狼狽あわ)” の例文
やや狼狽あわててわたしは引っ返して。——左へ曲れる道を発見して試しにそれをえらんだ——飽っ気なくわたしは昭和座の横へ出た。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
まだ発車には余程あいだがあるのに、もう場内は一杯の人で、雑然ごたごたと騒がしいので、父が又狼狽あわて出す。親しい友の誰彼たれかれも見送りに来て呉れた。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
父は狼狽あわてて「いや、その事やったら、よう分かってるのやが」とせき込んで遮切さえぎったが、何かの固まりの様に唾を呑むと弱々しく呟やいた。
十姉妹 (新字新仮名) / 山本勝治(著)
米友とても、この歳になって、初めて夢を見たわけでもあるまいが、この時の狼狽あわて方は、まさに初めて夢というものを見た人のようでありました。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
鈴の音を聞くと、叔母も母も読めもしないくせに、顔色を変えて狼狽あわてて買いにやった。私は跣足はだしでたびたび号外売りのあとを追駈おいかけたことがあった。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
狼狽あわてたにしろ、大胆にかまえたにしろ、どちらにしても度外れで、われわれの常識をまごつかせるに十分だった。
悪の花束 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
彼はこの言葉で狼狽あわてながらも、懐中から先刻貰ったプログラムと真新らしいハンカチとを一束いっそくたにつかみ出した。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
金を取りに帰ってオレンジを三つ掴んで飛び出したのだった。武人だけに金銭には恬淡なのだとも言えまい。非常時の狼狽あわて方にはよくこんなことがある。
運命のSOS (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
「大丈夫。攻めてなんぞ来はせんよ。また、来たら来たで、その時のことだ、あわてるな、狼狽あわてるな。」
口笛を吹く武士 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「いいえ。」お銀はくたびれた目を開けると、とがめられでもしたように狼狽あわてて顔をあげてにっこりした。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「なんだと?」と福冶爺は、狼狽あわてて首に手をやったが、それきり気を失って、焚火の中に倒れた。
(新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
盗人は狼狽あわてた。外へ出られてはたまらない——彼の方が一目散いちもくさんに飛出すと、おばあさんが後から
こんなことを時子は言つたが、しかも二人してかうして馬車で走つてゐるのを見られても、少しも困つたり狼狽あわてたりしたやうな態度をかの女はおもてにあらはさなかつた。
アンナ、パブロオナ (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
圭一郎は巧に出たら目な言ひわけをして其場をしのいだが、さすがに眼色はひどく狼狽あわてた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
翁は狼狽あわてて懐中ふところよりまっち取りだし、一摺ひとすりすれば一間のうちにわかにあかくなりつ、人らしきもの見えず、しばししてまた暗し。陰森いんしんの気床下ゆかしたより起こりて翁が懐に入りぬ。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
彼はほとんど衝動的に節子のそばへ寄って、物も言わずに小さな接吻せっぷんを与えてしまった。すると彼が驚き狼狽あわてて節子の口をおさえたほど、彼女は激しい啜泣すすりなきの声を立てようとした。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
俄かに狼狽あわて出したところを、毛利の第三軍たる村上、来島等の水軍が攻めかかったので、陶の水軍はたちまち撃破されて、多くの兵船は、防州の矢代島を目指して逃げてしまった。
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
自分は一緒に惡戲いたづらつ子だつた中學時代の友達の、今川燒のやうにまあるく平べつたくて、しかもぶよぶよしてゐた顏中を想ひ出しながら、狼狽あわてて飛起きて洗面場に馳けて行つた。
車掌は受取ったなり向うを見て、狼狽あわてて出て行き数寄屋橋へ停車の先触さきぶれをする。尾張町おわりちょうまで来ても回数券を持って来ぬので、今度は老婆の代りに心配しだしたのはこの手代で。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
狼狽あわてて、身を退こうとする相手の力に、きかせるように、スルリと、かごから出てしまったので、たとえ、出しなを斬ってしまおうと、企んでいたとて、きっかけを失われてしまったのだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
あれ可憫かわいそうに……まだ若いだけに……大そう狼狽あわてて、それは大変だ
情状酌量 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
のべつ幕なしに驚いたり急いだり狼狽あわてたりするのが、旅行者の特権であり義務であるとは言いながら、あれほど色んな国へ雑多な物を撒き散らして来たくせに、よく自分で自分を置き忘れて
私は石段の上でマゴマゴしているうちに、扉を細目にあけて、その隙間から顔を出したのは先前の老婦人であった。彼女は酷く狼狽あわてているらしかったが、私を見るといくらか安心したらしく
日蔭の街 (新字新仮名) / 松本泰(著)
『もう手が廻ったッ……やられたッ……』とジルベールは狼狽あわてた。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
その時のお前の狼狽あわて方については、もう言った。
