黴臭かびくさ)” の例文
卒業式の日、私は黴臭かびくさくなった古い冬服を行李こうりの中から出して着た。式場にならぶと、どれもこれもみな暑そうな顔ばかりであった。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
毎日、黴臭かびくさい書庫の中にはいったきり、彼は根気よくその仕事をしていた。この仕事は彼の悲しみに気に入っているようだった。
聖家族 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
あるいは「れウィオリノ」という題名としていとの切れたウィオリンの画の上に題名を書くというような鼻持ならない黴臭かびくさい案だったから
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
T君に別れて東照宮前の方へ歩いて来ると異様な黴臭かびくさい匂が鼻を突いた。空を仰ぐと下谷したやの方面からひどい土ほこりが飛んで来るのが見える。
震災日記より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
大森氏はためつすがめつ髑髏しやれかうべを見てゐた。ちやう梅雨つゆ時分の事で、髑髏しやれかうべからは官吏や会社の重役の古手ふるてから出るやうな黴臭かびくさ香気にほひがぷんとした。
むっとする黴臭かびくさいにおいをぎ、ぼろぼろの表紙や比較的新しい表紙に陽の当っているのを見下しながら慧鶴は本の間をしばらく歩き廻っていた。
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
だから妾はすぐさまそのトランクを開いてみる決心をして、貞雄を案内して黴臭かびくさい土蔵の中に入っていったのであった。
三人の双生児 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「ちつたあ黴臭かびくさくなつたやうだが、そんでもこのくれえぢや一日いちんちせばくさえななほつから」勘次かんじ分疏いひわけでもするやうにいつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
薬臭いような匂いのあるのはイーストを入れ過ぎるためですし、黴臭かびくさいようなのは米利堅粉めりけんこの湿気を受けたのです。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
台所には水棚も水甕みずがめも無く、漬物桶を置いたらしい杉丸太の上をヒョロ長い蔓草つるぐさいまわっていた。空屋特有の湿っぽい、黴臭かびくさい臭いがプンと鼻を衝いた。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
いわし罐詰かんづめの内部のような感じのする部屋であった。低い天井と床板と、四方の壁とより外には何にも無いようなガランとした、湿っぽくて、黴臭かびくさい部屋であった。
淫売婦 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
そうして少し黴臭かびくさいけれどな。アッハハハゆっくり休みねえ。けれどあらかじめ云っておくがな、あんまりノコノコ歩き廻らぬがいい。うかうか歩くと迷児まいごになるぜ
おくみは御飯が済んでから、四畳の押入の下から、黴臭かびくさい臭ひのする蚊帳を取り出した。それを包んだ、つぎだらけの大きな風呂敷の合せ目から、鼠のふんが沢山出た。
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
また上からは椎の樹立の黒ずんだ枝葉や叢林そうりんがのしかかっているため、いつも暗くじめじめして、空気は湿った黴臭かびくささに満ちていた。みぎわの葦は日光に恵まれなかった。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
イヤでも黴臭かびくさいものを捻くらなければ、いつもまりきった書物の中をウロツイている訳になるから、美術だの、歴史だの、文芸だの、その他いろいろの分科の学者たちも
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
埃臭く、黴臭かびくさく淀んだ大納戸の空氣は、美女の苦惱の聲と折檻に絞り出された汗に薫蒸して、言ひやうもなく不思議な匂ひをかもし出すのを、平次は顏を反けて我慢しました。
私の物とては、衣類を入れた箱と汚れた色褪いろざめた蒲団ふとんぐらいのもので、机もなければただの一枚の座蒲団すらもなかった。暗い、じめじめした、黴臭かびくさい、陰気な部屋だった。
白いおひげを生やした、えらいおじさん達が、ギリシャ語の黴臭かびくさい本の中で研究して、それが何時いつ、どうして、何のために出来たかなんて、頭をひねっているだけなんだからね。
「こういうのを、わたしは黴臭かびくさい天気と言っていますがね」と、船医は得意そうに言った。
貢さんがのぞいたのは薄暗うすぐら陰鬱いんうつな世界で、ひやりとつめたい手で撫でる様にあたる空気がえて黴臭かびくさい。一間程前けんほどまへに竹と萱草くわんざうの葉とがまばらにえて、其奥そのおくは能く見え無かつた。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
その滅入るような品々に、一歳ひととせの塵を払わせる刻限が近付いて来ると、気のせいかは知らぬが、寮の中が妙に黴臭かびくさくなって来て、何やらモヤモヤしたものが立ちめて来るのだ。
絶景万国博覧会 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
明智はだんだん気を許しながら、畳の上をうようにして、奥の八畳へはいって行った。道具も何もない黴臭かびくさい部屋、赤茶けた畳、障子の向こうに狭い縁側があって、ガラス戸が閉まっている。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
取散らした包紙の黴臭かびくさいのは奥の間の縁へほうり出して一ぺん掃除をする。置所から色々の供物くもつを入れたかますを持ってくる。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
力なく巻き納める恩人の手紙のなかから妙な臭が立ちのぼる。一種古ぼけた黴臭かびくさいにおいが上る。過去のにおいである。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
通された部屋は薄暗く、しけるとみえて黴臭かびくさい。しばらくは誰もやって来ない。油断なくあたりをうかがっていると、一つを置いた奥の部屋で、ボソボソ話す声がした。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
座敷は両側とも雨戸を閉めて、蚊帳かやが一パイに釣ってあるので、化物屋敷のように暗い上に、黴臭かびくさいような、小便臭いような臭気においが、足を踏み込むと同時にムッとした。
空を飛ぶパラソル (新字新仮名) / 夢野久作(著)
或はロマンティックな黴臭かびくささに陥らないためか、なかなか面白い問題であるが、しかしその演奏を聴くと、単に楽員の優秀なためばかりではなさそうで、ストララムの才能に
醤油樽の黴臭かびくさい戸棚の隅に首を突込んで窮屈な仕事をしたことや、主婦や女中に昼の煮物を分けて貰って弁当を使ったことや、その頃は嫌だった事が今ではむしろなつかしく想い出される。
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
私達は黴臭かびくさい真暗な廊下を幾曲いくまがりかしてとある広い部屋に通された。外観の荒廃している割には、内部は綺麗に手入れがしてあったけれど、それでも、どこやら廃墟といった感じをまぬがれなんだ。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
修学証書や辞令書のようなものの束ねたのを投げ出すと黴臭かびくさい塵が小さな渦を巻いて立ち昇った。
厄年と etc. (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
黴臭かびくさいにおいと、軽い樟脳しょうのうみたような香気が一緒になった中から、どこともなく奥床おくゆかしい別の匂いがして来るようであるが、なおよく気を落ち付けて嗅ぎ直して見ると
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
物置の床をいで、暗いだんだんを下ると、中は石と材木で畳んだ道で、それを二三間行ったところにかしち果てた扉があって、押し開けると中は四畳半ほどの黴臭かびくさい穴蔵、一方の隅に寄せて
銭形平次捕物控:124 唖娘 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
宗教などという黴臭かびくさいと思われるものに関る気はないし、そうかといって、夫人のいったまこととかまごころとかいうものを突き詰めて行くのは、安道学らしくて身慄みぶるいが出るほど、怖気おぞけが振えた。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
中には四五日前の通りに味噌桶が行列して、黴臭かびくさい味噌の臭気においがムンムンする程籠もっていた。
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)