畿内きない)” の例文
大坂石山本願寺の頑強な交戦力は、信長がいかに畿内きないの陸上から包囲しても、その交通路を遮断しゃだんしても、すこしも衰えるふうがない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
畿内きない、東海、東山、山陰、山陽、北陸、南海と、彼は漂泊さすらいの旅路に年を送り年を迎え、二十七の年まで空虚な遍歴の旅を続けた。
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
左程長くはないが、信吾とは随分親密な間柄で、(尤も吉野は信吾を寧ろ弟の様に思つてるので)この春は一緒に畿内きないの方へ旅もした。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
今度の暴風で畿内きない地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみればこの事は了解されるであろう。
天災と国防 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
京阪の迷信とともに、畿内きないの迷信もあわせて述べておこうと思う。まず、泉州せんしゅう堺市の南宗寺という寺に利休の碑があるそうだ。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
また九州地方きゆうしゆうちほうからはひとつもたことはなく、おも畿内きないから東海道方面とうかいどうほうめんにかけておほ發見はつけんされるのであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
安芸あき等、畿内きないから山陽道にわたって漂うのを常とし、これらの地を蚊が襲うようになると、彼等は東海道と東山道、或いは山陽道と山陰道との山脈間の村落
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
われ/\は、とほみやこはなれた地方ちほうなが距離きよりをば、こがれてやつてた。そして、いまこのときがつくと、この明石あかし海峽かいきようからうちらに、畿内きない山々やま/\えてゐる。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
また天平六年の大地震に当って、使を京及び畿内きないに遣わし、百姓の疾苦を問わしめられた折の詔の一節。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
吾山の『物類称呼』を見ても、稲扱きを畿内きないではゴケタフシ、越後えちごではゴケナカセと謂うとある。その説明は『和漢三才図会ずえ』に出ているのが最も要領を得ている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
自分の歌に畿内きないの景色や人事を歌うことが多くても、実際京都や大阪へ行ったことは十度にも満たないのであった。それだけにかえって深い印象が今に残っているのかも知れぬ。
私の貞操観 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
公使の一行が進んで行ったところは、広い淀川の流域から畿内きない中部地方の高地へと向かったところにあるが、あいにくと曇った日で、遠い山地の方を望むことはかなわなかった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
寛正かんしょう二年には、畿内きない河内かわちの国で畠山兄弟の家督をめぐる戦争が終りそうもないので、そのために都近くも物情騒然となったが、そのうえ、春のころから悪性の流行病がまんえんして
大和やまとめぐりとは畿内きないでは名高い名所めぐりなのだ。
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
夏中を、京都に近い畿内きないのある山の上に過した。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
その藤吉郎が、室町幕府最後の始末がすむかすまないうちに、疾風しっぷうのごとく畿内きないの戦場からひっ返し、また直ちに、岐阜へむかって
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やまとしまといふのは、天皇てんのう御領地ごりようちあるひは、自分じぶんしたしいくにのことを、しまといつた時代じだいに、やまとのくにあるひは、畿内きないくにをさして、やまとしまといつたのです。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
畿内きないの話が東海道に移ったから、東海の迷信談をすることにする。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
織田家の立場というものは今、中国や関東方面や北越をべつとしても、この畿内きないにおいてすでに、非常に危ない複雑さをもっている。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし人は、この身をさして、新当流の奥儀おうぎに達した者とかいう。畿内きない第一の剣であるなどとも噂する。いよいよもって恥かしい。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃——人皇第六十代、醍醐帝の皇紀一五九〇年という時代の日本のうちでは、畿内きないのそとはもう“外国”といったものである。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
などと果てしない噂も生じ、いずれにせよ、畿内きないはもちろん、中国方面でも、関東でも北越でも、地上に戦いの行われない所はなくなるであろう。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
