飄逸ひょういつ)” の例文
奇人にはちがいありませんが、洒脱しゃだつ飄逸ひょういつなところのない今様いまよう仙人ゆえ、讃美するまとはずれて、妙にぐれてしまったのだと思います。
平塚明子(らいてう) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
逸作は人生の寂しさを努めて紛らすために何か飄逸ひょういつな筆つきを使う画家であった。都会児の洗練透徹した機智は生れ付きのものだった。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
明珍さんは、丹念で非常に正直な人だから修繕ものには実によく、苦労した人だが毒のない飄逸ひょういつな人だったから奈良で人望を得た。
回想録 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
くみやすし——とも観ていないであろうが、時折、飄逸ひょういつをあらわしたり、馬鹿を見せたりするので、交際つきあいいい男としているのは事実である。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父のすることはこの子には、率直というよりも奇異に、飄逸ひょういつというよりもとっぴに、いかにも変わった人だという感じをいだかせたらしい。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あの降参が如何にも飄逸ひょういつにして拘泥しない半分以上トボケて居る所が眼目であります。小生はあれが掉尾とうびだと思って自負して居るのである。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
狩野派、土佐派、何々流式の線や色の主張も、飄逸ひょういつも、洒脱しゃだつも、雄渾も、枯淡も棄て、唯一気に生命本源へ突貫して行く芸術になってしまった。
能とは何か (新字新仮名) / 夢野久作(著)
没入させてしまい何の雑念にもわずらわされないといった風な飄逸ひょういつな心境がきいているうちに自然とこちらへのりうつるので
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
年の頃は、まだ三十幾つだろうが、その俳諧師らしい風采ふうさいが、年よりはけて見せた上に、言語挙動のすべてを一種の飄逸ひょういつなものにして見せる。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あるいは一種の関係に突兀とっこつと云う名を与え、あるいは他種の関係に飄逸ひょういつと云う名を与えて、突兀的情操、飄逸的情操と云うのを作っても差支さしつかえない。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ニキーチナ夫人は、鼻のさきが一寸上向きになっている容貌にふさわしいどこか飄逸ひょういつなところのある親愛な目つきで、場所なれない伸子を見ながら
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
絵は飄逸ひょういつをねらってやや俗になっているが、下手へたではない。それに「木まくらのかどは丸山たおやめに心ひかるるみつうちの髪」という狂歌のさんがしてある。
甚だ飄逸ひょういつ自在、横行闊歩かっぽを極めるもので、あまりにも専門化しすぎるために、かなり難解な文学に好意を寄せられる向きにも、往々おうおう、誤解を招くものである。
FARCE に就て (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
「昔の軍人いくさにんも案外話せるね。蛸石というと何となく飄逸ひょういつだ。振袖石なんて如何にも優長ゆうちょうな名前じゃないか?」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
三人の兄弟のだれと思い比べてみても、どこか世間をはなれたような飄逸ひょういつなところのある点でいちばん父の春田居士しゅんでんこじ風貌ふうぼうを伝えていたのではないかと私には思われる。
亮の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
南玉は、いつもの、飄逸ひょういつさを、すっかり無くしていた。庄吉も、深雪も、黙って、俯向いていた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
巣箱の大屋さんから、あの飄逸ひょういつなる尻尾しっぽのない鳥だけが、うとまれているのである。それはまたどうしてかと尋ねて見ると、池に飼ってある魚を狙って、始末にいけないという話であった。
近頃四谷に移住うつりすみてよりはふと東坡とうばが酔余の手跡しゅせきを見その飄逸ひょういつ豪邁ごうまいの筆勢を憬慕けいぼ法帖ほうじょう多く購求あがないもとめて手習てならい致しける故唐人とうじん行草ぎょうそうの書体訳もなく読得よみえしなり。何事も日頃の心掛によるぞかし。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
