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至
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いたっ
ふりがな文庫
“
至
(
いたっ
)” の例文
其不在中は全く独立自営を主とし、官馬を返納して一家計を細く立て、其及ぶ限を取らんと决したるも、ココに
至
(
いたっ
)
ては官馬は斃るるも
関牧塲創業記事
(新字新仮名)
/
関寛
(著)
第七
茶粥
(
ちゃかゆ
)
と申すのは
至
(
いたっ
)
て淡泊なもので、これは最初によくほうじた番茶を袋に入れて水と
一緒
(
いっしょ
)
によく
煎出
(
にだ
)
して
一旦
(
いったん
)
その袋を
揚
(
あ
)
げます。
食道楽:秋の巻
(新字新仮名)
/
村井弦斎
(著)
二十間ばかり東に離れて山腹を切り取った一坪位の平に
均
(
なら
)
された所に、栂の枝で造った
至
(
いたっ
)
て無造作な猟師の
鳥屋
(
とや
)
のようなものが立っていた。
奥秩父の山旅日記
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
先生の
親友
(
しんゆう
)
に
高橋順益
(
たかはしじゅんえき
)
という
医師
(
いし
)
あり。
至
(
いたっ
)
て
莫逆
(
ばくげき
)
にして
管鮑
(
かんぽう
)
啻
(
ただ
)
ならず。いつも二人
相
(
あい
)
伴
(
ともな
)
いて予が家に来り、
互
(
たがい
)
に
相
(
あい
)
調謔
(
ちょうぎゃく
)
して
旁人
(
ぼうじん
)
を笑わしめたり。
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
喜憂栄辱は常に心事に
従
(
したがっ
)
て変化するものにして、その
大
(
おおい
)
に変ずるに
至
(
いたっ
)
ては、昨日の
栄
(
えい
)
として喜びしものも、今日は
辱
(
じょく
)
としてこれを
憂
(
うれう
)
ることあり。
旧藩情
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
▼ もっと見る
自分なぞはいわゆる茶の湯者流の儀礼などは
塵
(
ちり
)
ばかりも知らぬ者であるけれども、利休がわが
邦
(
くに
)
の趣味の世界に与えた恩沢は今に
至
(
いたっ
)
てなお存して
骨董
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
しかしながら神の心に
至
(
いたっ
)
ては、天然も歴史も我らに教うる所がない。神の心に関する知識に至ては、我らは全然神の啓示に待たなければならない。
ヨブ記講演
(新字新仮名)
/
内村鑑三
(著)
われに
好
(
よ
)
き
計略
(
はかりごと
)
あり、及ばぬまでも試み給はずや、
凡
(
およ
)
そ
狐
(
きつね
)
狸
(
たぬき
)
の
類
(
たぐい
)
は、その
性質
(
さが
)
至
(
いたっ
)
て
狡猾
(
わるがしこ
)
く、
猜疑
(
うたがい
)
深き獣なれば、
憖
(
なまじ
)
いに
企
(
たく
)
みたりとも、
容易
(
たやす
)
く捕へ得つべうもあらねど。
こがね丸
(新字旧仮名)
/
巌谷小波
(著)
元禄時代に雅語、俗語相半せし俳句も、
享保
(
きょうほ
)
以後無学無識の徒に
翫弄
(
がんろう
)
せらるるに
至
(
いたっ
)
て雅語漸く消滅し俗語ますます用ゐられ、意匠の野卑と相待て純然たる俗俳句となりをはれり。
俳人蕪村
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
冬の事で、
四隣
(
あたり
)
は
至
(
いたっ
)
て静かなのに、
鉦
(
かね
)
の
音
(
ね
)
が淋しく
聞
(
きこ
)
える、私は
平時
(
いつ
)
も、店で書籍が積んである
傍
(
かたわら
)
に、寝るのが例なので、その晩も、用を
終
(
しま
)
って、
最早
(
もう
)
遅いから、例の如く一人で
床
(
とこ
)
に入った。
子供の霊
(新字新仮名)
/
岡崎雪声
(著)
甲州路は
至
(
いたっ
)
て平板単調であるが、秩父道は新旧両道ともそれぞれ別様の趣があって面白い。然し頂上附近では、秩父側は少しも眺望がきかぬ。
秩父の奥山
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
依て六七貫目以上の重量に
至
(
いたっ
)
ては、強て耐忍する時は両肩は其重さにより
圧
(
お
)
