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上洛
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じょうらく
ふりがな文庫
“
上洛
(
じょうらく
)” の例文
この時代には引きつづいて江戸の将軍の
上洛
(
じょうらく
)
があった。
元和
(
げんな
)
九年には二代将軍秀忠が上洛した。つづいてその
世子
(
せいし
)
家光も上洛した。
鳥辺山心中
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
政宗の様子は
凡
(
す
)
べて長政に合点出来た。長政はそこで
上洛
(
じょうらく
)
する。政宗も手を
束
(
つか
)
ね居てはならぬから、秀吉の招喚に応じて上洛する。
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
ここ
琵琶湖
(
びわこ
)
を一方に、江州の連山を南に
扼
(
やく
)
した街道の要地で、彼らは、かつて永禄の三年、織田信長が今川義元の
上洛
(
じょうらく
)
の途上をついて
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
何のために
上洛
(
じょうらく
)
したのか、うすうすその住職は気がついているらしかったが、なにを言うにも今斬って、今逃げて来たばかりなのである。
流行暗殺節
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
文久
(
ぶんきゅう
)
三年は当時の排外熱の絶頂に達した年である。かねてうわさのあった将軍
家茂
(
いえもち
)
の
上洛
(
じょうらく
)
は、その声のさわがしいまっ最中に行なわれた。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
▼ もっと見る
ちよつと
潜
(
ひそ
)
かに
上洛
(
じょうらく
)
されたやうな
噂
(
うわさ
)
もありましたので、それを種に人をお担ぎになつたのでございませう。鶴姫様の御
悲歎
(
ひたん
)
は申すまでもございません。
雪の宿り
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
徳川
家康
(
いえやす
)
は三人を
紫野
(
むらさきの
)
の
大徳寺
(
だいとくじ
)
に
泊
(
と
)
まらせておいて、翌年の春
秀忠
(
ひでただ
)
といっしょに
上洛
(
じょうらく
)
した時に
目見
(
めみ
)
えをさせた。
佐橋甚五郎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
御台御迎えの一行が
上洛
(
じょうらく
)
した時、一行の宿泊所と定められている
六角東洞院
(
ろっかくひがしのどういん
)
の京都の守護
武蔵前司源朝雅
(
むさしぜんじみなもとのともまさ
)
の
第
(
てい
)
へ着いたが、朝雅は一行をねぎらうために酒を出した。
頼朝の最後
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
彼は秀吉が小牧山の合戦のあとで母を人質によこしたり妹を嫁にくれたりして
上洛
(
じょうらく
)
をうながしたときにも、母や妹の人質などということにはなんの感動もなかったので
家康
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
越後の上杉謙信はそれに比べると勇気第一、それとても北国を切り従えたのみで
上洛
(
じょうらく
)
の望みは遂げず、次に織田右大臣、よく大業を為し得たけれど、その身は
非業
(
ひごう
)
の死。
大菩薩峠:11 駒井能登守の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
(家康は四月十七日以来、
二条
(
にじょう
)
の城にとどまっていた。それは将軍
秀忠
(
ひでただ
)
の江戸から
上洛
(
じょうらく
)
するのを待った
後
(
のち
)
、大阪の城をせめるためだった。)この使に立ったのは長晟の
家来
(
けらい
)
、
関宗兵衛
(
せきそうべえ
)
古千屋
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
代々
頑
(
かた
)
わ者と生まれて乞食す、山中の猿とはこの者と、六月二十六日
上洛
(
じょうらく
)
取り紛れ半ば、かの者の事思い出で、
木綿
(
もめん
)
二十反手ずから取り出し猿に下され、この半分にて処の者隣家に小屋をさし
十二支考:07 猴に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
聴けば、江戸将軍家の
上洛
(
じょうらく
)
が近づき、その先駆の大小名がきょうも着くので、物騒な牢人者を、ああして取りしまっているのだという噂。
宮本武蔵:03 水の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一人は将軍最初の
