阿蘇あそ)” の例文
阿蘇あそ活動かつどうみぎほか一般いつぱん火山灰かざんばひばし、これが酸性さんせいびてゐるので、農作物のうさくぶつがいし、これをしよくする牛馬ぎゆうばをもいためることがある。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
また、浜の手方面の阿蘇あそノ大宮司一族の軍も、箱崎方面へと一散になだれ立ち、なお、とどまる所なく太宰府の方へ落ちて行った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
谷の中の人は二百十日の風に吹きさらわれたものか、うんとも、すんとも返事がない。阿蘇あその御山は割れるばかりにごううと鳴る。
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
九州の阿蘇あそ地方などでは、どんな小石でも拾って帰って、縁の下かどこかにかくして置くと、きっと大きくなっているように信じていました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
名にし負う耶馬渓やばけいの奇観、霧島のあらたかな峰、阿蘇あそのものすごき噴火など、いずれも九州の大きな自然を語ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ことに私を喜ばせたのは、左方に当たり肥後ひごの連峰の黛からぬきんでて紺青色の阿蘇あその上半部とそれになびきかかる噴煙を、はっきりと眺め得たことであった。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
肥後国ひごのくに阿蘇あその連峰猫嶽ねこだけは特に人も知って、野州にも一つあり、遠く能登のとの奥深い処にもある、とおもう。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
十六歳の夏、兄と阿蘇あその温泉に行く時、近道をして三里余も畑のくろ草径くさみちを通った。吾儘わがままな兄は蛇払へびはらいとして彼に先導せんどうの役を命じた。其頃は蛇より兄が尚こわかったので、ず/\五六歩先に立った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
意富おおおみ小子部ちいさこべの連・坂合部の連・火の君・大分おおきたの君・阿蘇あその君・筑紫の三家みやけの連・雀部さざきべの臣・雀部のみやつこ小長谷おはつせの造・都祁つげあたえ伊余いよの國の造・科野しなのの國の造・道の奧の石城いわきの國の造・常道ひたちの仲の國の造・長狹ながさの國の造・伊勢の船木ふなきの直・尾張の丹羽にわの臣・島田の臣等の祖先です。
など、ほとんどが菊池、阿蘇あその協同者だった。そして英時ひでときほふったのだ。——それらすべてが尊氏には義兄あにあだといえなくもない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿蘇あそ火山灰かざんばひはこの地方ちほうで『よな』ととなへられてゐるが、被害ひがいたん阿蘇あそのみにとゞまらずして、大分縣おほいたけんにまでもおよぶことがある。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
上がり口に白芙蓉はくふようが五六輪、夕暮の秋を淋しく咲いている。見上げるむこうでは阿蘇あその山がごううごううと遠くながら鳴っている。
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この以外にまだ命名の動機のあきらかでないのは、九州阿蘇あそ付近でコガネグサ、この名は大隅にもあるから弘いのであろう。
「肥後の菊池武敏、阿蘇あそ大宮司だいぐうじ惟直これなおなどの宮方が、太宰府の手うすを知って、水木の渡しをこえ、俄に、大軍をッて太宰府へ急進中——」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本につぽんける活火山かつかざん兩大關りようおほぜきひがしほう淺間山あさまやまとすれば、西にし阿蘇山あそざんである。なかにも阿蘇あそはその外輪山がいりんざん雄大ゆうだいなことにおい世界第一せかいだいゝちといはれてゐる。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
阿蘇あその火で焼けちまったんだろう。だから云わない事じゃない。——おい天気が少々剣呑けんのんになって来たぜ」
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
熊本県の阿蘇あそ地方では、チヨユミドリというのがこの鳥のことらしいが、啼声が少しちがっている。
従って両側の並木も路面を工事するために伐木する必要もなく保存されてあった。その並木の間から阿蘇あその噴煙と、外輪山の雪が望まれてくる。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肥後阿蘇あそ郡の馬見原まみはらも崩崖はあるが、これは諸国に多数ある馬見塚まみづかまたは豆塚などと同じく
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
と覚悟して、日ごろの盟友、阿蘇あそ大宮司だいぐうじ惟直これなおともしめしあわせ、まず彼のみ家の子郎党三百余騎をつれて、博多へ出た。そしておきはまに宿営した。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同じ遊びはまた阿蘇あそ郡の山村にもあるが、ここでは少しかわってネンゴロといっている。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その頃、赤城あかぎ山の裾から遠くない阿蘇あそしょう田沼に、東山道とうさんどう駅路うまやじを扼して、たちとりでをかまえ、はるかに、坂東の野にあがる戦塵を、冷ややかに見ていた老土豪がある。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿蘇あそ那羅延坊ならえんぼうなどという山伏やまぶしは、山家に住みながら川童予防の護符を発行した。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
というようなわけで、ここでもまた、阿蘇あそ家、相馬家の軍忠状とか、古文書こもんじょの断片とか、古典太平記よりはややましな梅松論などの傍証を綜合して書いてゆくしかないことになる。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けだし九州には土著どちゃくの久しい山村も多いことだから、同じ話はなお色々の変化を以て、阿蘇あそ山国谷やまくにだに以外にも行われているに違いない、それを比べて見れば必ず新たに心付くことがあろうと思うが
彼の黒表にのぼっていたおもなる大族は菊池、阿蘇あそ少弐しょうに、大友の四家だった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
白餅という名は東海道の諸国から紀州まで、九州でも北岸の島々ではシラモチと謂い、阿蘇あその山村ではシイラ餅と謂っているとともに、一方秋田県の鹿角かづの地方などにもシロコダンゴという名がある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
抑〻そもそも、これは、九州肥後の国、阿蘇あその宮の神主友成かんぬしともなりとはわが事なり。われまだ都を見ず候ほどに、このたび思いたちてのぼり候。またよきついでなれば播州ばんしゅう高砂たかさごの浦をも一目見ばやとぞんじ候
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おなじようなげきは、九州へも、ひんぴんと送られたが、菊池党や阿蘇あそ一族は九州内部のたたかいでうごけず、義貞もまた、越前から足の抜けない事情にあるのか、とうとう、このかんじんな時機に
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿蘇あそノ大宮司惟時これとき、出雲の宇佐うさ兵衛ノじょう助景の手の者が、まっさきに来て、ご警固に付き、新田の諸侍しょざむらい、千葉、宇都宮、そのほか戦線から脱落していた軍兵なども、北白川から志賀越えへかけては
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)