家柄いえがら)” の例文
これによって明らかなように、鳥は帰化人司馬達等の孫にあたるが、祖父より代々朝廷に仕えて仏法のためにつくした家柄いえがらである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
考えても見ろ! 何百人という人間を髭をひねり稔りあごで使って来てる大請負師おおうけおいしだぞ。何は無くっても家柄いえがらってものだけは残っているんだ。
栗の花の咲くころ (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
古い家に生まれた富士子は、いかにもその家柄いえがらを背負ったように落ちつきはらっていて、めったに泣かず、めったに笑わない少女だった。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
それなかには橘姫たちばなひめよりもはるかに家柄いえがらたかいおかたもあり、また縹緻きりょう自慢じまんの、それはそれは艶麗あでやか美女びじょないのではないのでした。
もっともこの方は倉造りではなかったけれども、堀部安兵衛ほりべやすべえが高田の馬場でかたきを打つ時に、ここへ立ち寄って、枡酒ますざけを飲んで行ったという履歴のある家柄いえがらであった。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
元々もともと武芸ぶげい家柄いえがらである上に、まれ弓矢ゆみや名人めいじんで、その上和歌わかみちにも心得こころえがあって、礼儀作法れいぎさほうのいやしくない、いわば文武ぶんぶ達人たつじんという評判ひょうばんたかい人だったのです。
(新字新仮名) / 楠山正雄(著)
当時とうじにおける外交の事情じじょうを述べんとするに当り、小栗上野介おぐりこうずけのすけの人とりよりかんに、小栗は家康公いえやすこう以来有名ゆうめいなる家柄いえがらに生れ旗下きか中の鏘々そうそうたる武士にして幕末の事
それに家柄いえがらも相当で、上層社会に知人が多く、士官学校の同期生や先輩せんぱいで将官級になった人たちでも、かれには一目いちもくおいているといったふうがあり、また政変の時などには
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
「それには、丹波たんば道能宇斯王みちのうしのみこの子に、兄媛えひめ弟媛おとひめというきょうだいのむすめがございます。これならば家柄いえがらも正しい女たちでございますから、どうかその二人をおしなさいまし」
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
浜松城はままつじょうのお小姓こしょうであれば、しかるべき家柄いえがら息子むすこたちにはちがいないが、城下じょうかからこんなところまで、わしと取っくんできたのだからたまらない、とんぼぢらしのおそろいの小袖こそで
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただし大阪は今日でも婚礼こんれい家柄いえがらや資産や格式などを云々うんぬんすること東京以上であり元来町人の見識の高い土地であるから封建ほうけんの世の風習は思いやられる従って旧家の令嬢れいじょうとしての衿恃きょうじ
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一三 この老人は数十年の間山の中にひとりにて住みし人なり。よき家柄いえがらなれど、若きころ財産を傾け失いてより、世の中に思いをち、峠の上に小屋こやを掛け、甘酒あまざけ往来おうらいの人に売りて活計とす。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ことにいちばん年若く見える一人ひとりの上品な青年——船長の隣座にいるので葉子は家柄いえがらの高い生まれに違いないと思った——などは、葉子と一目顔を見合わしたが最後、震えんばかりに興奮して
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
然るに六十何人の大家族を抱えた榎本は、表面うわべ贅沢ぜいたくに暮していても内証は苦しかったと見え、その頃は長袖ながそでから町家へ縁組する例は滅多になかったが、家柄いえがらよりは身代を見込んで笑名に札が落ちた。
このシメオーノフ=ピーシチクという古い家柄いえがら
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
そのはよほど家柄いえがらうまれらしく、まるポチャのあいくるしいかおにはどことなく気品きひんそなわってり、白練しろねり下衣したぎうすうす肉色にくいろ上衣うわぎかさ
わたくし生家さとでございますか——生家さと鎌倉かまくらにありました。ちち大江廣信おおえひろのぶ——代々だいだい鎌倉かまくら幕府ばくふつかへた家柄いえがらで、ちち矢張やはりそこにつとめてりました。