出水でみづ)” の例文
母親のおとよ長吉ちやうきち初袷はつあはせ薄着うすぎをしたまゝ、千束町せんぞくまち近辺きんぺん出水でみづの混雑を見にと夕方ゆふがたから夜おそくまで、泥水どろみづの中を歩き𢌞まはつために
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
出水でみづあぶない、と人々ひと/″\此方こなたきしからばゝつたが、強情がうじやうにものともしないで、下駄げたぐとつゑとほし、おびいて素裸すはだかで、ざぶ/\とわたりかける。
怪力 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ある時京都の出水でみづ辺に住んでゐる物好きな男が、この石碑を女房に見せたいからといつて、風呂敷を懐中ふところにしてわざわざ嵯峨まで出掛けたものだ。
「六日。快庵、宗達、伯元と出水でみづ中山津守つもり宅訪ふ。内室、子息豊後介に対面。」中山氏の事は未だ考へない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
枝川や、汐入しおいりの池の鮒は、秋の末の出水でみづと共に、どん/″\大川の深みに下ツて仕舞ふです。
元日の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
橋の下尺をあまさぬひたひたの出水でみづをわたり上つ毛に入る(以下六首赤城山に遊びける夏)
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
我が隣駅りんえきせきといふ宿しゆくにつゞきて関山せきやまといふ村あり、此村より魚野うをの川をわたるべきはしあり。流れきふなればわづか出水でみづにも橋をながすゆゑ、かりつくりたる橋なれど川ひろければはしもみじかからず。
御承知でせうが奥山の出水でみづは馬鹿にはやいものでして、もう境内にさへ水が見え出して参りました。勿論水が出たとて大事にはなりますまいが、此地こゝの渓川の奥入おくいりは恐ろしい広い緩傾斜くわんけいしやの高原なのです。
観画談 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
筑紫野は大き出水でみづの田つづきを簑笠つけて人遊ぶかに
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
せい凱歌かちどきこゑいさましく引揚ひきあげしにそれとかはりて松澤まつざは周章狼狽しうしやうらうばいまこと寐耳ねみゝ出水でみづ騷動さうどうおどろくといふひまもなくたくみにたくみし計略けいりやくあらそふかひなく敗訴はいそとなり家藏いへくらのみか數代すだいつゞきし暖簾のれんまでもみなかれがしたればよりおちたる山猿同樣やまざるどうやうたのむ木蔭こかげ雨森新七あめもりしんしちといふ番頭ばんとう白鼠しろねづみ去年きよねん生國しやうこくかへりしのち
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
電車が十三じふさうと三くにとの間に来ると、出水でみづはもう軌道レエルひたしてゐて、車は鳥のやうに声を立てながらおつかなびつくりに進むより外に仕方がなかつた。
京都の出水でみづ辺に若江の天神といふ小祠があつて、その側に若江氏は住んで居た。十歳位の時でもあつたか、或日父につれられて若江氏の宅を訪うた事があつた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
蘿月らげつなんふわけもなく、長吉ちやうきち出水でみづの中を歩いて病気になつたのは故意こいにした事であつて、全快ぜんくわいするのぞみはもう絶え果てゝゐるやうなじつ果敢はかないかんじに打たれた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
筑紫はを生ましける母の国大き出水でみづの田の広ら見よ
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
長雨や出水でみづの国の人なかばつどへる山に法華経ほけきやうよみぬ
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ところが、この秋の出水でみづで、四辺あたり幾度いくたびか水にひたされてゐるのに、この冷水ひやみづの湧く田圃たんぼだけは、植付けられた稲のまゝ、ふはりと水の上に浮き上つてゐる。
本所ほんじよも同じやうに所々しよ/\出水しゆつすゐしたさうで、蘿月らげつはおとよの住む今戸いまど近辺きんぺんはどうであつたかと、二三日ぎてから、所用しよゝうの帰りの夕方ゆふがた見舞みまひに来て見ると、出水でみづはうは無事であつたかはりに、それよりも
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)