物頭ものがしら)” の例文
熱田あつた加藤図書かとうずしょ、愛知郡の飯尾隠岐守いいおおきのかみ、岐阜城の物頭ものがしら早川大膳だいぜん篠田右近しのだうこん春日井かすがい郡から馳せ加わった下方左近将監しもかたさこんのしょうげん——などがある。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
物頭ものがしらに欠員ができたので、適当な人物がいたら召し出そうという、一ノ関からの話で、甲斐は矢崎舎人をそれに当てた。舎人は首を振った。
貞固と東堂とは、共に留守居の物頭ものがしらを兼ねていた。物頭は詳しくは初手しょて足軽頭あしがるがしらといって、藩の諸兵の首領である。留守居も物頭も独礼どくれいの格式である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
手明きの若党、鎗持やりもちの中間ちゅうげん草履取ぞうりとり、具足持ぐそくもち、高張持たかはりもちなぞ、なかなかものものしい。それにこの物頭ものがしらが馬の口を取る二人のうまやの者も随行して来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
是れから物頭ものがしらがまいりまして、段々下話したばなしをいたし、權六は着慣れもいたさん麻上下あさがみしもを着て、紋附とは云え木綿もので、差図さしずに任せお次までまかで控えて居ります。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
家老なり物頭ものがしらなりの重職を務め、百姓町人をゲスのごとくに呼びすてにした家では、あるいは心得違いとして、神武天皇以来素性が違っているように思っていたか知らぬが
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
臆病者が知遇に感じて強くなったか、多分は以前から臆病者なぞでは無かったのだろう、権助は合戦ある毎に好い働きをする。で氏郷はたちま物頭ものがしらにして二千石を与えたというのである。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
上杉征伐に功のあった三河の鈴木伝助のすえで、榊原さかきばらに仕えて代々物頭ものがしら列を勤めてきたが、伝内は神田お玉ヶ池の秋月刑部ぎょうぶ正直の高弟で義世流の達人であり、無辺無極流のやりもよく使うので
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ば頼入候なりとあつく申おか旅宿りよしゆくなる相良の功徳寺へ引取けり斯て程なく巳刻の太鼓もなりたる故外記は役所に出けるにはや同役どうやくの中村主計かずへ用人小笠原常右衞門柳生源藏大目附武林軍右衞門物頭ものがしらには
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
素破すわや合戦とある時には、一方の物頭ものがしらともなる男が、女房の愛に引かされて、さほどの大事をうかうかと明かし、頼まれたお方を裏切るとは! ……我は鎌倉譜代の武士、六波羅の重恩受けたる身
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
で、もしや? ……という危惧きぐがすぐ胸をついたのである。かれは本丸へ通って、数正かずまさに直属している物頭ものがしらの工藤三五郎に会って
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
残る三人は五十塚いそづか紋太夫、額田采女ぬかだうねめ、原野九郎兵衛という、いずれも森家江戸邸の物頭ものがしら格以上で、五十塚は七百石の扈従こしょう組支配を勤めている。
若殿女難記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
比良野氏ではこの年同藩の物頭ものがしら二百石稲葉丹下いなばたんげの次男房之助ふさのすけを迎えて養子とした。これは貞固が既に五十歳になったのに、妻かなが子を生まぬからであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
諏訪方としては、これは思いがけない友軍を得たわけである。早速、物頭ものがしらは歓迎の意を表し、及ばずながら諏訪藩では先陣を承るであろうとの意味を松本方の重役にいたした。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
目付の情をもって柔和に調べつかわすに、以てのほかの事を申す奴だ、とくに証拠あって取調べが届いてるぞ、最早のがれんぞ、兄弟共に今日こんにち物頭ものがしらへ預け置く、勘八其の方は不埓至極の奴
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ひらいて見ると、佐々成政の物頭ものがしら——野々村主水の名がある。主水とは、旧知の仲だ。はて何事かと、しょくをかきたてて読み下すと。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのときの知らせでは、仙台から物頭ものがしらの青木弥惣左衛門が、足軽を伴れて小野へゆき、采女と七十郎を受取って、仙台へ送った、ということであった。
