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さんば
ふりがな文庫
“
三馬
(
さんば
)” の例文
緑雨の最後の死亡自家広告は
三馬
(
さんば
)
や
一九
(
いっく
)
やその他の江戸作者の死生を茶にした辞世と共通する江戸ッ子作者特有のシャレであって
斎藤緑雨
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
三馬
(
さんば
)
の
浮世風呂
(
うきよぶろ
)
を
讀
(
よ
)
むうちに、だしぬけに
目白
(
めじろ
)
の
方
(
はう
)
から、
釣鐘
(
つりがね
)
が
鳴
(
な
)
つて
來
(
き
)
たやうに
氣
(
き
)
がついた。
湯屋
(
ゆや
)
の
聞
(
き
)
いたのは(
岡湯
(
をかゆ
)
)なのである。
春着
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
何にもせよ
三馬
(
さんば
)
の『浮世風呂』などに見るような、
僅
(
わず
)
かばかりの初春の風情までが、もう郊外に出て味わうわけには行かなくなったのである。
野草雑記・野鳥雑記:02 野鳥雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
のみならず、自分がこれまでに読んだ
馬琴
(
ばきん
)
や近松や
三馬
(
さんば
)
などとは著しく違った特色をもった作者であることが感ぜられた。
西鶴と科学
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
とか、てめえはてえそうきいたふうな
言
(
こと
)
をぬかすのう。などゝ云うと、
三馬
(
さんば
)
や
春水
(
しゅんすい
)
の人情本では
乙
(
おつ
)
だが、明治の聖代に
母親
(
おふくろ
)
の口から出ては物凄い。
The Affair of Two Watches
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
▼ もっと見る
その頃の氏の愛読書は、
三馬
(
さんば
)
や
緑雨
(
りょくう
)
のものが主で、
其
(
その
)
他
独歩
(
どっぽ
)
とか
漱石
(
そうせき
)
氏とかのものも読んで居た様です。
岡本一平論:――親の前で祈祷
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他
寛政
(
かんせい
)
、
天明
(
てんめい
)
の
通人
(
つうじん
)
たちの作ったもの、
一九
(
いっく
)
、
京伝
(
きょうでん
)
、
三馬
(
さんば
)
、
馬琴
(
ばきん
)
、
種彦
(
たねひこ
)
、
烏亭焉馬
(
うていえんば
)
などの本が沢山にあった。
明治十年前後
(新字新仮名)
/
淡島寒月
(著)
火鉢に大きな
薬罐
(
やかん
)
が掛けてあって、そのわきには菓子の箱が
列
(
なら
)
べてある。のちに思えば例の
三馬
(
さんば
)
の「浮世風呂」をその
儘
(
まま
)
で、茶を飲みながら将棋をさしている人もあった。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
明和年代に
南畝
(
なんぽ
)
が出で、天明年代に
京伝
(
きょうでん
)
、文化文政に
三馬
(
さんば
)
、
春水
(
しゅんすい
)
、天保に
寺門静軒
(
てらかどせいけん
)
、幕末には
魯文
(
ろぶん
)
、維新後には
服部撫松
(
はっとりぶしょう
)
、
三木愛花
(
みきあいか
)
が現れ、明治廿年頃から
紅葉山人
(
こうようさんじん
)
が出た。
正宗谷崎両氏の批評に答う
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
そこへ行くと、
一九
(
いつく
)
や
三馬
(
さんば
)
は大したものでげす。あの手合ひの書くものには天然自然の人間が出てゐやす。決して小手先の器用や
生噛
(
なまかじ
)
りの学問で、
捏
(
でつ
)
ちあげたものぢやげえせん。
戯作三昧
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
種々な人情本や
三馬
(
さんば
)
等の洒落本もあり、春画も持って来るので、彼らはいずれも貸本屋を歓迎した。私も子供の時に親類の勤番者の所へ行って、春画を見せられたことを覚えている。
鳴雪自叙伝
(新字新仮名)
/
内藤鳴雪
(著)
三馬
(
さんば
)
に
逢
(
あ
)
ったことがある。そうさ、五十四、五に見えた。猿のしるしのある家で、化粧水を売っていたっけ。倉の二階住で、じんきょやみのくせに
妾
(
めかけ
)
があった。子供心にも、いやな
爺
(
じじい
)
だと思ったよ。
旧聞日本橋:22 大門通り界隈一束(続旧聞日本橋・その一)
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
三馬
(
さんば
)
のこしらえた『小野の馬鹿むら
嘘字
(
うそじ
)
