渾沌こんとん)” の例文
何か渾沌こんとんの気があって二二ガ四と割切れないところに心をかれるのか、それよりももっと真実なものがこの歌にあるからであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
それはあたかも、幻惑してる思想の中における渾沌こんとんたる物象に似ていた。それはいつも描き出され、またいつもけ合ってしまう。
しかし精神分裂症になれば理性の統制は失われ、人間の内蔵するさまざまの矛盾はそのまま外に現われて、人間は渾沌こんとんと化する。
キリスト教入門 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
むかし、ばらばらに取り壊し、渾沌こんとんふちに沈めた自意識を、単純に素朴に強く育て直すことが、僕たちの一ばん新しい理想になりました。
花燭 (新字新仮名) / 太宰治(著)
待って居たと云うと、己の意識はいかにもハッキリして居たようだが、その実一さい渾沌こんとんとして、霧のうちに包まれて居るのだった。
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
渾沌こんとんとした問題を処理する第一着手は先ず大きいところに眼を着けて要点をつかむにあるので、いわゆる第一次の近似である。
物理学の応用について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
渾沌こんとんとした世の中に生きてきたのですもの。せめて、私の美しい誇りだけは、夢でもいいから持たせていかせて下さいませ。
それは公明正大なる大統領ローズベルトの教書が、この旨義を宣言して遺憾無きものである。およそ事物は発生当時は渾沌こんとんとして唯一である。
日本の文明 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
「世情はまだ渾沌こんとんだわえ。夜明けるたびに、何が勃発しているか、油断もならん。イヤ、どえらい事になったものよ!」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同じくすぶった洋燈ランプも、人の目鼻立ち、眉も、青、赤、鼠色のの敷物ながら、さながら鶏卵たまごうちのように、渾沌こんとんとして、ふうわり街燈の薄い影に映る。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その騒しさが少年の心をいやが上にも刺戟した。まだ社会の裏面を渾沌こんとんとして動きつつあった思想が、時としては激情の形でほとばしようとすることがある。
それが、泣きれたひろ子の精神の渾沌こんとんを一条の光となって射とおした。ひろ子は、重吉の手をとって
風知草 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
汽車は目まぐるしいほどの快速力で走っていた。葉子の心はただ渾沌こんとんと暗く固まった物のまわりを飽きる事もなく幾度も幾度も左から右に、右から左に回っていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
わずかにでた南京豆なんきんまめの芽が豆をかぶつたままで鉢の中に五つばかり並んで居る。渾沌こんとん。(五月三十一日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
わたしは今、自分の病室で静かにあの当時のことを回想していると、一八八四年のあのシーズンのことどもが異様に明暗入り乱れて、渾沌こんとんたる悪夢のように見えてくる。
革命の渾沌こんとんたる開闢かいびゃくの時において、ぼろをまとい、怒号し、荒れ回り、玄翁げんのうをふり上げ、鶴嘴つるはしをふりかざし、狼狽ろうばいせる旧パリーに飛びかかって毛髪を逆立てたそれらの者は
あなたがもう一歩進めて、その渾沌こんとんたるものとはなんだと質問するなら、又私は窮さなければなりません。思想とも情緒ともつかない。——やつぱりまあ渾沌こんとんたるものだからです。
ここにも一見渾沌こんとんのごとく思われる動きのうちに、厳密な必然のあることが感ぜられる。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
頃者このごろ我文学界は侠勇を好愛する戯曲的詩人の起るありて、世は双手を挙げて歓迎すなる趣きあり、侠勇をうたふの時代、未だ過ぎ去らざるか、そもそも他の理想未だ渾沌こんとんたる創造前にありて
徳川氏時代の平民的理想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
二人は中央の帝の渾沌こんとんを訪問した。渾沌は二人を歓迎し大へん優遇した。そこで客の二人は何とかして礼をしようと思い相談したことには、=人にはみな七竅しちきょうがある。それで視聴食息する。
荘子 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
独りわが現代文化の状況に至つてはそのおもむく処渾沌こんとんとして捕捉しがたし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
豆をいてながしただけでは、ただどろどろした渾沌こんとんたる豆汁まめじるです、つかみようがありません、しかしそこへにがりをおとすと豆腐になる精分だけが寄り集まる、はっきりとかたちをつくるのです
日本婦道記:不断草 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
広い、広い、渾沌こんとんたる支那内地に居住する外国人の多くは、この硬派か軟派かを本当の仕事としていた。英国人もそれをやった。フランス人もそれをやった。ドイツ人もスペイン人もそれをやった。
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
