“由(よつ)” の例文
自分は偶然の機会に由(よつ)てモンマルトルに下宿して居る。其れが遊楽の街である事を知つたのは巴里(パリイ)に着いて後(のち)数日の事であつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
その上(うへ)個人(こじん)の經濟状態(けいざいじやうたい)に由(よつ)て是非(ぜひ)なく粗惡(そあく)な食(しよく)で我慢(がまん)せねばならぬ人(ひと)もあり、是非(ぜひ)なく過量(くわりやう)の美味(びみ)を食(く)はねばならぬ人(ひと)もある。
建築の本義 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
馬(うま)の顏(かほ)を斜(はす)に見(み)た處(ところ)で、無論(むろん)少年(せうねん)の手(て)には餘(あま)る畫題(ぐわだい)であるのを、自分(じぶん)は此(この)一擧(きよ)に由(よつ)て是非(ぜひ)志村(しむら)に打勝(うちかた)うといふ意氣込(いきごみ)だから一生懸命(しやうけんめい)、學校(がくかう)から宅(たく)に歸(かへ)ると一室(しつ)に籠(こも)つて書(か)く
画の悲み (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
附(つき)ものを當(あて)にせずして、本(もと)に由(よつ)て暦(こよみ)を立(たつ)るは、事柄(ことがら)に於(おい)て正(たゞ)しき道(みち)といふべし。
改暦弁 (旧字旧仮名) / 福沢諭吉(著)
何人(なんびと)も大半は婦人に由(よつ)て教育せられるのであると云ふ一事(じ)を見ても、婦人は男子と対等の生活を営み得(う)る権利を有(も)つて居るのは明(あきら)かである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
勿論(もちろん)この問題(もんだい)は專門家(せんもんか)に由(よつ)て飽迄(あくまで)も研究(けんきう)されねばならぬのであるが。我輩(わがはい)は、茲(こゝ)には深(ふか)い哲學的議論(てつがくてきぎろん)には立(た)ち入(い)らないで、極(きは)めて通俗的(つうぞくてき)に之(これ)に關(くわん)する感想(かんさう)の一端(たん)を述(の)べて見(み)よう。
建築の本義 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
自分は之(これ)に由(よつ)て艶冶(えんや)を衒(てら)ふ或(ある)階級の巴里(パリイ)婦人を観察する事が出来ました。併(しか)し是(こ)れ等の仮装の天使が真の仏蘭西(フランス)婦人の代表者で無い事は勿論である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
偶(たま)には激浪(げきらう)怒濤(どたう)もあつて欲(ほ)しい、惡風(あくふう)暴雨(ぼうう)もあつて欲(ほ)しい、と云(い)つて我輩(わがはい)は決(けつ)して亂(らん)を好(この)むのではない、只(た)だ空氣(くうき)が五日(か)の風(かぜ)に由(よつ)て掃除(さうぢ)され、十日(か)の雨(あめ)に由(よつ)て淨(きよ)められんことを希(こひねが)ふのである。
建築の本義 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)