嗅覚きゅうかく)” の例文
彼らの本能的な嗅覚きゅうかくは、常に好餌こうじのある場所をぎ当てる。好餌を発見すると、得たりとばかりごっそり移動し、食欲を満足させる。
鰻の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
この島田に掛けた緋鹿子ひがのこを見る視官と、この髪や肌から発散する匀を嗅ぐ嗅覚きゅうかくとに、暫くの間自分の心が全く奪われていたのである。
独身 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
百合ゆり山査子さんざしの匂いとだけ判って、あとは私の嗅覚きゅうかくに慣れない、何の花とも判らない強い薬性の匂いが入れ混って鬱然うつぜん刺戟しげきする。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
かれらが夜のうちに撒いた揚団子は、あっちでもこっちでも、犬どもの嗅覚きゅうかくに争われ、むさぼり合う闘争の吠え声がつんざいた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼がもし真理に対する嗅覚きゅうかくを恥としたのであったら、十九世紀の物理学の進歩はたぶん少なからず渋滞をきたしたに相違ない。
ルクレチウスと科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その時この三箇月ほど忘れていた、過去の下宿の匂が、狭い廊下の真中で、自分の嗅覚きゅうかくを、稲妻いなずまひらめくごとく、刺激した。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
勘の鋭いように、嗅覚きゅうかくもまた鋭敏であった弁信は、それほど好きな琵琶の音をさえ打忘れて、その立ちのぼる異様な臭気に心を取られました。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
近来は一般に鹿や猪のような大きな動物は少なくなり鳥類の害ばかりはげしくなったようだが、鳥には野獣のような嗅覚きゅうかくの鋭敏さはないらしい。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼女の姿が再び夜の闇に消えてしまっても、まだ部屋の中に漂いつつ次第にうすれて行く匂を、幻をうように鋭い嗅覚きゅうかくで趁いかけながら。………
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼の眼や耳は、絶えず彼女たちの動静にひきつけられ、彼の嗅覚きゅうかくは彼女たちの躯から発散する匂いにひきつけられた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
自分でもそれを下品な嗅覚きゅうかくだと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏の才能を持って居ります。
駈込み訴え (新字新仮名) / 太宰治(著)
丈太郎も最初はこの清らかな聞香もんこうの道に入って、正しい鼻観の大道を辿りましたが、生れ付き非常に嗅覚きゅうかくが発達して居たものか、遂に邪道に踏み入って
その全身にみなぎりあふれている名同心のたぐいまれな嗅覚きゅうかくで、事の容易ならざるけはいをかぎとったのです。
これでいいのかしら、何をいうにも相手は魔性ましょうの人間豹だ。嗅覚きゅうかくのするどい野獣のことだから、長いあいだには、蘭子の隠れがを突きとめまいものでもない。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
やがて古手屋の遠助が、きょうは大根菜屁だいこんなっぺだといった。なんという鋭敏えいびん嗅覚きゅうかくだろう。たしかに春吉君は、けさ大根菜のはいったみそしるでたべてきたのである。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
{2}味覚、嗅覚きゅうかく、触覚に関する「いき」は、「いき」の構造を理解するために相当の重要性をもっている。味覚としての「いき」については、次のことがいえる。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
嗅覚きゅうかく・味覚・触覚のすべてを挙げて、この世にしゅうしておる。あるとき八戒はっかいおれに言ったことがある。
そこに小さな偽善が存していた。その偽善は、鋭敏な嗅覚きゅうかくにとってはあまりかんばしいものではなく、もし真面目まじめに取られたら、実際胸悪いものともなるべきはずであった。
植物のもつ美のうちで、最も鋭く私達の感覚に触れるものは、その植物の形態けいたいや色彩による視覚しかく的美であろう。それから嗅覚きゅうかく的美、味覚みかく的美といった順序ではないかと思う。
季節の植物帳 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
それは従来の経験によると、たいてい嗅覚きゅうかくの刺戟から聯想れんそうを生ずる結果らしい。そのまた嗅覚の刺戟なるものも都会に住んでいる悲しさには悪臭と呼ばれるにおいばかりである。
お時儀 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
嗅覚きゅうかくを頼りに、彼女は濃い眉毛まゆげのように、ぴくぴく動いたり、ぎゅっと縮んだりする。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
又は現在、極度に鋭敏になっている彼の嗅覚きゅうかくが、その寝台の方向からほのめいて来るチョコレートのような、牛乳のような、甘い甘い芳香ほうこうに誘われたせいであったかも知れないが……。
白菊 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
テナルディエはジャヴェルがまだそこにいることを感じていた。待ち伏せされてる男は的確な一つの嗅覚きゅうかくを持ってるものである。そこで猟犬に一片の骨を投げ与えてやる必要があった。
しかしこの奇妙な綽名は鋭敏な嗅覚きゅうかくの少女たちの間にすばやく拡つて行つた。この符牒ふちょうの裏にポアント——鋭い尖、の意味を了解したのも彼等独特の鋭い感応がさせるわざにほかならなかつた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
彼らはただ肉欲の対象として、牛肉のいい悪いを評価すると同じ心持ちで、評価する。この種の享楽の能力は、嗅覚きゅうかくと味覚の鈍麻した人が美味を食う時と同じく、零に近いほどに貧弱である。
享楽人 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
