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應護
なしけれども領主の役人共
勿々取上げなく却て當時村
預の身となりしかばいとゞ
殘念至極に思ひ此上は
神佛の
應護に非ずんば
遁れ難かるべしとて一七日の間荒行を始め
晝夜共に六ツ時に
水垢離を
助けんには
神佛の
加護に非ざれば
爲難し幸ひ遠州秋葉三尺
坊の
應護を
遂し浪人藤崎道十郎が
修羅の
亡執も此處に
浮み出て嬉く思ふなるべし果せる
哉惡事の
報い速かに
巡り來りてさしも申
詐りたる村井長庵が
奸謀も
悉皆く調べ上に相成
初て
貞婦お
光孝子道之助が善報の程は
神佛の
應護にも
預りし物成んと其
頃風聞なせしとぞ
偖其翌年に至りて
公儀に有難き
大赦の行はれけるに御
上にも久八が忠義の程を