「儲かる口もあるが、儲からない口もある。再び渾沌こんとん時代さ」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
渾沌こんとんとしたはじめにかへる
智恵子抄 (新字旧仮名) / 高村光太郎(著)
不安、愛着、悔恨、すべて渾沌こんとんたる悩みが、心のうちでぶつかり合った。彼は万事について自分をとがめた。自己嫌悪の情に圧倒された。
宇宙はコスモス(秩序)であって、カオス(渾沌こんとん)ではない。それであってこそ、科学の成り立ちうる根底があるのであります
キリスト教入門 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
吾人が事象に対した時に、吾人の感官が刺戟されても、無念無想の渾沌こんとんたる状態においては自分もなければ世界もない。
文学の中の科学的要素 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
我輩はこの時代の欧羅巴ヨーロッパの思想上の革命と、社会の渾沌こんとんたる有様を想像する度に、近来我が国に於ける文明輸入の有様を連想せざるを得ないのである。
文明史の教訓 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
私はわば地球の外部だ。単純に見るとそこには渾沌こんとんと単一とがあるばかりとも思われよう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
彼は十九歳の冬、「哀蚊あわれが」という短篇を書いた。それは、よい作品であった。同時に、それは彼の生涯の渾沌こんとんを解くだいじなかぎとなった。形式には、「ひな」の影響が認められた。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
はじめは双六すごろくの絵を敷いた如く、城が見え、町が見え、ぼうとかすんで村里むらざとも見えた。やがて渾沌こんとん瞑々めいめいとして風の鳴るのを聞くと、はてしも知らぬ渺々びょうびょうたる海の上をけるのである。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
刹那せつな永劫えいごうに廻転する。なぜかなれば普遍の生命は流動しているからである。もろもろの感覚によって起される執著がもととなり種子たねとなって幻想の渾沌こんとんを構成する。渾沌は渦動する。
あの名魚「秋錦しゅうきん」の誕生たんじょうは着手の渾沌こんとんとした初期の時代に属していた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それまでは十一の大区に分たれていたのである。私は柳北りゅうほくの随筆、芳幾よしいく錦絵にしきえ清親きよちかの名所絵、これに東京絵図を合せ照してしばしば明治初年の渾沌こんとんたる新時代の感覚に触るる事を楽しみとする。
そしてその歌調の渾沌こんとんとして深いのに吾々は注意を払わねばならない。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
面白いおはなしのこの上なく上手な話し手としての名誉と、矜恃きょうじとを失った彼女は、渾沌こんとんとした頭に、何かの不調和を漠然と感じる十二の子供として、夢と現実の複雑な錯綜のうちに遺されたのである。
地は饒なり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
破片となり塵芥じんかいとなり渾沌こんとんたるものとなってしまった。
頭が渾沌こんとんとしてしまって空廻りだ。
「形勢渾沌こんとんでございます」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
しかし、その先が渾沌こんとんだ。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今まではなるべくなら避けたく思った統計的不定の渾沌こんとんやみの中に、統計的にのみ再現的な事実と方則とを求めるように余儀なくされたのである。
量的と質的と統計的と (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
自分を吸い込んでゆく深淵を見まいとつとめた。それでもやはりその縁に身をかがめてのぞき込んだ。空虚の中に、渾沌こんとんたるものが動き、やみが揺めいていた。
みんなまざり合って渾沌こんとんとしていたころ、それでも太陽は毎朝のぼるので、或る朝、ジューノーの侍女のにじの女神アイリスがそれを笑い、太陽どの、太陽どの、毎朝ごくろうね
猿面冠者 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そして立花は伊勢は横幅の渾沌こんとんとして広い国だと思った。宵の内通った山田から相の山、茶店で聞いた五十鈴川、宇治橋も、神路山も、縦に長く、しかも心に透通るように覚えていたので。
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
けれどもそれらの不安や失望が常に私を脅かすにもかかわらず、太初はじめの何であるかを知らない私には、自身をいてたよるべき何物もない。凡ての矛盾と渾沌こんとんとの中にあって私は私自身であろう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
苦しい、孤独な渾沌こんとんの時代。この時代にもゴーリキイは写真がない。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
却って一種渾沌こんとんの調を成就しているのは偉いとおもう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
有るものは東洋風の渾沌こんとんとした無可有の世界だけです。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
渾沌こんとんたるものが即座に作った深淵しんえんであった。