“小塚原”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
こづかっぱら56.3%
こづかはら12.5%
こずかっぱら6.3%
こつかはら6.3%
こつかッぱら6.3%
こづかつぱら6.3%
こづかばら6.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
其の昔罪人は日本橋を中央として、東国(とうごく)の者ならば小塚原(こづかっぱら)へ、西国(さいこく)の者ならば鈴ヶ森でお仕置になりますのが例でございます。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
挫(ひし)がれたれば如何に強膽(がうたん)の者なりとも勿々(なか/\)隱(かく)す事能はず立石が家内三人切殺せし事ども殘らず白状成(なし)ければ小塚原(こづかはら)に於て終(つひ)に磔(はりつけ)にこそ行(おこな)はれけれ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
竹格子(たけごうし)の裏窓を明けると箕輪田圃(みのわたんぼ)から続いて小塚原(こずかっぱら)の灯(あかり)が見える河岸店(かしみせ)の二階に、種員は昨日(きのう)の午過(ひるすぎ)から長き日を短く暮す床(とこ)の内、引廻した屏風(びょうぶ)のかげに明六(あけむ)ツならぬ暮の鐘。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
天も憐(あはれ)み給ふにや風雨の憂(うれひ)も無(なく)十日餘りも立(たち)川崎宿(かはさきじゆく)へ着て御所刑場(おしおきば)是より何程(なにほど)あるやと尋(たづね)しに品川の手前に鈴ヶ森と云所こそ天下の御仕置場(おしおきば)なり尤も二ヶ所あり江戸より西南の國にて生れし者は鈴(すゞ)ヶ森(もり)又(また)東北(とうほく)の國の生れなれば淺草(あさくさ)小塚原(こつかはら)に於て御仕置に行はるゝと云由を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
これさえ夢のごときに、胸を轟(とどろ)かせながら、試みに叩いたが、小塚原(こつかッぱら)あたりでは狐の声とや怪しまんと思わるるまで、如月(きさらぎ)の雪の残月に、カンカンと響いたけれども、返事がない。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ムヽウ禁厭(まじなひ)かい。弥「疝気(せんき)の小柄(こづか)ツ腹(ぱら)(千住(じゆ)の小塚原(こづかつぱら))と云(い)つたら怒(おこ)りやアがつた、跡(あと)から芳蔵(よしざう)の娘(むすめ)が労症(らうしやう)だてえから、南瓜(たうなす)の胡麻汁(ごまじる)を喰(く)へつてえました。長「何(なん)だい、それは。 ...
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
ただ『幽室文稿』は、安政五年戊午(ぼご)の正月より、六年己未(きび)の五月、殉難者の血を小塚原(こづかばら)に濺(そそ)がんがために江戸に檻送せらるるまで、一年半の記録なれば、その記事の詳略精粗は同日の論にあらず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)