有徳うとく)” の例文
文字通りにきつと彼は唯渇仰する爲めにのみしか生活してゐないのであつた——確かに、有徳うとくで偉大であつたものゝ後を追つて。
僕のような有徳うとくの君子は貧乏だし、彼らのような愚劣なはいは、人を苦しめるために金銭を使っているし、困った世の中だなあ。
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
前に述べた金神もその一つだが、このほかに歳徳としとくと申すものがある。これは年中第一の有徳うとくの方角にして、万徳の集まる吉方といわれている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
こういう生きた道場があるのに、前人有徳うとくの聖者たちが、誰ひとりあって、土と汗の中で、こういう生きた教化に従事した例があるだろうか。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仲間の重立つたものとけをして、江戸の第一流中の一流といふ大町人、有徳うとくの有名人、お役付の武家などを百人選び
路地の最も長くまた最も錯雑して、恰も迷宮の観あるは葭町よしちやうの芸者家町であらう。路地の内に蔵造くらづくりの質屋もあれば有徳うとくな人の隠宅いんたくらしい板塀も見える。
路地 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
なすに右門の申やう我等われら同職どうしよくうちにて有徳うとくなるは肥前ひぜんなり此者を引入ひきいれなば金子の調達てうだつも致すべし此儀如何あらんと申ければ彌次六も大いによろこ早々さう/\夫となくかの肥前を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
が、いずれにしたところで有徳うとくの知識とは申されぬのである。寺へ酒肴持参の花見もなものである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
さへりあげもせず錦野にしきの懇望こんまうあたかもよしれは有徳うとく醫師いしなりといふ故郷こきやうなにがしにはすくなからぬ地所ぢしよ
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
今西村いまにしむら兵右衛門へいゑもんと云へる有徳うとくなる百姓ありけるが、かの家にめし使ふ女、みめかたち人にすぐれ、心ざまもやさしかりければ、あるじの兵右衛門おりおりしのびかよひける。
案頭の書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それはとにかく、この老人はこの煙管と灰吹のおかげで、ついぞ家族を殴打したこともなく、また他の器物を打毀うちこわすこともなく温厚篤実な有徳うとくの紳士として生涯を終ったようである。
喫煙四十年 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
法体ほったいと装ひて諸国を渡り、有徳うとくの家をたばかつて金品をかすめ、児女をいざなひて行衛をくらます、不敵無頼の白徒しれものなる事、天地に照して明らかなり、汝空をかけり土にひそむとも今はのがるゝに道あるまじ
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
やはり彼は非凡人であったと心から考え出して、そういう有徳うとくの僧に毒矢をつがえた身のほどが恐ろしくなってしまった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
路地の最も長くまた最も錯雑して、あたかも迷宮の観あるは葭町よしちょうの芸者家町であろう。路地の内に蔵造くらづくりの質屋もあれば有徳うとくな人の隠宅いんたくらしい板塀も見える。
早く女房に死に別れて、跡を継ぐべき子供もなかったので、二人のめい——お道、お杉——を養って淋しいが、しかし満ち足りた暮しをしている、有徳うとくの米屋でした。
茲に説出すに頃は享保きやうほ年中甲州かふしう原澤村はらざはむらに佐野文右衞門ぶんゑもんいひ有徳うとくくらす百姓あり或時文右衞門は甲府表に出て所々見物なし日も西山に傾むきける故に佐倉屋さくらや五郎右衞門ゑもんといふ穀物問屋へ一ぱく
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
頭巾ずきんかむり手に数珠じゅずを持ちつえつきながら行く老人としより門跡様もんぜきさまへでもおまいりする有徳うとくな隠居であろう。小猿を背負った猿廻しのあとからはつつみを背負った丁稚でっち小僧が続く。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
家人けにん眷族けんぞく慴伏しょうふくの上に坐し、有徳うとくな長者の風を示している大掾国香も、常南の地に、今日の大をなすまでには、その半生涯に、信義だの慈悲だの情愛などというものは
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
谷中三崎町に、小大名の下屋敷ほどの構へで、界隈かいわい睥睨へいげいしてゐる有徳うとくの町人丁子屋ちやうじや善兵衞。
つぐなうとあれば聖人せいじんおきてにも有事なり然らばあし御政事ごせいじにてはなきと决せり又非學者ひがくしやなんじていはく文王は有徳うとくな百姓町人のつみけいにあらざるものを過料くわれうさせて其金銀を以て道路だうろにたゝずみ暑寒しよかん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
隣町に住んでいる有徳うとくの浪人者、小金などを廻して呑気のんきに暮している中年過ぎの男が踊りの師匠のところに出入するというのは腑に落ちませんが、先刻さっき小唄の師匠のお組が
「どんじき、などと、お書きくださって、なんの意味か、通じはしませぬが、そういう有徳うとくなお方の看板でも出しておいたら、少しは貧乏神の魔除まよけになるかと思いましてな」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここで有徳うとくの町人の倅が殺されたというのは平次の鑑定も嘘のような気がしてなりません。
隣り町に住んでゐる有徳うとくの浪人者、小金などを廻して呑氣に暮してゐる中年過ぎの男が踊りの師匠のところに出入りするといふのはに落ちませんが、先刻さつき小唄の師匠のお組が
三尊の來迎らいがうが拜まれるといふ俗説があり、江戸の海邊や高臺は凉みがてらの人の山で、有徳うとくの町人や風流人は、雜俳や腰折を應酬したり、中には僧を招じて經を讀ませる者もあり
半左衞門は言ひかけて口をつぐみました。世にあり勝ちの有徳うとくな町人達のやうに、自分の施した善根などを、岡つ引相手に吹聽するのが、さすがに大人氣ないと思ひ付いたのでせう。
世の有徳うとく人と言はれ、義理堅いと言はれ、慈悲善根が好きだと言はれる人の中には、う言つた自己紹介の好きな、ひどい宣傳癖のある人の多いことを、平次はよく知つて居りますが
江戸屋敷の正妻の外に國許に妾を置き、それを見慣ふ有徳うとくな武家、好色の大町人は申すまでもなく、甚しきに至つては學者僧侶に至るまで、公然妾を蓄へていさゝかも恥ぢる色がなかつたのです。