芭蕉の書体が雄健で闊達かったつであるに反して、蕪村の文字は飄逸ひょういつで寒そうにかじかんでいる。それは「炬燵こたつの詩人」であり、「炉辺ろへんの詩人」であったところの、俳人蕪村の風貌を表象している。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
椿岳の伝統を破った飄逸ひょういつな画を鑑賞するものは先ずこの旧棲を訪うて、画房や前栽せんざいただよう一種異様な蕭散しょうさんの気分に浸らなければその画を身読する事は出来ないが、今ではバラックの仮住居かりずまい
飄逸ひょういつなこころの法悦は、一見この観音とはなはだしく異なるように思える。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
加うるに高貴の御血筋とも思えぬ程の飄逸ひょういつな御気象に渡らせられたところから、大名共の手土産高を丹念な表に作り、これを道中神妙番付と名づけ、上から下へずっと等級をつけておいて、兎角
一度はしゃちほこのような勇ましさで空を蹴って跳ねあがったかとおもうと、次にはかっぽれの活人形いきにんぎょうのような飄逸ひょういつな姿で踊りあがり、また三度目にはえびのように腰を曲げて、やおら見事な宙返りを打った。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
どの品にも一風流あって面白いが、わけてこのかえるの絵を描いた松風の歌の茶道具一揃いが俗を離れて飄逸ひょういつじゃ。これを貰って行くことにしよう。
ある日の蓮月尼 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
松雪院は今まで何となく餘所々々よそ/\しかった夫の態度が、此の飄逸ひょういつな坊主のおかげで確かに打ち解けて来たように感じ、ひとしお道阿弥を贔屓ひいきにした。
それも懐素のような奇怪な又飄逸ひょういつなものではありません、もっと柔らかに、もっと穏やかに、そうして時々粋な所をほのめかすといったような草書です。
木下杢太郎『唐草表紙』序 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
飄逸ひょういつな処があって、皮肉も云えば、冗談も云って、友達を笑わすような、面白い処もあった。
北村透谷の短き一生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
父は、島人から村長さんと名づけられているほどのんきで飄逸ひょういつな、長い白いひげをしごいている。木魚の顔のおじいさんはムンヅリと、そのくせゲラゲラと声をださないで崩れた顔を示す。
杖に袋をかけた布袋がおどっている武蔵にしてめずらしく飄逸ひょういつな図である。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それでいてほとんど俗世の何事も知らないような飄逸ひょういつなふうがあった。
亮の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
始終を眺めた退屈男は、えもいいがたいその飄逸ひょういつぶりに、悉く朗かになりながら、土州侯の行列が通り過ぎてしまったのを見すますと、腰低くつかつかと進みよって、いんぎんに呼びかけました。
この先生が飄逸ひょういつで、ざっかけで、ちょくで、気が置けない人柄である上に、お医者の方にかけては、江戸でも鳴らしている大家であるというような信頼もあるし、当然その脱線も脱線とは受けとれず
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
円通の方は無頓着、飄逸ひょういつという方です、或る人がの禅僧に書を頼んだ事がありました。
茶屋知らず物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
若冲の図は大抵精緻せいちな彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼きがねなしの一筆ひとふでがきで、一本足ですらりと立った上に、卵形たまごなりの胴がふわっとのっかっている様子は、はなはだ吾意わがいを得て、飄逸ひょういつおもむき
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もっと老人としよりなのか、もっと若いのか、見当のつかない男で、話せば飄逸ひょういつで元気で、わけて若い者をつかまえ、女ばなしなどは好きだし——風貌だけで見れば、歯は抜けているし、すこし猫背だし
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だん/\近づくに随い、ろくろ首の目鼻はあり/\と空中に描き出され、泣いて居るような、笑って居るような、眠って居るような、何とも云えぬ飄逸ひょういつな表情に、見物人は又可笑おかしさに誘われます。
幇間 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
飄逸ひょういつな、片岡源五右衛門かたおかげんごえもんがいった。
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、飄逸ひょういつな片岡源五右衛門が
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)