づくし』というのを見ますると、金偏に母と書いてへそくりと読ましてございますな、金偏に良という字なんぞを一つ
奢
(
おご
)
っていただくわけには参りますまいか
大菩薩峠:36 新月の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
風流は
寒
(
さぶ
)
いものとは
三馬
(
さんば
)
が下せし定義なり山一つ越えて輕井澤となれば國も
上野
(
かうづけ
)
が
信濃
(
しなの
)
となり管轄縣廳も群馬が長野と變るだけありて
寒
(
さぶ
)
さは十度も強しといふ前は碓氷
後
(
うしろ
)
は淺間の
底冷
(
そこびえ
)
に峠で流せし汗冷たく身輕を
木曽道中記
(旧字旧仮名)
/
饗庭篁村
(著)
この相談を受けた時、二葉亭の頭の
隅
(
すみ
)
ッコにマダ
三馬
(
さんば
)
か
春水
(
しゅんすい
)
の血が残ってるんじゃないかと、内心成功を危ぶまずにはいられなかった。
二葉亭四迷の一生
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
もう
二十日過
(
はつかすぎ
)
だし少し稼ごう。——そのシャルル
九世
(
くせい
)
年代記を、わが文化の版、
三馬
(
さんば
)
の浮世風呂にかさねて袋棚にさしおいた。——この度胸でないと仕事は出来ない。
甲乙
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
そこへ行くと、
一九
(
いっく
)
や
三馬
(
さんば
)
はたいしたものでげす。あの手合いの書くものには天然自然の人間が出ていやす。決して小手先の器用や
生
(
なま
)
かじりの学問で、でっちあげたものじゃげえせん。
戯作三昧
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
三馬
(
さんば
)
の作に「浮世風呂」の名があっても、それは書物の題号であるからで、それを口にする場合には
銭湯
(
せんとう
)
とか
湯屋
(
ゆうや
)
とかいうのが普通で、
元禄
(
げんろく
)
のむかしは知らず、
文化文政
(
ぶんかぶんせい
)
から明治に至るまで
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
(
似貌
(
にがお
)
絵本)俳優楽室通 一冊 豊国国政画
三馬
(
さんば
)
撰 寛政十一年板
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
即ちビェリンスキーの文学、ゴンチャローフの文学、ドストエフスキーの文学、ツルゲーネフの文学であって、
京伝
(
きょうでん
)
の文学、
春水
(
しゅんすい
)
の文学、
三馬
(
さんば
)
の文学ではなかった。
二葉亭四迷の一生
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
たとひ
紋着
(
もんつき
)
で
袴
(
はかま
)
を
穿
(
は
)
いても、これが
反對
(
うらはら
)
で、
女湯
(
をんなゆ
)
の
揚場
(
あがりば
)
に、
待
(
ま
)
つ
方
(
はう
)
が
旦
(
だん
)
と
成
(
な
)
ると、
時節柄
(
じせつがら
)
、
早速
(
さつそく
)
其
(
そ
)
の
筋
(
すぢ
)
から
御沙汰
(
ごさた
)
があるが、
男湯
(
をとこゆ
)
へ
女
(
をんな
)
の
出入
(
でいり
)
は、
三馬
(
さんば
)
以來
(
いらい
)
大目
(
おほめ
)
に
見
(
み
)
てある。
銭湯
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
一つは当時文壇に重きをなしたユーゴーやジスレリーの翻訳小説に
馴
(
な
)
れた眼で
見較
(
みくら
)
べられたからであるが、一つは硯友社の芸術至上が京伝
三馬
(
さんば
)
系統の化政度戯作者
気質
(
かたぎ
)
に即して
硯友社の勃興と道程:――尾崎紅葉――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
一體
(
いつたい
)
塾
(
じゆく
)
では
小説
(
せうせつ
)
が
嚴禁
(
げんきん
)
なので、うつかり
教師
(
けうし
)
に
見着
(
みつ
)
かると
大目玉
(
おほめだま
)
を
喰
(
く
)
ふのみならず、
此
(
この
)
以前
(
いぜん
)
も
三馬
(
さんば
)
の
浮世風呂
(
うきよぶろ
)
を
一册
(
いつさつ
)
沒收
(
ぼつしう
)
されて
四週間
(
ししうかん
)
置放
(
おきつぱな
)
しにされたため、
貸本屋
(
かしほんや
)
から
嚴談
(
げんだん
)
に
逢
(
あ
)
つて、
大金
(
たいきん
)
を
取
(
と
)
られ
怪談女の輪
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
三
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
馬
常用漢字
小2
部首:⾺
10画
“三馬”で始まる語句
三馬屋
三馬一九