足下そくか)” の例文
内山君うちやまくん足下そくか此位このくらゐにしてかう。さてかくごとくにぼくこひ其物そのもの隨喜ずゐきした。これは失戀しつれんたまものかもれない。明後日みやうごにちぼく歸京きゝやうする。
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
『えゝ只今たゞいま足下そくか御關係ごくわんけい事柄ことがらで、申上まをしあげたいとおもふのですが。』と、市役所員しやくしよゐん居並ゐなら人々ひと/″\挨拶あいさつむとした。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
ところが、二宮といふ人も、それは面白いと私の流義でも右と同樣の説がある。決して足下そくか鼻元思案はなもとしあんでは無いと言つて大いに贊成して呉れた。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園塚原蓼洲(著)
「おう足下そくかがサレーダインだなあ」と若者が云った。サレーダインは鼻であしらうようにもちろんそうだ。と答えた。
問、足下そくかは尚ほ何時迄いつまで著述ちよじゆつ従事じうじせれんとする乎(基督信徒きりすとしんとに他人の仕事しごとにする者おほし)。
問答二三 (新字旧仮名) / 内村鑑三(著)
何分京と関東との形勢を熟覧して、どうもむつかしくば最前の論の如く吉田にてなすなり。妙なれば学習院へ出るなり。この所は足下そくかの眼中にあれば、ことごとくは申し難く候。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
かざりて申樣此度拙寺が本山天一坊樣大坂へ出張に付旅館として足下そくか控家ひかへや借用しやくようの儀を頼入たのみいれしに早速の承知かたじけなしと述終のべをはり此は輕少けいせうながら樽代たるだいなりと金子をおくり借用證文を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
もし彼女が直ぐに彼を征服し得て彼が彼女の足下そくかに伏し眞實を以て彼女に心を捧げてゐたならば、私は顏を蔽うて壁を向き、(比喩的ひゆてきに)彼等に對して死んでしまつてゐたゞらう。
他に適当の人あるや否やは足下そくかの議論すべき所にあらず、本校はただ足下を文部省に推薦して、文部省はその推薦をれて、足下を留学生に指定したるに過ぎず、足下にして異議あらば格別
『文学論』序 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
その杯を座中の誰でもよろしい、足下そくかの一番好いてる者へさすがかろうと云うのは、実は其処そこに美人が幾人いくたりも居る、私はその杯を美人にさしても可笑おかしい、わざと避けてさゝなくても可笑しい
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
いま一個いつこひとあり、車臺しやだいして、右手ゆんで柄子とりでにぎつて旋廻輪せんくわいりんまわしつゝ、徐々じよ/\足下そくか踏臺ふみだいむとたちまかたはらそなへられたる號鈴器がうれいきはリン/\として、下方かほう軸盤じゆくばんしづかに回轉くわいてんはじむるととも
あげし方が足下そくかの家の息子むすこなりしかとは知ねども容姿みなりもよく若きに似氣にげなく物柔ものやはらか折屈をりかゞみき人なればむすめもつは早くも目が附き何處いづこの息子か知ざれど美男びなんの上に温順おとなしやとおなじ事ならあゝいふ人に娘を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
醜声外聞の評判却て名誉ソコである時奥平藩の家老が態々わざわざ私を呼びによこして、さて云うよう、足下そくかは近来某々それそれの家などに毎度出入して、例のごとく夜分晩くまで酒を飲で居るとの風聞、某家には娘もあり
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
内山君うちやまくん足下そくか
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
だが乃公おれ足下そくかを助けようとは思わぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
見定みさだめ出帆しゆつぱん然るべしといふ吉兵衞はじめ皆々今日のごとき晴天せいてんによも雨下あまおろしなどのなんは有べからずと思へば杢右衞門又々水差みづさしに向ひ成程足下そくかの云るゝ處も一理なきにも有ねどあまよき天氣てんきなればよも難風なんぷうなど有まじく思ふなりおし出帆しゆつぱんすべく存ずると云に水差みづさしも然ばとて承知し兵庫のおき
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)