隠し持ったるフォークとナイフを電光石化でんこうせっかと使いわけて、あやしげなる赤味をおびた肉の一片を、ぽいと博士の口に投げ入れるなれば、かねて燻製ものには嗅覚きゅうかく味覚みかく鋭敏えいびんなる博士のことなれば
忘れていたやいばのにおいが、つうんと惣七の嗅覚きゅうかくをついた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
嗅覚きゅうかくとは生理上にも鼻の粘膜の触覚であるに違いない。
触覚の世界 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
しかしたとえば芳香属アロマティックの有機化合物に共通なる環状分子構造のことなどを考えてみると、少なくも嗅覚きゅうかく味覚のごとき方面で
ルクレチウスと科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼の眼や耳は、絶えず彼女たちの動静にひきつけられ、彼の嗅覚きゅうかくは彼女たちの躯から発散するにおいにひきつけられた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
代助は、百合の花を眺めながら、部屋をおおう強いの中に、残りなく自己を放擲ほうてきした。彼はこの嗅覚きゅうかくの刺激のうちに、三千代の過去を分明ふんみょうに認めた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
また敵とよび合う者同士が嗅覚きゅうかくぎあって諜報の取りやりもしているらしい。しかし草ぶかい野の禽獣きんじゅうの生態みたいに、眼に見えるものではなかった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分が不義をはたらいている時は、ひとの不義にも敏感だ。誇りになるどころか、実に恥ずべき嗅覚きゅうかくだ。僕は、不幸にして、そのいやらしい嗅覚を持っている。
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
煮肴にざかな羊栖菜ひじき相良麩さがらぶが附けてあると、もうそろそろこの嗅覚きゅうかくhallucinationアリュシナション が起り掛かる。そしてそれが青魚の未醤煮に至って窮極の程度に達する。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼の味覚と嗅覚きゅうかくとをよろこばすためにペディキュールをした足の甲へそっと香水を振っておくだけの、ゲイシャ・ガールには思いも寄らない用意と親切とを尽すのである。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しかし視覚や嗅覚きゅうかくまでも音楽に採り入れようとした試みは大胆不敵で興味の深いものであった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
すがすがしい土のかおりも、既に全身に沁みつくして、彼の嗅覚きゅうかくを刺激するようなことはなかった。美衣美食の生活者が、美衣美食を知らぬと同じ悲しさが梅三爺の上にもあった。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
それは努めてしたのではないが、人の嗜慾しよくに対し間諜犬かんちょうけんのような嗅覚きゅうかくを持つ彼の本能は自ずと働いていた。夫人の食品の好みは専門的に見て、素人なのだか玄人なのだか判らなかった。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
シャーロックは生れつき嗅覚きゅうかくがするどい上に、恒川氏の仕込みを受けて、その名にふさわしい探偵犬に仕上げられていた。これまでにも、警部を助けて手柄を立てたこと一再ではなかった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
更に、覚えた味を基礎として価値判断を下す。しかし味覚が純粋の味覚である場合はむしろ少ない。「味なもの」とは味覚自身のほかに嗅覚きゅうかくによってぎ分けるところの一種のにおいを暗示する。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
目を閉じていた半平の顔のあたりに、若い女の体臭がむんむんにおってきた。彼は昂奮こうふんで締めつけられるようだった。ずるく目を閉じたまま、嗅覚きゅうかくで若い看護婦の全身をめまわしている半平であった。
幸運の黒子 (新字新仮名) / 海野十三(著)
煙草たばこくさい児だといっていやがるでしょうと娘たちがいうので、なに小鳥には嗅覚きゅうかくがないということだなどと冗談をいっていると、たった三日か四日で、あのやわらかな何ともいえない肌ざわりのものが
もっとも鈍い嗅覚きゅうかくの者もそれにひかされる。
視覚によらないとすると嗅覚きゅうかくが問題になるのであるが、従来の研究では鳥の嗅覚ははなはだ鈍いものとされている。
とんびと油揚 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
無関心だというより、実際にはその物自体から注意をそらし、嗅覚きゅうかくや味覚や視覚を、できる限り他の方向へ集中することにつとめているようであった。
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
時折、雨戸のふし穴へ眼をつけたり、じっと、耳を寄せたりしながら、彼らしい神経をぎすまして、視覚、聴覚、嗅覚きゅうかく、あらゆる官能を働かせていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「帰ってもいい。鱧ぐらいなら帰らなくってもいい。しかし君の嗅覚きゅうかくは非常に鋭敏だね。鱧の臭がするかい」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
嗅覚きゅうかくだのと云うものが、もはや昔の半分もの働きもしてくれないので、どっちの路を、どっちの方角から、どう云う風に連れて来られたのか見当が付かず、彼方へ行っては踏み迷い
猫と庄造と二人のおんな (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それは、ただ、触覚と、聴覚と、そしてわずか嗅覚きゅうかくのみの恋でございます。暗闇の世界の恋でございます。決してこの世のものではありません。これこそ、悪魔の国の愛慾なのではございますまいか。
人間椅子 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
嗅覚きゅうかくのつよい彼らは、すぐぷんと血のにおいをそこに感じた。——オヤ? と眼もいっせいにすくみ合った。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)