げんに鎌倉の二万余騎も、畿内きないから洛中にふみとどまって、万一に待機しながら、ごった返しの軍政下にあるのである。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これらは、主軍というもので、ほかにも幕令をうけた畿内きない五ヵ国の兵や、東海、山陽、山陰の兵などが、おくれせにも参加したのはいうまでもない。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たまたま、信忠や他の将が、援軍に参っても、畿内きないや京地のうしろに不安があって、長居もできぬ有様ではないか。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかるに、ここに泉州せんしゅうさかい住人じゅうにん一火流いっかりゅう石火矢いしびや又助流またすけりゅう砲術ほうじゅつをもって、畿内きないに有名な鐘巻一火かねまきいっかという火術家かじゅつか
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戦前すでにくわしい“柳斎情報”を握ッていたからではあるが、彼自身も、四月よつきにわたる畿内きない遊撃のあいだに、正成の郷土の衆望や人間の奥行きについては
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
オルガンチノは伊太利イタリア生れの伴天連ばてれんだった。平戸ひらど長崎ながさきあたりはいうまでもなく、さかい安土あづち、京都、畿内きないのいたる処にも無数の宣教師が日本に渡っていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瀬田はひがしの関門だが、都の西の八幡やわた、山崎はもっと重要である。畿内きない、西国街道へののどくびなのだ。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「神取新十郎は、五畿内きない随一の兵法者。その人から、新当流の奥旨をうけられながら、なお御不足かの」
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、当座の平穏を見こして、藤吉郎はひそかに横山城を出、畿内きないから京地をすこしばかり巡遊していた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西の宮から先、鹵簿ろぼは、正成以下の畿内きないの兵数千が露ばらいして進み、六月五日の夕、東寺とうじに着いた。
とはいえ、その五郎右衛門といい、宗矩といい、おそらく畿内きないの剣人では、比肩ひけんし得る者はなかった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
畿内きないの戦場へ共に出よとは決して申さぬ。ただ高氏の質子ちしをこれへ留めおくゆえ、お身はこのまま伊吹にあって、素知らぬ顔で見ていてくれ。高氏のする仕事を」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
禁門外の京中はもちろん、畿内きない、全国の司法も、地方には地方の検非違使を任命してある。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
留守の義詮は、畿内きないの兵で充分討てる。それに先だって、後村上天皇は賀名生あのう行宮あんぐうを立たれ、都へ還幸の鳳輦ほうれんをすすめる。等々、親房の指令は、九州にまでおよんでいた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はいやしくも一城のあるじ、若年ながら摂津せっつの尼ヶ崎にって、よく士気を治め、畿内きないの老雄に呼びかけ、胆斗たんとの如き男です。お味方にとって最も怖るべき敵のひとりでしょう。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岐阜ぎふへ早打ちが着いた。本国寺の変や、畿内きないにうごく残党軍の状態が報じられたのである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一揆いっき煽動せんどうしておいて、北からは浅井、朝倉の兵を呼び、南からは長嶋の一向宗徒を糾合きゅうごうし、石山本願寺の門徒兵や、叡山や、また畿内きないの三好、その他の残党もあつめ、一挙に
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
畿内きない洛中も、まずは宮方一色に風靡ふうびされたが、いつまた、意外な兵変を見ぬ限りでもない。——それのためには、下赤坂を復旧して、ふたたび木の根や草を食わぬ用意だの要害もる……
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
出羽や磐城いわき地方に叛乱しだし、九州でも、筑前から薩摩方面で、あなどりがたい猛威をふるい、畿内きないの近くでさえ、紀伊の飯盛山いいもりやまに叛徒がこもって「世を前代にかえせ」と騒ぎだしている。
畿内きないの繁栄地は、その人口や経済力に応じて、それぞれ上納をいいつけられた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きみ、おんみずから、このんで、御落去あったこと。まずは天道てんどうのはからいと申すべきか。いずれにせよ、畿内きないあたりに御座ぎょざあろうが、あとは自然と叡慮のままにおまかせ申しておけばよい。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかもそれにしては、伊勢、畿内きないの兵力だけで余りにここは手薄すぎた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「吉野、赤坂、金剛山。そのほか、畿内きない、中国、四国にも」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——筑前守様の御領下にいれば、何となく安心で、それに、同じ暮すにしても、陽気で、張合いが持てて、何となく励みがつく。——丹波、丹後、そのほか畿内きないも、住むにはもう安心だが、陽陰ひかげと陽なたほどな違いがある」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)