修羅しゆら)” の例文
なんぢに欝懐の委曲を語りて、修羅しゆらの苦因を晴るけんとぞ思ふ、とおほドロ/\で現はれ出た訳でも何でも無いが、一体将門は気の毒な人である。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
兵右衛門へいゑもんがかたにはかゝることゝは露しらず、本妻と下女げぢよ修羅しゆら苦患くげんをたすけんと御出家ごしゆつけがたの金儲かねまうけとなりけるとなり。
案頭の書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
修羅しゆらに大つなをつけ左右に枝綱えだつないくすぢもあり、まつさきに本願寺御用木といふのぼりを二本つ、信心の老若男女童等わらべらまでもありの如くあつまりてこれをひく。
何れも容姿を取り亂して右に走り左に馳せ、叫喚呼號の響、街衢に充ち滿ちて、修羅しゆらちまたもかくやと思はれたり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
一四〇淡路と聞えし人、にはかに色をたがへて、はや一四一修羅しゆらの時にや。阿修羅あしゆらども御迎ひに来ると聞え侍る。
搜索さがし出して修羅しゆら靈魂みたまなぐさめん南無阿彌陀佛/\とくびいだきしめしばらく涙にれ居たり夫より回向院ゑかうゐんの下屋敷を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
直接に痛痒つうやうを感ぜざればとて、遠大なる事業をしりぞくべきにあらず、況んや欧洲のみに戦争の毒気つるにあらずして、東洋も亦た早晩、修羅しゆらちまたと化して塵滅するの時なきにしもあらず
一種の攘夷思想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
陰慘いんさんたる修羅しゆら孤屋こをくくらべると、こゝはかへつて、唐土たうど桃園たうゑんかぜく。
深川浅景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
自分は其翌日万感を抱いてこの修羅しゆらちまたを去つた。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
慈悲悔恨のゆるみ無く、修羅しゆらたゝかひたけなは
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
修羅しゆらに大つなをつけ左右に枝綱えだつないくすぢもあり、まつさきに本願寺御用木といふのぼりを二本つ、信心の老若男女童等わらべらまでもありの如くあつまりてこれをひく。
はうむりて修羅しゆら妄執まうしふはらし申さんとて千住小塚原こづかはらの御仕置場へ到り非人ひにんの小屋へ立寄たちよりちと御頼み申度ことありてまゐりたり昨日御仕置になりたる武州幸手宿富右衞門のくび
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
かれ二人ふたり修羅しゆらにつれ来れとおほせある。老臣の人々一四五かけへだたりて声をそろへ、いまだめいつきざる者なり。一四六れい悪業あくげふなせさせ給ひそといふ詞も、人々のかたちも、遠く雲井に行くがごとし。
慈悲悔恨のゆるみ無く、修羅しゆらたたかひたけなは
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
(雪車の制作せいさく別に記す、形大小種々あり大なるを修羅しゆらといふ)雪国の便利べんりだい一の用具ようぐ也。しかれども雪凍りたる時にあらざれば用ひがたし、ゆゑに里人雪舟途そりみちとなふ。
たとへば修羅しゆらちまたにて
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
とげし浪人藤崎道十郎が修羅しゆら亡執まうしふも此處にうかみ出て嬉く思ふなるべし果せるかな惡事のむくい速かにめぐり來りてさしも申いつはりたる村井長庵が奸謀かんぼう悉皆こと/″\く調べ上に相成はじめ貞婦ていふみつ孝子かうしみち之助が善報の程は神佛しんぶつ應護おうごにもあづかりし物成んと其ころ風聞とりさたなせしとぞさて其翌年に至りて公儀こうぎに有難き大赦たいしやの行はれけるに御かみにも久八が忠義の程を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
かゝる時は修羅しゆらを二ツも三ツもかくるなり。材木は雪のふらざる秋りてそのまゝ山中におき、そりを用ふる時にいたりてひきいだす。かゝる大材をもひくをもつて雪のかたきをしるべし。
かゝる時は修羅しゆらを二ツも三ツもかくるなり。材木は雪のふらざる秋りてそのまゝ山中におき、そりを用ふる時にいたりてひきいだす。かゝる大材をもひくをもつて雪のかたきをしるべし。
そりの大なるを里言りげん修羅しゆらといふ事前にもいへり、これに大材木あるひは大石をのせてひくを大持だいもちといふ。ひとゝせ京都本願寺御普請の時、末口五尺あまり長さ十丈あまりのけやきひきし事ありき。