馬場ばば)” の例文
その燕作は、いましも、三人の僧を早く早くとかしながら、朱雀すざく馬場ばばを右にそって、しだいに道をてんおかの方角へとってけている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秋骨君が言う処おおいにわが意を得たものである。こはただちに移して代々木よよぎ青山あおやまの練兵場または高田たかた馬場ばば等に応用する事が出来る。
平吉はじめ五兵衞其外とも一同下られけり是より伊奈殿には手代てだい杉山すぎやま五郎兵衞馬場ばば三右衞門の兩人に幸手宿さつてじゆくの杉戸屋富右衞門を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
やがて馬場ばばを八分目ほど廻った頃をはかって手綱をゆるめると馬は思い存分くびを延ばしてずんずんおくれた馬から抜き出した。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
陸がはじめて長唄の手ほどきをしてもらった師匠は日本橋馬喰町ばくろうちょうの二世杵屋勝三郎で、馬場ばば鬼勝おにかつと称せられた名人である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
あるいぬ上刻じょうこく頃、数馬は南の馬場ばばの下に、うたいの会から帰って来る三右衛門を闇打やみうちに打ち果そうとし、かえって三右衛門に斬り伏せられたのである。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
おも城内じょうない馬場ばば稽古けいこしたのですが、のちには乗馬じょうば鎌倉かまくら実家帰さとがえりをしたこともございます。従者じゅうしゃ男子だんしのみではこまりますので、一人ひとり腰元こしもとにも乗馬じょうば稽古けいこいたさせました。
その時の御先立おさきだちには、山村甚兵衛じんべえ馬場ばば半左衛門はんざえもん千村ちむら平右衛門へいえもんなどの諸士を数える。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この、喬之助、魚心堂、お絃の三人組と、天童利根太郎、鏡丹波をかしらに源助町から押して来た五十七名とが出会ったのが、瘤寺に近い富士見ふじみ馬場ばば、ソロソロ東が白もうという頃であった。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
かれは城下じょうか馬場ばばはずれに立って、さらまわしの大道芸人だいどうげいにん口上こうじょうをまね、れいの竹生島ちくぶしま菊村宮内きくむらくないからもらってきた水独楽みずごま曲廻きょくまわしをやりだした。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清八は取り敢ず御鷹匠小頭こがしらより、人を把るよしを言上ごんじょうしけるに、そは面白からん、明日みょうにち南の馬場ばばおもむき、茶坊主大場重玄おおばじゅうげんを把らせて見よと御沙汰ごさたあり。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
平家は案の定、礪並山の山中、さる馬場ばばというところで腰を据え、馬に水をやって暫く休息することになった。
雑司ぞうし鬼子母神きしもじん高田たかた馬場ばば雑木林ぞうきばやし、目黒の不動、角筈つのはず十二社じゅうにそうなぞ、かかる処は空を蔽う若葉の間より夕陽を見るによいと同時に、また晩秋の黄葉こうようを賞するに適している。
城内じょうない仲間ちゅうげんなどのうわさによると、近ごろ、蛾次郎のやつめ、この馬場ばばの近所で水独楽みずごまというのをまわし、芸人げいにんのまねをして、ぜにをもらっては買いいをして歩きまわっているそうだが
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東の方は本郷ほんごうと相対して富坂とみざかをひかえ、北は氷川ひかわの森を望んで極楽水ごくらくみずへとくだって行き、西は丘陵の延長が鐘ので名高い目白台めじろだいから、『忠臣蔵』で知らぬものはない高田たかた馬場ばばへと続いている。
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
諫皷かんここけふかうしてとりおどろかずと申あへりいまもつぱら江戸えど大傳馬町おほでんまちやうより山王御祭禮さんわうごさいれいつゞみつくりもの出し祭禮の第一番に朝鮮てうせん馬場ばばにおいて上覽しやうらん是あるなり往古わうこ常憲院じやうけんゐんさま御代までは南傳馬町のさるのへいを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
僕「『はん馬場ばば』あたりはかたなしですね。」
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
欺き櫻井村にて右膳うぜん權内ごんない馬場ばば内にて源三郎七右衞門川越の町にて大坂屋七兵衞和久井わくゐ五兵衞千つか六郎兵衞大圓寺だいゑんじ自性じしやう寺其外寺院にて七ヶ寺都合廿七人金高二千八百兩出來しゆつたいせりさて千塚ちつか六郎兵衞は帳本ちやうもとにて金子は常樂院へ持參の上證文と引替ひきかへ約束やくそくにて伊賀亮に附從つきしたがひ川越を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)