薨去こうきょ)” の例文
七月の二十六日には、江戸からの御隠使ごおんしが十二代将軍徳川家慶いえよし薨去こうきょを伝えた。道中奉行どうちゅうぶぎょうから、普請鳴り物類一切停止の触れも出た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのころ西氏は脳疾で、あらゆる御役を引いて、間もなく大磯おおいそへ引移られました。三十年の一月に大磯で薨去こうきょされ、男爵を授けられました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
宮が薨去こうきょになってあれきり見られぬことになったのは残念であると口々に話し合っていた時にも、宮のお心は動かずにいるはずもなかった。
源氏物語:48 椎が本 (新字新仮名) / 紫式部(著)
子供等と志村しむらの家へ行った。崖下の田圃路たんぼみちで南蛮ぎせるという寄生植物を沢山採集した。加藤首相痼疾こしつ急変して薨去こうきょ
震災日記より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この好文亭は水戸烈公が一夜忽然こつぜんとして薨去こうきょされたところで、その薨去が余り急激であったため、一時は井伊掃部頭いいかもんのかみの刺客の業だと噂されたという事だ。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
薨去こうきょらせを、太閤は、名護屋なごやの陣で知ったのである。彼は生涯の大事業としている朝鮮役の出征にかかっていた。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
推古天皇の三十年二月二十二日に聖徳太子が薨去こうきょあらせられたので、妃の橘大女郎哀傷追慕のおもいやるかたなく
痀女抄録 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
太子薨去こうきょの後、御遺族は悉く蘇我入鹿そがのいるかのため滅ぼされ、斑鳩宮もむろん灰燼かいじんに帰したのであるが、およそ百年後の奈良朝にいたって再建された夢殿が
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
大猷院様だいゆういんさまにもご薨去こうきょのみぎり、天下なんとなく騒がしく、人心恟々きょうきょうのおりからでござれば、なにとぞ伯父上におかれましても、由縁ゆかりの知れぬ浪人など」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
して見ればこの人の薨去こうきょは文永四年で北条時宗ときむね執権の頃であるから、その時分「げほう」と称する者があって
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
先年侯井上が薨去こうきょした時、侯の憶い出ばなしとして新聞紙面を賑わしたのはこの鹿鳴館の舞踏会であった。
鶴見はその『伝暦』を見て、太子薨去こうきょの時の宝算ほうさんが四十九歳、または五十歳でおわしたことを知った。
嘉永六年七月には徳川家慶いえよし薨去こうきょしたので、七月二十二日から五十日間の鳴物なりもの停止ちょうじを命ぜられた。
太子薨去こうきょに対する万感をこめての痛惜やる方ない悲憤の余り、造顕せられた御像と拝察せられ、他の諸仏像とは全く違った精神雰囲気が御像を囲繞いじょうしているのを感ずる。
美の日本的源泉 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
彼自身は承久乱の年は六十歳で、その翌貞応じょうおう元年従二位に昇ってから、六十六で正二位、七十一歳で権中納言に就き、七十二歳で出家、仁治にんじ二年八月、八十歳を以て薨去こうきょした。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
西南の役に当たり兵馬倥偬こうそうの際に、矯激の建白書を捧げ、平和の手段をもって暗に薩州の叛軍に応じたるかの土州民権論者は、大久保参議の薨去こうきょを見てふたたびその気焔を吐き
近時政論考 (新字新仮名) / 陸羯南(著)
薨去こうきょの年の夏、或る月の明かな夜、五更ごこうが過ぎて天がまだ全く明けきらない頃、延暦寺えんりゃくじ第十三世の座主ざす法性房ほっしょうぼう尊意そんいが四明が嶽の頂に於いて三密さんみつの観想をらしている時であった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ナリン殿下容態御佳良かりょうナラズ。最善ノ施設ヲもっテ船上御手当中ついニ本日午後七時二十七分、西経百三十三度四分北緯三十二度六分桑港サンフランシスコへだタル海上八百三マイルノ洋上ニ於テ薨去こうきょ遊バサル。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだがかなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去こうきょを、落ちるととなえ、人間の寂滅じゃくめつをごねると号している。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
徳川家定は八月二日に、「少々御勝不被遊おんすぐれあそばされず」ということであったが、八日にはたちま薨去こうきょの公報が発せられ、家斉いえなりの孫紀伊宰相慶福よしとみが十三歳で嗣立しりつした。家定の病は虎列拉であったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
今日の新聞は徳川慶喜とくがわよしのぶ公の薨去こうきょを報じています。徳川公の本邸は小石川の第六天にあります。あの辺は、夜分などはさびしいところです。そこで第六天を思い出してこの句に使ったのであります。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
溝渠の話なんぞはないが、薨去こうきょの話ならあるのだて。
