郡内ぐんない)” の例文
なるほど、この富士川を上ってここが福士、それから身延鰍沢みのぶかじかざわ、信州境から郡内ぐんない萩原入はぎわらいりから秩父ちちぶの方まで、よく出ておりますな。
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
敷布団は厚い郡内ぐんないを二枚重ねたらしい。ちりさえ立たぬ敷布シートなめらかに敷き詰めた下から、あら格子こうしの黄と焦茶こげちゃが一本ずつ見える。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ほん商賣人しようばいにんとてくらしいもの次第しだいにおもふことおほくなれば、いよ/\かねて奧方おくがた縮緬ちりめん抱卷かいまきうちはふりて郡内ぐんない蒲團ふとんうへ起上おきあがたまひぬ。
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
郡内ぐんないの長脇差で、鮎川あゆかわ仁介にすけというものがある。この甲州では有名な博奕ばくちうちでな、その、身内どもが、先ごろ御岳みたけへ参った時に、見たという者の話だが……」
八寒道中 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、もう其処に床がってある。夜具も郡内ぐんないなにかだ。私が着物を脱ぐと、雪江さんがうしろからフワリと寝衣ねまきを着せて呉れる。今晩は寒いわねえとか雪江さんがいう。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
郡内ぐんないのふとんの上に掻巻かいまきをわきの下から羽織った、今起きかえったばかりの葉子が、はでな長襦袢ながじゅばん一つで東ヨーロッパの嬪宮ひんきゅうの人のように、片臂かたひじをついたまま横になっていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
小仏から笹子ささごのトンネルまでのあいだは、甲州では郡内ぐんないという名をもって知られている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そう申してはなんですが、まずこの辺の田舎では、いくら上等な蒲団でも銘仙めいせんがせいぜい、郡内ぐんないときては前橋あたりの知事様のお出でになる宿屋か待合ぐらいのものでございましょう。
蒲団 (新字新仮名) / 橘外男(著)
おごつた、じまの郡内ぐんないである。通例つうれいわたしたちがもちゐるのは、四角しかくうすくて、ちよぼりとしてて、こしせるとその重量おもみで、すこあぶんで、ひざでぺたんとるのだが、そんなのではない。
火の用心の事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
古代に日本武尊やまとたけるのみこと、中世に日蓮上人の遊跡ゆうせきがあり、くだって慶応の頃、海老蔵えびぞう小団次こだんじなどの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の郡内ぐんないあたりは人気が悪く
お倉お倉と呼んで附添ひの女子をなごと共に郡内ぐんないの蒲団の上へいだき上げてさするにはや正体も無く夢に入るやうなり、兄といへるは静に膝行いざり寄りてさしのぞくに
うつせみ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
鮎川の仁介にすけ郡内ぐんない部屋へ泊ったのが、ちょうど、去年の寒い頃で、お稲は、その時、った女だった。
野槌の百 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
湯にって顫えたものは古往今来こおうこんらいたくさんあるまいと思う。湯から出たら「公まずねぶれ」と云う。若い坊さんが厚い蒲団ふとんを十二畳の部屋にかつむ。「郡内ぐんないか」と聞いたら「太織ふとおりだ」と答えた。
京に着ける夕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
鳥沢の粂というのは郡内ぐんない切っての親分であって、ずいぶん悪辣あくらつなことをするし、また相応に義侠らしいこともする。
くらくらんで附添つきそひの女子をなごとも郡内ぐんない蒲團ふとんうへいだげてさするにはや正躰しやうたいゆめるやうなり、あにといへるはしづか膝行いざりりてさしのぞくに
うつせみ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
江戸から流れて来た旅芸者で郡内ぐんない甲斐絹屋かいきやへかたづいたのを、淫奔いんぽんたちですぐ帰され、その後鮎川の親分の世話になっている女で、それが賛之丞が小篠こしのへ来るとすぐに出来て、今じゃ
八寒道中 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今度は郡内ぐんないから東の方へ出ようということになりました。隣り隣りというてもなかなか遠い、山のあいや谷の中から娘たちがゾロゾロと集まって、お徳の家へ詰めて来ながらの話
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お疑いでございましょうが、実は、或るお方のいいつけで、郡内ぐんないの手前からあなた様を蔭身かげみになって守って来たので、まあとにかく、ここまでは御無事で、ほんとによいあんばいでございましたよ
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わしどもは、甲州の郡内ぐんないの方から参りました」
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)