荷鞍にぐら)” の例文
一日あるひことで、十八九の一人ひとり少年せうねんうま打乘うちのり、荷鞍にぐらけた皮袋かはぶくろに、銀貨ぎんくわをざく/\とならしてて、店頭みせさき翻然ひらりり、さて人參にんじんはうとふ。
人参 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
尾瀬沼の東の檜高ひだか山、治右衛門池の南の皿伏さらぶせ山、さては其名の如く双峰を対峙させた荷鞍にぐら山までも、皆大きな蛞蝓なめくじったようにのろのろしている。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
かれ他人たにんやとはれてながら、草刈くさかりにでもとき手拭てぬぐひこん單衣ひとへものと三尺帶じやくおびとを風呂敷ふろしきつゝんでうま荷鞍にぐらくゝつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
馬盥うまだらいを庭の隅へ出して湯を汲めば父は締糟しめかすを庭場へ入れ、荷鞍にぐらを片づけ、薄着になって馬の裾湯すそゆにかかった。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
馬「いのきやすよきて居るから……さア貴方あんたしっかりと、荷鞍にぐらへそうつかまると馬ア窮屈だから動きやすよ」
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
七六ふづくみ給ひそ。七七魚が橋の蕎麦くろむぎふるまひまをさんにと、いひなぐさめて行く。口とるをのこの腹だたしげに、此の七八死馬しにうままなこをもはたけぬかと、荷鞍にぐらおしなほして追ひもて行く。
対岸は、加納の宿しゅくだ。ちょうどここで日いっぱいに暮れ、軒傾いた屋並びに夕煙がこめている。於通は、雇い馬を求め、荷鞍にぐらの上へ横乗りになった。小野の里へはそこからまだ一里半はある。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大成木は大行おおなり山の辺であろう。稷小屋は不明。鬱墓は靭で、船ヶ原は荷鞍にぐら山東方の谷間の総称であるが、さて肝心の尾瀬沼や尾瀬ヶ原は、字地の中に見当らない。
尾瀬の昔と今 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
丁度ちやうど荷鞍にぐらほねのやうな簡單かんたん道具だうぐである。そのあしからあしわたしたぼうわら一掴ひとつかみづゝてゝは八人坊主はちにんばうずをあつちへこつちへちがひながらなはめつゝむのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
また、馬方が、腹立たしげに、「このくたばり馬めが。眼もあいていないのか。しっかり歩け」と、馬がつまずいたために傾いた荷鞍にぐらを、手荒く押しなおして、足早に馬を追っていく。
もう、其處等そこら如才じよさいはござりません、とお手代てだい。こゝで荷鞍にぐらへ、銀袋ぎんたい人參にんじん大包おほづつみ振分ふりわけに、少年せうねんがゆたりとり、手代てだいは、裾短すそみじか羽織はおりひもをしやんとかまへて、空高そらたか長安ちやうあん大都だいとく。
人参 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
多助は正直者ゆえ其の銭を馬の荷鞍にぐらへ結び付けまして、自分は懐にあるほまちの六百の銭を持ってきにかゝりましたが、日頃自分の引馴れている馬に名残なごりおしみ、馬の前面まえづらを二度ばかり撫でて
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
小形の牛だと言ふから、近頃青島せいとうから渡来とらいして荷車にぐるまいて働くのを、山の手でよく見掛ける、あの若僧わかぞうぐらゐなのだと思へばい。……荷鞍にぐらにどろんとしたおけの、一抱ひとかかえほどなのをつけて居る。
雨ばけ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)