衣摺きぬず)” の例文
「できるなら近いお座敷のほうへ案内して行ってくれて、よそながらでも女王さんの衣摺きぬずれの音のようなものを聞かせてくれないか」
源氏物語:06 末摘花 (新字新仮名) / 紫式部(著)
第一、昨夜の曲者は衣摺きぬずれの音なんかしなかったぜ。百五十石や百八十石の御家人じゃ、平常着ふだんぎに羽二重や綸子りんずを着るはずはない。
銭形平次捕物控:126 辻斬 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
甘いへんのうの匂いと、ささやくような衣摺きぬずれの音を立てて、私の前後を擦れ違う幾人の女の群も、皆私を同類と認めてあやしまない。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
衣摺きぬずれもはばかるようにである。信長は、何やら苦念しては書き、書いては眉をこわくしている。まったく、きついお顔である。敏感な蘭丸は
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と——、その物音をききつけたかして、さやさや妙なる衣摺きぬずれの音を立てながら、近よって来たものは妹菊路です。だが、殊のほか無言でした。
けれども、この局面には一つの薄気味悪い証言が伴っていて、それから陰々とうごめくような、ファウスト博士の衣摺きぬずれを聴く思いがするのだった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
衣摺きぬずれが、さらりとした時、湯どのできいた人膚ひとはだまがうとめきがかおって、少し斜めに居返いがえると、煙草たばこを含んだ。吸い口が白く、艶々つやつや煙管きせるが黒い。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
はばかるような衣摺きぬずれの音を聞いたばかりだった、そしてやがて、二人の人間の足音が、廊下を通って奥の間へはいった。
晩秋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
風は峡間にどこからともなくみなぎって来て、樹々の葉は、婆娑婆娑ばさばさ衣摺きぬずれのような音を立てる。峡谷の水分を含んだ冷たい吐息が、ほおあごにかかる。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
将軍、参謀、陸軍大臣等要路の大官をはじめ、一皇太子と二人の帝王まで、楚々そそたる美女マタ・アリの去来する衣摺きぬずれの音について、踊らせられている。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
さらりと、ママの手の縁側の角に当って人の衣摺きぬずれの音がしたようですが、あとは森閑しんかんとして薄日の当る池泉式の庭に生温い風がそよ/\吹くだけでした。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
やがて文吾唯一人のところへ、衣摺きぬずれの音とともに現はれたのは、母を少し若くしたほどの女であつた。
石川五右衛門の生立 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
ふすまの外ではかすかな返事があって、やがてやさしい衣摺きぬずれの音とともに、水々しい背の高い婦人が入って来た。妾はその婦人を一目みて、どんなに驚いたことであろうか。
三人の双生児 (新字新仮名) / 海野十三(著)
夜も更けて、ともしびも消えたとき、暗いなかで何やら衣摺きぬずれのような音が低くきこえた。
とびらが開いた。一人のりっぱな夫人が、かた衣摺きぬずれの音をたててはいって来た。彼女は疑り深い眼付であたりを見回した。もう若くはなかったが、まだそでの広い派手な長衣を着ていた。
今までの喧噪けんそうが、あるかなきかの世界に変ってしまったことも、とんと気がつかずに、夢のようにしていると、不意に背後に、衣摺きぬずれの音がしたかと思うと、早くも、自分の両の眼を
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
という男の声が応じ、つづいて静かに立ち去って行く、女の衣摺きぬずれの音がした。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
新しい足袋たびをはいて、入れ替えたばかりの青い畳のうえをそっちこっちわさわさ歩いているお増の衣摺きぬずれの音が忙しそうに聞えたり、下駄を出すお今の様子が、浮き浮きして見えたりした。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
衣摺きぬずれの音がして、二三寸あいた襖の間から常子の立つた姿が見えた。
来訪者 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
北の対の下の目だたない所に立って案内を申し入れると音楽の声はやんでしまって、若い何人もの女の衣摺きぬずれらしい音が聞こえた。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
美女たおやめはその顔を差覗さしのぞ風情ふぜいして、ひとみを斜めにと流しながら、華奢きゃしゃたなそこかろく頬に当てると、くれないがひらりとからむ、かいなの雪を払う音、さらさらと衣摺きぬずれして
