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大傳馬町
諫皷苔ふかうして
鳥おどろかずと申あへりいまもつぱら
江戸大傳馬町より
山王御祭禮に
皷の
作りもの出し祭禮の第一番に
朝鮮馬場において
上覽是あるなり
往古常憲院さま御代までは南傳馬町の
猿のへいを
歸しけり
夫より長兵衞は
大傳馬町家主平右衞門方へ
行先達て
御話の
聟殿白子屋庄三郎方にて
貰ひ
度由故御世話下さるべし白子屋事は
材木町にて千三百
兩の
地面も
持居御屋敷方の出入
澤山有て
株敷は三千兩
程なり然れば五百
兩位は
持參ありても
宜しかるべし
殊更娘お熊は當年廿二歳にて
容貌もよく
承はれば
聟殿は
糺すは誠に
歎は
敷事なりと
種々利解有て
下られけれども
双方得心なければ是非なく
吟味とぞなりにける
頃は
享保十二年十月
双方惣呼出しの人々には白子屋庄三郎
並に
妻常娘熊番頭忠八
下男長助下女久同
菊聟又七
大傳馬町居付地主彌太郎
加賀屋長兵衞等なり
此砌髮結清三郎は
出奔して
行方知れず大岡殿彌太郎に向は