連歌れんが)” の例文
日本では第一高等学校を一高という類の略語が通用しているから、「俳諧の連歌れんが発句ほっく」を略して俳句というのも気がいている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
我この言を聞いて思ひ見るに、こは田打たうちを春の季としたるが始めにて、後に畑打をも同じ事のやうに思ひ誤りたるならんか。連歌れんが発句ほっくにも
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
留守のさびしさを、しかと、噛みしめてこそ、持った良人のよいところもひとしお深く分るというもの。誰やらの連歌れんがにも、下の句はわすれたが——
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは太閤さまが心血をそそがれました新玉集しんぎょくしゅうと申す連歌れんが撰集せんしゅう二十巻が、このお文倉に納めてありまして、わたくしもその御纂輯ごさんしゅうの折ふしには
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
祖父のものは、俳諧はいかい連歌れんがか何かを記入したものであつたが、父のものには、『品々万書留帳しなじなよろづかきとめちやう』といふ、明治七甲戌きのえいぬ年二月吉日にこしらへたものである。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
日本では足利あしかが時代から連歌れんがとか俳諧とかいうものが生れて来るようになり、自然諷詠の傾向が強くなって参りました。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ところが、さういふふうにかんがへるのなら、もっと時代じだいふるい、神武天皇頃じんむてんのうころ片歌問答かたうたもんどうほうが、連歌れんがはじまりだ、といつてよいわけではありませんか。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
うた連歌れんがの者、さては田楽でんがく、ばさらの者、入り代り立ち代りに詰め切って、ひたすらその機嫌を取ることに努めているが、彼の病いはいよいよ嵩じるばかりで
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
多年弓箭ゆみやにかけて攻取ったる国郡をムザムザ手離さねばならぬは必定の事、我が君今年正月七日の連歌れんがの発句に、ななくさを一手によせて摘む菜かなと遊ばされしは
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
連作とは連歌れんが俳諧はいかいごときものであろう。第一の発句ほっくは余り限定的でない方がよろしい。わきはこれをいかようにも受けとるであろう。第三はまたそれを別の方向に転化するであろう。
「悪霊物語」自作解説 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
蹴鞠けまり・茶道・あるいは連歌れんが俳諧はいかい・碁・将棋しょうぎ等の遊び業これあるところ、今にては御旗本に似合わざる三味線さみせん浄瑠璃じょうるりをかたりこうじては川原ものの真似を致すやからも間々これある由
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
他に様々の文献に見える短歌六百九首、連歌れんがが九首、合計二千百十八首。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
もちうらやましと譽めながら戸村をよびかの使者に大膳殿は今日御上御連歌れんがの御相手にて御座ござの間よりほかへ出席成難なりがたし同役山内伊賀亮非番ひばんなれば代りて御目に懸らんと御使者の間へ通すべしと言付いひつけられて此趣きを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
およそ和歌といひ連歌れんがといひまた狂歌といひ俳諧といふ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それは太閤さまが心血をそそがれました新玉集しんぎょくしゅうと申す連歌れんが撰集せんしゅう二十巻が、このお文倉に納めてありまして、わたくしもその御纂輯ごさんしゅうの折ふしには
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
「いや道誉の客となるのは苦手にがてだ。闘茶とうちゃか、立花りっか(生け花)か。やれ香道こうどうの、連歌れんがのとくる。まずは兄上おひとりで」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
芭蕉は宗因そういんに俳諧を学んでから、自分を打建てた。守武もりたけは忠実に連歌れんがを学んでから俳諧をはじめた。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
これは、まへ神武天皇樣方じんむてんのうさまがた御歌おうたよりも、もっと名高なだかく、つたはつてゐます。それは、このふたつの片歌かたうた連歌れんが(れんが)といふものゝはじめだ、としんじてゐるからであります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
貞任さだとう連歌れんが義家よしいえがそを追はずなりたりといふ事、宗任むねとうが梅の花の歌を詠みて公卿くげたちを驚かしたりといふ事など、事実の有無は疑はしけれど、もしこの種類の事ありとせば
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それより近衛このえ公をして、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた、の佳謔かぎゃくを発せしめ、しがたって宗鑑に、飲まんとすれど夏の沢水、の妙句を附けさせ、俳諧はいかい連歌れんがの歴史の巻首を飾らせるに及んだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
俳諧というものが連歌れんがの法式を受け継いで、初めのおもての六句ではなるべく女性を問題とせず、特に恋愛は取扱わぬことにしていまして、そうして今日俳諧として鑑賞せられているのが
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
まず宮中の儀式典礼に心をかけられ、運動遊戯を好まれ、詩会を催され、連歌れんがの会を行われ、ことに各種の遊戯は御堪能ごかんのうであられた。そのことは『後鳥羽院宸記しんき』を拝見すればよく分るのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
そして席を移すと、その夜、使者のため、連歌れんがの会を催して、しめやかに一夜をねぎらった——という風な人であった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかもそれは俳諧のみならず連歌れんがに既にあった。連歌の発句に季があり俳諧の発句に季がある。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
連歌れんがというものなどはことにこれとよく似ている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
春惜む座主ざす連歌れんがに召されけり
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
彼らが陣中でもよく連歌れんがの会をしたり、茶事を催したりする風をひそかにみ嫌っている感情から発しるものらしい。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
されば連歌れんが時代の発句ほっくにも
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
堀秀政がいうと、秀吉は、さもあろうとうなずいた。そしてそれらの死屍ししのあいだを歩いて、すぐ山を降って行きながら、こう連歌れんがの上の句を口誦くちずさんだ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「聞いているでしょうとも、連歌れんがのほうでは紹巴しょうはの門で、もう一家いっかを成している人ですから」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「どうしてその折、日向守ひゅうがのかみが大それたことを仕でかす気ぶりでも、その動作やことばの端でもわからなかったか。聞けば日向守としては不審な連歌れんがも詠まれたとかいうではないか」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和上わじょうの道謙にも、これへまいって、共に、連歌れんがをして遊ばぬかと申すがよい」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夜は、島へ上がって、御島神社みしまじんじゃの神官治部大輔じぶたゆうの社家に泊った。その晩、園阿えんあと治部大輔と三人して、百韻ひゃくいん連歌れんがを試みたが、その席で、光秀がきょう舟中の作というのを、そっと園阿に示した。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
身どもは大阪表のある蔵屋敷づめの者であるが、同僚たちと語らって、何ぞ趣向しゅこうの変った連歌れんがの催しをやりたいというところから、この山の額堂ならば、雅味がみもあり、静かなことはこの上もないので
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、いつも話題は、連歌れんがの評やら、茶事の閑談から出なかった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
在々所々の歌、連歌れんが