茜色あかねいろ)” の例文
八月下旬の日はもう傾いて、あけてある窓の外には、塀の向うの黒ずんだ松林と、その上に高くかかった、茜色あかねいろの夕雲が見えていた。
爺どのは、うようにして、身体からだを隠して引返したと言いましけ。よう姿が隠さりょう、光った天窓あたまと、顱巻はちまき茜色あかねいろが月夜に消えるか。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
空は愈々いよいよ青澄み、くらくなる頃には、あいの様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、茜色あかねいろに輝いて居る。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
ここの内は燈火ともしびも欲しい暗さなのに、外を見やると、城外の遠い山肌に、かッと、晩秋の落日が、茜色あかねいろねかえっていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
半ば鮮かな茜色あかねいろを帯びながら、半ばまだ不確かなような鼠色ねずみいろに徐々に侵され出しているのを、うっとりとして眺めていた。
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
旅行者は茜色あかねいろの光にくっきり映え、その光は、ちょっとぐずぐずしていれば跡方なく消えてしまいそうに思えた。
箱の中のあなた (新字新仮名) / 山川方夫(著)
松永博士の推断通り興奮の鎮まった「歌姫」は西の空が茜色あかねいろに燃えはじめると、火葬場裏の雑木林の隠れ家から例のせつなげなソプラノを唄い出したのだ。
三狂人 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
渓流に臨んだ雑木林の山には茜色あかねいろの日影がよどんで、美しく澄んだ空の表にその山の姿が、はっきり浮いている。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
堤の北は藻隠もがくれにふなの住む川で、堤の南は一面の田、紫雲英が花毛氈はなもうせんを敷き、其の絶間たえま〻〻たえまには水銹みずさび茜色あかねいろ水蓋みずぶたをして居た。行く程に馬上の士官が来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
はや下晡ななつさがりだろう、日は函根はこねの山のに近寄ッて儀式とおり茜色あかねいろの光線を吐き始めると末野はすこしずつ薄樺うすかばくまを加えて、遠山も、毒でも飲んだかだんだんと紫になり
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
先刻さつきからいでゐた絽縮緬ろちりめんの羽織をまた着て、紺地こんぢ茜色あかねいろ大名縞だいみやうじまのおめし單衣ひとへと、白の勝つた鹽瀬しほぜの丸帶と、友染いうぜんの絽縮緬の長襦袢ながじゆばんとに、配合のい色彩を見せつゝ
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
窓ガラスのように、堤ぎわの空あかりが、茜色あかねいろ棚引たなびき光っていた。小さい板橋をわたって、くらい水の上をかしてみると、与平が水の中に胸にまでつかって向うをむいていた。
河沙魚 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
にちゃにちゃして茜色あかねいろの雲を踏んで立っているような気持のするのに、眼の前一面に実のり倒れた金色の稲田を見渡して跼蹐かがんだ気持は何もかも何処かへ持って行かれました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しかし、人間の子が鰈の子になるのは、なかなかやすいことではない。やがて日が暮れて夕方がやつて来た。空が夕映ゆふばえ茜色あかねいろになり、空の茜が海にうつつて、海もあかくなつた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
東京とうきょうにいる時分じぶん羽子板はごいたたれて、そらがるたびに、もっと、もっとたかく、あの茜色あかねいろうつくしいそらがることができたらと、たかいところにあこがれたことがありました。
東京の羽根 (新字新仮名) / 小川未明(著)
と、風景も彼にむかって、胸を張り眼を見ひらいてくる。決然と分岐する鋪装道路や高層ビルの一れんが、その上にひろがる茜色あかねいろの水々しい空が、突然、彼に壮烈な世界を投げかける。
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
ことに西陽を受けて、この伝馬町あたりは、かっと瓦が燃え立つような茜色あかねいろの空。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そして広い芝生のところどころに、茜色あかねいろのギャアベラが滴のやうに咲いてゐた。
落葉日記 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
ある人々はめずらしく早く起きると朝焼けの茜色あかねいろ難癖なんくせをつけるかもしれない。
折からそよそよと街道は夕風立って、落日前のひと刻の茜色あかねいろに染められた大空は、この時愈々のどかに冴え渡り、わが退屈男の向う傷も、愈々また凄艶に冴え渡って、いっそもううれしい位です。
その後——やや久しいこと、お綱は茜色あかねいろに変ってくる雲と山に明日あしたを思い、弦之丞は、山絵図をあんじて、山へかかる二つの道について考えている。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
田が溝染どぶぞめに暮れかかると、次第にせて茜色あかねいろを、さながらぎたての牛の皮を拡げた上を、爪立つまだって歩行あるくようないやな心持がするようになっちまった。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
縁だけ茜色あかねいろを帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
スチームに暖められた汽車の中に仮睡の一夜を明かして、翌朝早く眼をますと、窓の外は野も山も、薄化粧をしたような霜にてて、それにうららかな茜色あかねいろ朝陽あさひの光がみなぎり渡っていた。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
漁師りょうしの家でもあろうか。湖畔の家と家の間から見える水面には、茜色あかねいろ淡靄うすもやが立って、それも皆湯のように感じられる。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
電車から下りて、茜色あかねいろをした細長い雲が色づいた雑木林の上に一面に拡がっている西空へしばらくうっとりと目を上げていたが、彼は急にはげしく咳き込み出した。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
車ののような茜色あかねいろの後光を大空いっぱいに美しく反射している。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
と夜具風呂敷の黄母衣越きほろごしに、茜色あかねいろのその顱巻はちまき捻向ねじむけて
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
夜もすがら篝火かがりびにいぶされていた墨の富士は、暁と共に、茜色あかねいろうつし、信長が本巣湖もとすこを出立する頃は、飛ぶ雲すらない一天に、くっきりと白妙しろたえの全姿を見せて
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茜色あかねいろ顱巻はちまきを、白髪天窓しらがあたまにちょきり結び。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そのうちに、濠の水は、茜色あかねいろにそまり、夕鴉ゆうがらすの啼く声をふと耳にして
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)