搦手は、天草灘の波濤が城壁の根を洗っている上に、大手には多くの丘陵が起伏して、その間に、泥深い沼沢が散在した。
おしの、おたみの女連、彦太郎、千吉、文三という小ッちゃい子供連、これをよびあつめて搦手から話をたぐりよせる。
“搦手(搦手門)”の解説
搦手門(からめてもん)は城門の一つで、大手門に対して開かれる裏手にあたる搦手口の門。
有事の際には、城主などはここから城外や外郭へ逃げられるようになっており、言わば非常口であった。そのため常日頃から使用されることは少なかった。
建物自体は、小型で狭く目立たない仕様であることも少なくなく、櫓門、埋門ではなく小型の冠木門や高麗門を建てるのみということもあったというが、警備の手が抜かれることはなく、大手門などの大きな虎口に比べて少人数で警備できるように設計してあった。橋は木橋であることが多く、また算盤橋や桔橋とし、非常時以外は開放しない不明門(あかずのもん)とすることも多い。
(出典:Wikipedia)
有事の際には、城主などはここから城外や外郭へ逃げられるようになっており、言わば非常口であった。そのため常日頃から使用されることは少なかった。
建物自体は、小型で狭く目立たない仕様であることも少なくなく、櫓門、埋門ではなく小型の冠木門や高麗門を建てるのみということもあったというが、警備の手が抜かれることはなく、大手門などの大きな虎口に比べて少人数で警備できるように設計してあった。橋は木橋であることが多く、また算盤橋や桔橋とし、非常時以外は開放しない不明門(あかずのもん)とすることも多い。
(出典:Wikipedia)