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「法水さん、証言に考慮を払うということが、だいたい捜査官の権威に関しますの。確かに先刻さっきの方々は、伸子さんが動いた衣摺きぬずれの音を聴いたのでしたわ」
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
良人おっとの言下に、嬋妍せんけんたる衣摺きぬずれとともに、廊口の衝立ついたてから歩み出て来た夫人が、柳眉をきっと示して言った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これに」儀兵衛がそう答えると、なにやら衣摺きぬずれの音が聞え、すぐにざあざあと湯の音がした。
若殿女難記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
生き血を吸いに来たのか、骨をしゃぶりに来たのかと、お蝶はもう半分死んだもののようになって、一心に衾の袖にしがみ付いていると、やがてその衣摺きぬずれの音は次の間へ消えて行ったらしかった。
半七捕物帳:07 奥女中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
衣摺きぬずれの音と、柔かい息づかいを聞いたように思いますが——」
ややあって衣摺きぬずれの音がした。
十二神貝十郎手柄話 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それはきわめて細心に行なっていることであったが、家の中が寝静まった時間には、柔らかな源氏の衣摺きぬずれの音も耳立った。
源氏物語:03 空蝉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
処へ、母屋から跫音あしおとが響いて来て、浅茅生あさぢう颯々さっさっ沓脚くつぬぎで、カタリとむと、所在紛らし、谷の上のもやながめて縁に立った、私の直ぐ背後うしろで、衣摺きぬずれが、はらりとする。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
肩に垂れた濡髪ぬれがみからも、また、茂みを吹く風のように、衣摺きぬずれの音でも立てそうな体毛からも、それはまたとない、不思議な炎が燃え上がっているのだ——緑色の髪の毛。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
他人の声が狂女にもわかったのか、すすり泣きはすぐやんで、サヤサヤと近づく衣摺きぬずれと共に。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
衣摺きぬずれの音がします。近く寄るとサヤサヤと——」
銭形平次捕物控:126 辻斬 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
この座敷の西に続いた部屋で女の衣摺きぬずれが聞こえ、若々しい、なまめかしい声で、しかもさすがに声をひそめてものを言ったりしているのに気がついた。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「面白くもない私の生涯に、過ぎゆく女性の衣摺きぬずれの音を聴いたのも、まったくあなたのお蔭」
人外魔境:05 水棲人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
この山は、どういうものか、雑木林なり、草の中なり、谷陰なり、男がただひとりで居ると、優しい、朗かな声がしたり、衣摺きぬずれが聞こえたり、どこからともなく、女が出て来る。
衣摺きぬずれの音がします。近く寄るとサヤサヤと——」
銭形平次捕物控:126 辻斬 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
静かにしようと気を配っているらしいが、数珠じゅず脇息きょうそくに触れて鳴る音などがして、女の起居たちい衣摺きぬずれもほのかになつかしい音に耳へ通ってくる。貴族的なよい感じである。
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そう云って、柔らかい膝の衣摺きぬずれの音がしますと、燐寸マッチぱっった。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
入口のドアに、夜風かとも思われるかすかな衣摺きぬずれがさざめいた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
薫物たきものが煙いほどにかれていて、この室内にする女の衣摺きぬずれの音がはなやかなものに思われた。奥ゆかしいところは欠けて、派手はでな現代型の贅沢ぜいたくさが見えるのである。
源氏物語:08 花宴 (新字新仮名) / 紫式部(著)
例の命婦みょうぶがお言葉を伝えたのである。源氏は御簾みすの中のあらゆる様子を想像して悲しんだ。おおぜいの女の衣摺きぬずれなどから、身もだえしながら悲しみをおさえているのがわかるのであった。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)