勧善懲悪 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
母親は狼狽あわてて娘の耳もとでささやいた。
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ともかく相当の悪党を以て自任しているらしいがんりきが、この馬子の面を見ての狼狽あわて方は尋常とは見えません。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
……で、これではいけないと急に狼狽あわてゝ、とゞ大部屋のもの二三人があたりの闇を幸い、丈なす草のしげみにかくれてほんとうの虫笛をふくことになった。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
後から後からと他の学科が急立せきたてるから、狼狽あわてて片端かたはしから及第のおまじないの御符ごふうつもり鵜呑うのみにして、そうして試験が済むと、直ぐ吐出してケロリと忘れて了う。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
しかし、この出来事は、すっかりモスタアとダグラスの心胆しんたんを寒からしめたものとみえる。彼らはいよいよ危険を感知して、その夜のうちに狼狽あわてて陸へあがったらしい。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
こういうもっともらしいことを言っている中にも、三吉が狼狽あわてた容子ようすは隠せなかった。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
狼狽あわてて抱起すとがっくり首が前へのめって、七兵衛はすでに息を引取っていた。
笑子は、ハッとしたようすで、ひどく狼狽あわてて自分の足袋の爪先を見る。もちろん、煤などついていなかった。どぎまぎして、顔を赤らめてうつむくのを、すかさず、グイとその肩先を掴んで
魔都 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
とはいえ新御直参一家は、五月十六日朝の官軍上野攻めで狼狽あわてた。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
彼は狼狽あわてない態度で部屋のなかを見廻した。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
是が噂に聞いた小狐おぎつね独娘ひとりむすめの雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽あわてて俯向うつむいて了った。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
一時は生きた空がなくて、金品を寄附したり、慈善会のようなものを起したりして、貧民の御機嫌を取ろうとしてみた狼狽あわて方はかなり不得要領なものでありました。
そうかと思うと、如何にも倉皇の際に認めたらしく、字など狼狽あわてていて殆んど判読出来ないながらも、沈没に到る経路を、可成り専門的に要領よく書いてあったり、中には
沈黙の水平線 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
狼狽あわてゝその晩汽車に乗り、あくる朝東京駅へつくといそいで家へ帰り、一月の間ほとんどそればかり着ていた洋服を脱ぐとそのまゝ湯にも入らずすぐに「矢の倉」へ飛んで行った。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
大あわてに狼狽あわてたすえ、わけのわからないことを口走る。
オホホホと笑いをこぼしながら、お勢は狼狽あわてて駈出して来てあやうく文三に衝当ろうとして立止ッた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
してみると、今までお豊がここにいたことは気がつかなかったので、お豊が狼狽あわてて着物をとりかかろうとしたから、はじめて人のここにいることを感づいたらしいのです。
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
権現ごんげん様と猿田彦さるたひこを祭った神棚の真下に風呂敷を掛けて積んである弟子達の付届つけとどけの中から、上物の白羽二重はぶたえが覗いているのが何となく助五郎の眼に留まった。おろくは少し狼狽あわて気味に
助五郎余罪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
「いゝえ、そういうこと、わたくしなんぞでもとき/″\あります。始終みつけている光景でも、時の表裏で、いまさらのように、おや? ——そう思って狼狽あわてゝ眼をこすることがあります。」
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
文三は狼狽あわてて告別わかれの挨拶を做直しなおして匇々そこそこ戸外おもてへ立出で、ホッと一息溜息ためいきいた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
鶴見は少しも狼狽あわてず、以前の通りに艫先に腰かけていて、右の手でひげをひねりながら言うことには、騒ぐな、騒ぐな、どこまで逃げるということがあるものか、この一国のうちならば
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「ああわるう御座ンした……」と文三は狼狽あわてて謝罪あやまッたが、口惜くちおし涙が承知をせず、両眼に一杯たまるので、顔を揚げていられない。差俯向さしうつむいて「私が……わるう御座ンした……」
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
不幸にして彼等の手が利いていて、人数の気の揃い方が上手であり、捕方の方が狼狽あわてて、それにこの通りの靄であったから、とうとうみんな取逃がしてしまったということであります。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この改まった言葉を聞いて福松が、がっかりして狼狽あわてました。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)