閑寂かんじゃく)” の例文
うがはやいか、おじいさんの白衣びゃくい姿すがたはぷいとけむりのようにえて、わたくしはただひとりポッネンと、この閑寂かんじゃく景色けしきなかのこされました。
あのにぎやかな「ええじゃないか」の卑俗と滑稽こっけいとに比べたら、まったくこれは行ないすました閑寂かんじゃくの別天地から来る、遠い世界の音だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その前をちょっと素通りしただけでも、冬なんぞの閑寂かんじゃくさとは打って変って、何か呼吸いきづまりそうなまでに緊張した思いのされる程だった。
木の十字架 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
冬近い閑寂かんじゃくな日、栄三郎は、千住竹の塚、孫七の家の二階にすわって、ながいこと無心に夜泣きの脇差を抜いて見入っている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
しかしヘルンが仕事をしている時は、家人が皆神経質に注意しているので、家中がひッそりとして閑寂かんじゃくに静まり返っていた。
何処からくるのか、その時刻になると気のせいか若葉まで静まって、長い裏町に子供のかげすらないほど閑寂かんじゃくとしていた。
(新字新仮名) / 室生犀星(著)
一叢ひとむら幽翠ゆうすいにつつまれて閑寂かんじゃく庫裡くりや本堂が見える。秀吉は山門に駒をすて、近侍たちとともにぞろぞろと入って行った。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うすをもるる豆の音がちょうどあられのようにいかめしい中に、うすのすれる音はいかにも閑寂かんじゃくである、店の奥には母が一生懸命に着物をうている。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
しかも他の部分の静粛なありさまを反思はんしせしむるに足るほどになびいたなら——その時が一番閑寂かんじゃくの感を与える者だ。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかも平井橋ひらいばしからかみの、奥戸おくど立石たていしなんどというあたりは、まことに閑寂かんじゃくなもので、水ただゆるやかに流れ、雲ただ静かにたむろしているのみで、黄茅白蘆こうぼうはくろ洲渚しゅうしょ
蘆声 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
人間としての権利も不当不条理に剥奪はくだつされ、かつて前例のないほどの道化た待遇を受けながら、悶えもせず、嗟嘆さたんもせず、見るからに閑寂かんじゃくな生活を送っています。
ハムレット (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
低い砂丘のその松原は予想外に閑寂かんじゃくであった。松ヶ根のはぎむら、孟宗もうそうの影の映った萱家かややの黄いろい荒壁、はたの音、いかにも昔噺むかしばなしの中のひなびた村の日ざかりであった。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
この室はいとど閑寂かんじゃくですが、二三間を隔てた、あとの二人連れのさむらいの部屋では、カラカラと高笑いがしたり、話に興が乗ったり、ののしったり、さわいだり、あざけったり
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
同時にまた滑稽でも洒落でもなく、かかる閑寂かんじゃくの趣こそ俳句の生命であるべきを悟った。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
雨と雪と月光とまた爛々たる星斗せいとの光によりてたださへ淋しき夜景に一層の閑寂かんじゃくを添へしむるは広重の最も得意とする処なり。北斎の山水中に見出さるる人物は皆孜々ししとして労役す。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
かの女はそんな空想や逡巡しゅんじゅんの中に閉じこもって居るために、かの女に近い外界からだんだんだん遠ざかってしまった。かの女は閑寂かんじゃくな山中のような生活を都会のなかに送って居るのだ。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
音無川おとなしがわを——現今いまでは汚れた溝川になっているが——前にした、静かな往来にむかって、百姓の角に、竹で網んだ片折戸かたおりどをもった、粗末ではあるが閑寂かんじゃくな小屋に、湯川氏のおばあさんが
気が次第に落着いて来て、始めてあたりの閑寂かんじゃくな空気に気がついた。
火葬国風景 (新字新仮名) / 海野十三(著)
といふ句を見て、作者の理想は閑寂かんじゃくを現はすにあらんか、禅学上悟道の句ならんか、あるいはその他何処いずくにかあらんなどと穿鑿せんさくする人あれども、それはただそのままの理想も何もなき句と見るべし。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
というような閑寂かんじゃくな世界もある。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
しかしながら芭蕉は、趣味としての若さを嫌った。西行さいぎょうを好み、閑寂かんじゃくの静かさを求め、枯淡のさびを愛した芭蕉は、心境の自然として、常に「ろう」の静的な美を慕った。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
近ごろ、武人の間に、茶は非常な流行をみせていたが、公卿仲間では、晴季はじめ、とんと、こういう“び”とか、“閑寂かんじゃく”とかいうものに、興味をもっている者はない。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちらとまたその隙間から白いひらひらが見えたかと思うと、また老樹のかしかえで鬱蒼うっそうたる枝の繁みに遮られてしまう。と、それっきりで、八月八日は午前十一時の閑寂かんじゃくなせみ時雨しぐれになる。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
善も投げ悪も投げ、父母ちちははの生れない先の姿も投げ、いっさいを放下ほうげし尽してしまったのです。それからある閑寂かんじゃくな所を選んで小さないおりを建てる気になりました。彼はそこにある草をりました。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
雨あがりの大路おおじの黒い土は、胡粉ごふんをこぼしたように白いで描かれている。キリ、キリ、とさびしいわだちの音が、粟田口あわたぐちあたりの閑寂かんじゃくな土塀や竹垣、生垣の桜花はなの下蔭を通ってゆく——
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前と同様、南国風景の一であり、閑寂かんじゃくとした漁村の白昼まひる時を思わせる。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
広くはないが、配所とも見えぬほど閑寂かんじゃくな幾室かがある、短い二けんほどの橋廊架ろうかを越えると、そこには何か非凡人のいるものの気配が尊く感じられて、三郎盛綱は、いわれぬうちから
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山の手の四谷よつやの一かくは、屋敷町の閑寂かんじゃくな木立に、蝉しぐれがきぬいていた。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それゆえ、秋の日和ひよりだというのに、にわとりも鳴かず、きねおともせず、あわれにも閑寂かんじゃくをきわめている。いま聞こえたへたくそな歌も、一つはこのせいで、いっそう、頓狂とんきょうにもひびいてきこえる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)