御発狂次いで薨去こうきょと事がはかどりました。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
◯閑院宮殿下が薨去こうきょされた。
海野十三敗戦日記 (新字新仮名) / 海野十三(著)
意外にも、その上請をしないうちに、将軍は脚気かっけにかかって、わずか五年を徳川十三代の一期として、にわかに薨去こうきょした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
しかもお若くて御退位をあそばされたあとでは、藤壺の女御にもう光明の夢を作らせる日もなくて、女御は悲観をしたままで病気になり薨去こうきょしたが
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
諸王諸臣の厚い御看護と祈願にもかかわらず、上宮太子じょうぐうたいしは推古天皇の三十年二月二十二日夜半薨去こうきょされた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
魏王の薨去こうきょが伝わって、全土の民は、天日を失ったごとく、震動哀哭しんどうあいこく、職も手につかない心地である。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明治節の朝、朝香宮あさかのみや妃殿下の薨去こうきょが報ぜられた。風が寒かったが日は暖かであった。上野から省線で横浜へ行って山下町やましたちょうの海岸のプロムナードで「汽船のいる風景」をながめた。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
正治元年千幡八歳のとき、父が相模川さがみがわの大橋の落成式に行って、馬から落ちたのがもとで急に薨去こうきょした。兄頼家よりいえが二代将軍となったが、建仁三年辞し、千幡は十二歳で将軍となり実朝と改めた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
将軍家薨去こうきょの直後において、京師の公卿の公達きんだちを迎え、立てて十一代の将軍とし、自身大老の職につき、積極政策、開放主義を、武断的に独力専行し、行き詰まっている日本現在の、国防、経済
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
今は心も目も暗闇くらやみのうちのような気のあそばされる院でおありになった。女王は十四日に薨去こうきょしたのであって、これは十五日の夜明けのことである。
源氏物語:41 御法 (新字新仮名) / 紫式部(著)
と断わって、なんと言っても忘れがたいのは嘉永かえい六年の六月に十二代将軍の薨去こうきょを伝えたころだと言い出した。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
幼少より存じあげ、かたがた、薨去こうきょの当夜まで、お枕べに近い控えの間にいて、夢寐むびのまもなきおくるしみや折々のおん譫言うわごとさえ洩れ伺うておりました。いささか御胸中を
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上宮太子が薨去こうきょされてからおよそ九十年、元明げんめい天皇が平城京に都を定められた頃は、内外の紛争もようやく下火となり、わが国富と諸々もろもろの芸文は益々ますます増大充実してきた頃であった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
九条家が勢力を得たのは建仁二年十月二十一日に内大臣通親が突然薨去こうきょしてからのことで、これは『新古今集』竟宴の行われた元久二年から足かけ四年前のことで、定家はすでに四十一であった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
物狂わしく叫びながら、将軍家光薨去こうきょした。年齢四十八歳である。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この時分に太政大臣が薨去こうきょした。国家の柱石であった人であるからみかどもお惜しみになった。源氏も遺憾いかんに思った。
源氏物語:19 薄雲 (新字新仮名) / 紫式部(著)
家茂いえもち薨去こうきょの後は、尾州公か紀州公こそしかるべしと言って、前将軍の後継者たることをがえんじなかった人である。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
正平十三年四月三十日のこく(ま夜中)と、その薨去こうきょは、幕府から公布された。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「大塔宮様ご薨去こうきょとな⁈ 大塔宮様ご昇天とな⁈」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
たといこれを江戸へ持ち出して見たところで、家茂公薨去こうきょ後の混雑の際では採用されそうもない。やがて大坂から公儀衆が帰東の通行も追い追いと迫って来る。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
以前は宮様を仏道の導きとしておたずねしていたものですが、お心細くお見えになるようになった御薨去こうきょ前になって、お二方の将来のことを私の計らいに任せるというような仰せがあったのですよ。
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
同年九月七日の夜、将軍家治薨去こうきょした。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
十四代将軍家茂いえもち薨去こうきょが大坂表の方から伝えられたのは、村ではこの凶作で騒いでいる最中である。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)