上邸から早打はやうちが福岡へ立つた。それが著くと、福岡城では留守の家老、物頭ものがしら、諸侍が集まつて評議をした。評議が濟むと、組頭はそれ/″\部下に云ひ渡した。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
いよいよ水戸浪士がその日の晩に長窪ながくぼ和田両宿へ止宿のはずだという風聞が伝えられるころには、諏訪藩の物頭ものがしら矢島伝左衛門でんざえもんが九人の従者を引き連れ和田峠御境目おさかいめ詰方つめかたとして出張した。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
呂宋兵衛は、いましがた、軍師ぐんし昌仙しょうせん物頭ものがしらとどろき又八が、すべての手くばりをしたようすなので、ゆうゆう、安心しきっているていだった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蜂谷は四百石の物頭ものがしらで、去年から江戸定番じょうばんになって来ていた。伊東七十郎は伊達の家臣ではなかった。
加番は各物頭ものがしら五人、徒目付かちめつけ六人、平士ひらざむらひ九人、かち六人、小頭こがしら七人、足軽あしがる二百二十四人をひきゐて入城する。其内に小筒こづゝ六十ちやう弓二十はりがある。又棒突足軽ぼうつきあしがるが三十五人ゐる。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
隊伍隊伍の物頭ものがしらたちも気のない顔である。勝算のない出征だ。卒伍そつごのうちの顔いろを見渡しても、不安と無戦意がみなぎっている。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
物頭ものがしら上田帯刀は、お咎めの筋があって家禄没収、その身は片倉さまにお預け、妻子は古内(源太郎)どのに預けとなり、矢崎舎人が命ぜられて、帯刀の妻子を送ってまいった
森は田辺にちゃくいたし、景一に面会して御旨おんむねを伝え、景一はまた赤松家の物頭ものがしら井門亀右衛門いかどかめえもんはかり、田辺城の妙庵丸櫓みょうあんまるやぐら矢文やぶみを射掛け候。翌朝景一は森を斥候の中に交ぜて陣所を出だしり候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「二の丸づめ物頭ものがしら、初鹿野伝右衛門でござる。御城代に折入って、お会い申さねばならぬことが出来、夜ぶんを押して訪ねて参ったのじゃ。取次いで給われい」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて武田晴信はるのぶの甲軍が、東美濃へばたらき(放火攪乱戦こうらんせん)に出たとき、弱冠じゃっかんの忠三郎氏郷、かの馬に乗って、敵中へ駈け入り、敵の物頭ものがしらたる豪の者と引ッ組み
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう極端になってはもう物頭ものがしらたちのおさえもきかない。帷幕いばくからの厳命も、部将にかせておいたのでは、到底収拾しゅうしゅうはつくまいと、勝家は思い極めたものとみえる。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
果たして、棚橋たなはし甚兵衛という物頭ものがしらが、一部の家臣の意を代表して云い出した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枯れめた初冬の草床くさどこが暖い日だった。物頭ものがしら松平六左衛門の邸内に人がたくさん集まった。門脇から幕が張ってある。朝からずっと、鋭い掛声と、竹刀しない木太刀きだち稽古槍けいこやりの響きなどが続いている。
剣の四君子:04 高橋泥舟 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、物頭ものがしらどもへ、足もとから鳥の立つように、準備をうながしていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、物頭ものがしらたちが、いぶかりまどう足なみへ、にわかに、令を伝えている。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
馬上の物頭ものがしら幾名かが、動揺の見えた全軍に大呼しつつ駈けめぐる。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近藤平六は、物頭ものがしら大岡忠右衛門おおおかちゅうえもんの私宅を訪ねた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これだけか、物頭ものがしら一同は」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
物頭ものがしらどもをこれへ」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)