いつ)” の例文
旧字:
卯月八日を山登りの日とする習慣は至って広く行われているらしいが、その外にも山にいつかかる有名な社にこの日を祭日とする例は多い。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
予もまたかかる畸形の岩を万一いわゆる基本財産次第で大社といつく事もあらば尊崇の精神を失い神霊を侮辱する訳になると惟う。
いつの戦にでも、その出陣には、春日山の城中で軍神をいつき祭り、武諦ぶたいの式を執り行って出ることは、上杉家のならわしである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つまり神にいつくように、粗末にせず、大切にする妻というので、出て来る珍らしい獲物えものの鹿を大切にする気持と相通じて居る。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
枚岡ひらをかいつき姫にあがる宿世すくせを持つて生まれた者ゆゑ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ、はゝはゝゝ。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
国幣小社なる水無神社ですら、往時は一の宮八幡とも一の宮大明神とも言い、法師別当らの水無大菩薩だいぼさつなど申していつき奉った両部の跡であった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
仏間が教室で良寛和尚をいつぎ、小さな図書室が表に、裏には琅玕荘ろうかんそうの別棟がある。琅玕荘では男女の小学教師たちが二、三十人ほど集まって私を待っていた。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
ついえた家臣の一団が、彼らの決意と信念をこの神々に象徴したというべきであろう。いや、一旦いったんいついてしまうや否や、神がそこにあって彼らを支配しているのであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
待酒を醸む場合に、女はまずその最初の杯の一杯を、やしろいつき祭ってある涙石に捧げた。それは祖父の山の祖神が命終のとき持てりしものの唯一の遺身かたみの品とされていた。
富士 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
奥の大巌おおいわの中腹に、祠が立って、うやうやしくいつき祭った神像は、大深秘で、軽々しく拝まれない——だから、参った処で、そのかいはあるまい……とくのを留めたそうな口吻くちぶりであった。
神鷺之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
是等の神が山其物を崇めたもので、当初から大己貴命おおなむちのみこと又は倉稲魂命うがのみたまのみことというように、祭神がいつかれていたものではなかったと思われることは、『延喜式』の祝詞のりとが之を語っているようである。
山の今昔 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
しら玉と名づくる塔にいつけるもしら玉ならずとがる砲弾
昔よりいつきまつる神等はこれ。
いつかむ日をし我は憂ふ。
信姫 (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
臨時に出来る神の形代が、段々意義を失うて、人の形代が多くなつて来る時代には、常住専ら偶人をいつく団体の信仰が異端視せられるに不思議はない。
国文学の発生(第二稿) (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
かく鼠が神の使となって人を苦しむるよりこれを静めんとて禁厭まじないを行うたり、甚だしきは神といつき祈った例もある。
寺では千手観音を本尊にしているが、而も山上に鏡※池というがあって、かたわらに善女龍王ぜんにょりゅうおう雨壺の三祠さんしいつ祈雨きうの神として仰がれていた(三国地志二十六)。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
御室みもろく」は、御室みむろいつくの意で、神をまつってあることであり、三輪山の枕詞となった。「隠口こもりく」は、こもくにの意で、初瀬の地勢をあらわしたものだが、初瀬の枕詞となった。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
おやおやのそのいにしへは神なれば人は神にぞいつくべらなる
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
観世音は永久とこしへにうらわかい町の処女に依ていつがれ
水郷柳河 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
この石塔をいつき込むもくろみだ。
縷紅新草 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いつかれむほのほのきさい
焔の后 (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
二上の寿詞よごともある処だが……。いつひめもいや、人の妻と呼ばれるのもいや——で、尼になる気を起したのでないかと思ひ当ると、もう不安で不安でなう。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
『記』に由って考うるに、この肥長比売は大物主神の子か孫で、この一件すなわち品地別命がかの神のつげにより、出雲にかの神をいついだ宮へ詣でた時の事たり。
臨時にこれをまつり、禰宜ねぎ神主かんぬし沙汰さたはない場合が多いが、これを無格社以上の社殿の中にいつくとすれば、すなわち神の名を大山祇命おおやまつみのみこと、もしくは木花開耶姫尊このはなさくやひめのみことといい
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
神をいつまつってある奥深い三輪山の檜原ひはらを見ると、谿谷けいこくふかく同じく繁っておる初瀬の檜原をおもい出す、というので、三輪の檜原、初瀬の檜原といって、檜樹の密林が欝蒼うっそうとして居り
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
ああ平和なごみ、我はも恋のさみし児か、神にいつきの
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
天二上あめのふたかみは、中臣寿詞なかとみのよごとにもあるし……。いつひめもいや、人の妻と呼ばれるのもいや——で、尼になる気を起したのでないか、と考えると、もう不安で不安でのう。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
自ら三千の鼠となって叡山を襲い、経典を食い破ったので、神にいつき祀ってこれをしずめたのだと。
つまりは斯邦このくにの有りと有る家々に、いつまつり申す神々の総称というべきものだった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ただめよ、ただ守れ、いつき死ぬまで
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ハヌマン像に戦士と侍者の二態あり。前者はこの神を本尊といつく祠に限り、後者は羅摩またはその本身韋紐ヴィシュニュを本尊として脇立わきだちとす(第六図は余が写実し置いた脇立像なり)。
社殿にいつかなかつた神は、恐らく御嶽と似た式で祀られてゐたものであらう。
琉球の宗教 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
ゆめいつかせ、あめひゞく
全都覚醒賦 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ゆるせ免せと言うところじゃが、——あれはの、生れだちから違うものな。藤原の氏姫じゃからの。枚岡ひらおかいつひめにあがる宿世すくせを持って生れた者ゆえ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
すべて日吉に二十一社ありて仏神の混合甚だしく、記録に牽強多くて事歴の真相知れがたきも、大体をかんがうるに、伝教大師この社を延暦寺に結び付けた遥か以前に、二の宮この山の地主といつかれた。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統すじで一番、かんさびたたちを持って生れた、とわれる娘御である。今、枚岡の御神に仕えて居るいつひめめる時が来ると、あの嬢子おとめが替って立つ筈だ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
今枚岡の御神に仕へて居るいつひめの罷める時が来ると、あの嬢子をとめが替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも応じかねて居るのだ。……結局誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)