(
けいぞん
)
をたずねて、
華厳
(
けごん
)
を聴き、南都の
碩学
(
せきがく
)
たちで、彼はといわれるほどな人物には、すすんで、学問を受けた。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仁和寺
(
にんなじ
)
の
御室
(
みむろ
)
守覚
(
しゅかく
)
法親王は孔雀の法、天台座主
覚快
(
かくかい
)
法親王は七
仏薬師
(
ぶつやくし
)
の法、三井寺の
円慶
(
えんけい
)
法親王は金剛童子の法、そのほか
五大虚空蔵
(
ごだいこくうぞう
)
、六観音から、
普賢延命
(
ふげんえんめい
)
にいたるまで
現代語訳 平家物語:03 第三巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
『そう落胆し給うな。秋にはまた、
神泉苑
(
しんせんえん
)
か、
仁和寺
(
にんなじ
)
か、どこかで、必ず催されよう。どこへ出しても、勝てる名馬。何も、功をあせることはない』
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
嵯峨
(
さが
)
の
仁和寺
(
にんなじ
)
に、
麿
(
まろ
)
の
親身
(
しんみ
)
な
阿闍梨
(
あじゃり
)
がわたらせられるほどに、ひとまずそれへお
越
(
こ
)
し
召
(
め
)
されて、しばらくは天下の
風雲
(
ふううん
)
をよそに、世のなりゆきを見ておわせ。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「こうまいっては、
嵯峨
(
さが
)
の方向とはまるで
反対
(
はんたい
)
ではないか。
仁和寺
(
にんなじ
)
へまいるのであるぞ」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仁和寺
(
にんなじ
)
から
嵯峨
(
さが
)
へとかかる
平坦
(
へいたん
)
な道は、殊に乾いて、真夏のような草いきれが
埃
(
ほこり
)
と共に馬の足もとから燃えてくる。光秀は黙々として、終始、
渇
(
かつ
)
も訴えなければ左右とも語らなかった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仁和寺
(
にんなじ
)
の十四
宇
(
う
)
の
大廈
(
たいか
)
と、四十九院の
堂塔伽藍
(
どうとうがらん
)
が
御室
(
おむろ
)
から
衣笠山
(
きぬがさやま
)
の峰や谷へかけて
瑤珞
(
ようらく
)
や
青丹
(
あおに
)
の建築美をつらね、時の文化の力は
市塵
(
しじん
)
を離れてまたひとつの
聚楽
(
じゅらく
)
をふやしてゆくのだった。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、
袈裟
(
けさ
)
の
良人
(
おっと
)
、
渡
(
わたる
)
は、人の
忌
(
い
)
む凶相の名馬を飼って、
仁和寺
(
にんなじ
)
の
行幸
(
みゆき
)
競馬に一瞬の功を夢み、ひとり則清は、沈吟黙想、
交
(
まじ
)
わりつつ、心、交わりきれぬ孤友だった——。(二五・五・七)
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すでに、新院は、
仁和寺
(
にんなじ
)
にかくれて、
剃髪
(
ていはつ
)
され、左大臣頼長は流れ矢に
斃
(
たお
)
れ、日々数十人の公卿や武将が処刑されましたが、なお新院方の将帥、六条為義父子や、右馬助忠正などは捕われていない。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あちらでは、
仁和寺
(
にんなじ
)
の
式部卿宮
(
しきぶきょうのみや
)
だの、右大臣家や九条師輔様などに、なんとか、引立てをうけております。中央では、何といっても、摂関家や親王方などにお近づきを得なければ立身は成りません。
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「後家となって、
仁和寺
(
にんなじ
)
の辺りにかくれておるそうな」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
きょうも
仁和寺
(
にんなじ
)
の附近は
賑
(
にぎ
)
わっていた。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“仁和寺”の解説
仁和寺(にんなじ)は、京都市右京区御室大内にある真言宗御室派の総本山の寺院。山号は大内山。本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」の構成資産として、世界遺産に登録されている。
(出典:Wikipedia)
仁
常用漢字
小6
部首:⼈
4画
和
常用漢字
小3
部首:⼝
8画
寺
常用漢字
小2
部首:⼨
6画
“仁和寺”で始まる語句
仁和寺流
仁和寺辺