されて、其
疼
(
いた
)
みに
耐
(
たゆ
)
る事能わざるを以て、其重さに困る事を知るも
関牧塲創業記事
(新字新仮名)
/
関寛
(著)
一体塾生の乱暴と云うものは
是
(
こ
)
れまで申した通りであるが、その塾生同士
相互
(
あいたがい
)
の
間柄
(
あいだがら
)
と云うものは
至
(
いたっ
)
て仲の
宜
(
よ
)
いもので、決して
争
(
あらそい
)
などをしたことはない。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
飾って実用の装飾というからは天下何者か実用ならざらん。君はここに
至
(
いたっ
)
て我党の主義に降参したかね
食道楽:冬の巻
(新字新仮名)
/
村井弦斎
(著)
ヨブの苦闘が進んでパウロの救主発見に
至
(
いたっ
)
て、苦痛は苦痛でなくなるのである。キリストが心に宿るに至って、人の慰藉を待たずして苦痛に堪え得るに至るのである。
ヨブ記講演
(新字新仮名)
/
内村鑑三
(著)
夫人
云
(
い
)
わるるよう、この頃
用便
(
ようべん
)
が
至
(
いたっ
)
て近くなりまして、いつもあの通りで
困
(
こま
)
りますと。
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
そのヤマトフに
遇
(
あっ
)
て見たいと思うけれどもなか/\
遇
(
あ
)
われない。
到頭
(
とうとう
)
逗留中出て
来
(
こ
)
ない。出て来ないがその接待中の模様に
至
(
いたっ
)
ては
動
(
やや
)
もすると日本風の事がある。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
そして十九章に
至
(
いたっ
)
ては遂に贖い主の実在を確信するに至り、それが神にして他日地の上に立つことを予知するに至る。「われ知る」といいてその確信の言たるを言い表わしたのである。
ヨブ記講演
(新字新仮名)
/
内村鑑三
(著)
この日、先生
頗
(
すこぶ
)
る
心
(
こころ
)
能
(
よ
)
げに
喜色
(
きしょく
)
眉宇
(
びう
)
に
溢
(
あふ
)
れ、言語も
至
(
いたっ
)
て
明晰
(
めいせき
)
にして
爽快
(
そうかい
)
なりき。
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
紳士の床の間は尽くこれ偽物の展覧会さ。心ある者に見せたらばかえってその主人の
粗忽
(
そこつ
)
にして不風流なるを笑われる位だ。西洋の油画にはマサカこんな事はない。その代り名画は
至
(
いたっ
)
て少い。
食道楽:春の巻
(新字新仮名)
/
村井弦斎
(著)
尾根は白檜の森林が時折東からも西からも延び上って、中央の部分で結び付いていることもあれど、概して東側に草地が続いて、尾根上の平な所には多くは小池が存在する。歩行も
至
(
いたっ
)
て楽である。
利根川水源地の山々
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
是等の事実を見ても、井伊大老は真実間違いもない徳川家の譜代、豪勇無二の忠臣ではあるが、開鎖の議論に
至
(
いたっ
)
ては、
真闇
(
まっくら
)
な攘実家と
云
(
い
)
うより
外
(
ほか
)
に評論はない。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
ここに
至
(
いたっ
)
て客の小山笑い出し「アハハ君の攻撃も随分皮肉だね。それでは家庭教育論が文学論になってしまう」中川「イヤさ、これが家庭教育に大関係あり。文明の進歩した清潔なる家庭に果して
能
(
よ
)
く
猥褻
(
わいせつ
)
なる小説や
淫靡
(
いんび
)
なる文学を ...
食道楽:冬の巻
(新字新仮名)
/
村井弦斎
(著)
特にその勉強するところのものは算筆に
在
(
あり
)
て、この技芸に
至
(
いたっ
)
ては上等の
企
(
くわだ
)
て及ぶところに非ず。
旧藩情
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
“至”の意味
《名詞》
(context、units of measure)数量を表す単位。1至は1035494216806390423141907689750528を表す。
(出典:Wiktionary)
至
常用漢字
小6
部首:⾄
6画
“至”を含む語句
至当
乃至
至極
大至急
至誠
冥加至極
至難
至當
必至
奇怪至極
至急
尤至極
至情
至善
至親
至要
至願
卑怯至極
夏至祭
四至
...