上洛
(
じょうらく
)
に先立って
足利尊氏
(
あしかがたかうじ
)
が木像の首を
三条河原
(
さんじょうがわら
)
に
晒
(
さら
)
した示威の関係者、あの事件以来伊那に来て隠れている
暮田正香
(
くれたまさか
)
である。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
ちょっと
潜
(
ひそ
)
かに
上洛
(
じょうらく
)
されたような
噂
(
うわさ
)
もありましたので、それを種に人をお担ぎになったのでございましょう。鶴姫様の御
悲歎
(
ひたん
)
は申すまでもございません。
雪の宿り
(新字新仮名)
/
神西清
(著)
関白が度々
上洛
(
じょうらく
)
を勧めたのに、悲しいことだ、お坊さん
殻威張
(
からいば
)
りで、弓矢でこいなぞと云ったから
堪
(
たま
)
らない。
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
この年の九月に柏軒はあずかっていた抽斎の蔵書を
還
(
かえ
)
した。それは九月の九日に将軍
家茂
(
いえもち
)
が明年二月を以て
上洛
(
じょうらく
)
するという令を発して、柏軒はこれに随行する準備をしたからである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
実は、愛児の病も
癒
(
い
)
え、山野の雪も解けはじめたから、多年の宿志たる
上洛
(
じょうらく
)
の兵を催して、一挙に曹操を
平
(
たいら
)
げようと思い立った。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
義髄の
上洛
(
じょうらく
)
はかねてうわさのあったことであり、この先輩の京都
土産
(
みやげ
)
にはかなりの望みをかけた同門の人たちも多かった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
十月には伊勢殿の御勘気も解けて、
上洛
(
じょうらく
)
御免のお
沙汰
(
さた
)
がありましたとやら、またそのうち
嘸
(
さぞ
)
かし色々と怪しげな物ごとが
出来
(
しゅったい
)
いたすことでございませう。
雪の宿り
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
家康
上洛
(
じょうらく
)
を心掛けなば此の飛騨が之有る、即時に喰付て箱根を越えさせ申すまじ、又諸大名多く洛に在りて事起らば、
猶更
(
なおさら
)
利家の味方多からん、と云ったと云う。
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
しかしまた何十年ぶりの猛暑だともいわれており、新田義貞の
上洛
(
じょうらく
)
途上では、飲み水や
食中
(
しょくあ
)
たりで、将士のうちで腹をこわした者が多かった。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
当時、将軍は
上洛
(
じょうらく
)
中で、後見職
一橋慶喜
(
ひとつばしよしのぶ
)
をはじめ、会津藩主松平
容保
(
かたもり
)
なぞはいずれも西にあり、江戸の留守役を引き受けるものがなければならなかった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
十月には伊勢殿の御勘気も解けて、
上洛
(
じょうらく
)
御免のお
沙汰
(
さた
)
がありましたとやら、またそのうち
嘸
(
さぞ
)
かし色々と怪しげな物ごとが
出来
(
しゅったい
)
いたすことでございましょう。
雪の宿り
(新字新仮名)
/
神西清
(著)
大徳寺開山
大燈国師
(
だいとうこくし
)
三百年忌のため
上洛
(
じょうらく
)
を許され、或いは郷国但馬に入湯したりして、たまさかの消息が交わされるに過ぎなかったが、十六年四月に至って
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
過ぐる年の冬あたりから、尾張藩の勤王家で有力なものは大抵御隠居(徳川
慶勝
(
よしかつ
)
)に従って
上洛
(
じょうらく
)
していたし、御隠居とても日夜京都に奔走して国を顧みるいとまもない。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「それがしのみは、ここに止まって、筒井殿に備え、後おあとを慕うて参りますれば、殿には、
急遽
(
きゅうきょ
)
下山あそばして、秀吉の
上洛
(
じょうらく
)
を
阻止
(
そし
)
なさらなければなりますまい」
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
今度勅使の
下向
(
げこう
)
を江戸に迎えて見ると、かねて和宮様御降嫁のおりに堅く約束した
蛮夷防禦
(
ばんいぼうぎょ
)
のことが勅旨の第一にあり、あわせて将軍の
上洛
(
じょうらく
