蒔繪まきゑ)” の例文
新字:蒔絵
蒔繪まきゑではあるが、たゞ黒地くろぢ龜甲形きつかふがたきんいただけことで、べつたいして金目かねめものともおもへなかつた。御米およね唐棧たうざん風呂敷ふろしきしてそれをくるんだ。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
言上に及ぶに光貞卿ふかよろこび然らばしばらくの内其方へあづおくべしとて城内二の丸の堀端ほりばた大木たいぼくの松の木あり其下へ葵紋あふひもんぢらしの蒔繪まきゑ廣葢ひろぶたに若君を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「いろんな物に、抱き茗荷が附いて居るが、他には、羽二重の紋服と、蒔繪まきゑ手焙てあぶりに向ひ鶴の紋が附いて居ますよ」
したまたたなありて金銀きんぎん珠玉しゆぎよくれり。西にしばうには漆器しつきあり。蒔繪まきゑあらたなるもののごとし。さてそのきたばうにこそ、たまかざりたるひつぎありけれ。うち一人いちにん玉女ぎよくぢよあり。けるがごとし。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「‥‥‥‥」見ると、そこに蒔繪まきゑのゴム櫛がさされてゐる。それを義雄はどこかの男から送つて來たのではないかと疑つたので、「どうしたのだ、隨分立派なのではないか?」
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
わたくしは師岡未亡人に、壽阿彌の妹の子が二人共蒔繪まきゑをしたことを聞いた。しかし先づ蒔繪を學んだのは兄鈴木で、師岡は鈴木のかたはらにあつてそのす所にならつたのださうである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
娘は全身を金六と平次の前へさらしました。死んだ主人萬兵衞の幼友達、江戸一番と言はれた蒔繪まきゑの名人、尾張町の藤吉の娘のお藤といふのはこれでせう。
まゆしろ船頭せんどうぐにまかせ、蒔繪まきゑ調度てうどに、待乳山まつちやまかげめて、三日月みかづきせたる風情ふぜい敷波しきなみはないろたつみやこごとし。ひとさけくるへるをりから、ふとちすましたるつゞみゆる。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
かれ足元あしもとには黒塗くろぬり蒔繪まきゑ手文庫てぶんこはふしてあつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
御紋ごもん唐草からくさ蒔繪まきゑ晴天せいてんに候へば青貝柄あをかひえの打物に候大手迄は御譜代ふだい在江戸の大名方出迎でむかへ御中尺迄ちうしやくまでは尾州紀州水戸の御三方さんかたの御出迎でむかひにて御玄關げんくわんより御通り遊ばし御白書院おんしろしよゐんに於て公方樣くばうさま對顏たいがん夫より御黒書院くろしよゐんに於て御臺みだい樣御對顏ふたゝ西湖せいこの間に於て御三方樣御さかづき事あり夫より西の丸へ入せられ候御事にて御たかの儀は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
朱塗の同じ盃、酒は一合近くも入るでせう、底に描いた裏梅の金蒔繪まきゑが、黄金色に盛り上つた、酒の表面まで浮いて、いづれが命とりの毒酒とも見當はつきません。
何やら蒔繪まきゑの紋があつたやうで、要心深くきれを卷いて隱してありましたが、何かのはずみで見えたのは、抱き茗荷めうがのやうな、うろこのやうな、二つ菊のやうな、——遠目でよくは判りませんが
金で蒔繪まきゑの入つた、べつ甲の櫛、そいつはまぎれもなく内儀のお八尾の品ぢやありませんか、——あわてた野郎がそれを拾つて、ウロウロ池の端をあさつてゐる萬七親分に見せたからたまりません。