)
、政治の改革にも及んでいて
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
ひとたび旗を
中原
(
ちゅうげん
)
に立ててからの彼の父信長という人は、いずこに戦っても、一戦果せば直ちに
上洛
(
じょうらく
)
して禁門に戦果を
奏
(
そう
)
し、国のよろこびあれば歓びを
闕下
(
けっか
)
に
伏奏
(
ふくそう
)
し
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
将軍
上洛
(
じょうらく
)
の日も近いと聞く新しい年の二月には、彼は京都行きの
新撰組
(
しんせんぐみ
)
の一隊をこの街道に迎えた。一番隊から七番隊までの列をつくった人たちが雪の道を踏んで馬籠に着いた。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
このたび伊那丸さまのご
上洛
(
じょうらく
)
こそよきおりなれば、ぜひ一どお目にかかったうえ、ながらくおあずかりいたしている
品
(
しな
)
を、手ずからお返し申したいとの
御意
(
ぎょい
)
、なにとぞ
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そのかわり理想とするところへは独往
邁進
(
まいしん
)
、着々と無言で進んでいる巨歩のあとが
窺
(
うかが
)
える。そのもっとも偉なのは、
上洛
(
じょうらく
)
朝拝の臣礼を、彼のみは怠らずにいることである。
上杉謙信
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そうだ、会津の
松平容保
(
まつだいらかたもり
)
様が、京都の守護職になって、今日か明日、ご
上洛
(
じょうらく
)
という噂がある」
松のや露八
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「離れてはいようが、心もとない。
上洛
(
じょうらく
)
中の鎌倉の大名衆や執権の
家人
(
けにん
)
たちが、一堂に集まって、夕刻から、師の房に、法話をうかがいたいというので参られたのだが……」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
先
(
さい
)
つ
年
(
とし
)
、
万里小路惟房卿
(
までのこうじこれふさきょう
)
をお使いとして、微臣信長に、密勅を賜わったが、今また、信長
上洛
(
じょうらく
)
の催しを
叡聞
(
えいぶん
)
あらせられて、ひそかに、
優渥
(
ゆうあく
)
なる
御綸旨
(
ごりんじ
)
と、
金襴
(
きんらん
)
の
戦袍
(
せんぽう
)
とを賜わった。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いや
上洛
(
じょうらく
)
して、自己の三軍の
覇
(
は
)
を誇示し、
綸旨
(
りんじ
)
を仰ぎ、将軍や管領を強迫し、もって八道へ君臨しようという野望家は、ひとり先にその途上で
挫折
(
ざせつ
)
した今川義元があるばかりでなく
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「おそれながら、それゆえにこそ、いささか苦心いたしております。また、一兵たりと、あだには死なせじ。秀吉、不つつかながら、身の重任を、ひしとこたえての
上洛
(
じょうらく
)
にござります」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、
上洛
(
じょうらく
)
という多年の宿望に対して、いまは一日も急ぐ気もちになっていた。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さてこのたびのご
拝謁
(
はいえつ
)
に、なにがなよき
土産
(
みやげ
)
ともぞんじまして、
上洛
(
じょうらく
)
のとちゅう、
命
(
いのち
)
がけでさぐりえましたのは
柴田勝家
(
しばたかついえ
)
の
攻略
(
こうりゃく
)
、まった
北庄城
(
ほくしょうじょう
)
の
縄
(
なわ
)
ばり
本丸
(
ほんまる
)
外廓
(
そとぐるわ
)
、
濠
(
ほり
)
のふかさにいたるまでのこと
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
馬糞
(
まぐそ
)
、ご
上洛
(
じょうらく
)
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“上洛”の意味
《名詞》
上洛(じょうらく)
地方から都(京都)へのぼること。
(出典:Wiktionary)
“上洛”の解説
上洛(じょうらく)とは、主に京都に入ることを意味する言葉である。入洛とも言った。
(出典:Wikipedia)
上
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
洛
漢検準1級
部首:⽔
9画
“上洛”で始まる語句
上洛参会