はや)” の例文
わたくしははやくから文学は糊口ここうの道でもなければ、また栄達の道でもないと思っていた。これは『小説作法』の中にもかいて置いた。
正宗谷崎両氏の批評に答う (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まして近ごろすでにはやく科学研究に関する統制の声の聞かれるがごときは、この見地において我々の最も遺憾とするところである。
社会事情と科学的精神 (新字新仮名) / 石原純(著)
即、天窟戸を本縁とした鎮魂の呪言——此詞章ははやく呪言としては行はれなくなり、叙事詩として専ら物語られる事になつたらしい。
人をよろこばせ、おのずから人の望みに応ずるというような楽しい状態を表示するために、はやく生まれていた単語ではなかったろうか。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
文学志望ではやくから私の家に出入していた。沼南が外遊してからは書生の雑用がひまになったからといって、殊にシゲシゲと遊びに来た。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
西村廓清の妻島の里親河内屋半兵衞が、西村氏の眞志屋五郎兵衞と共に、よゝ水戸家の用達であつたことは、はやく海録の記する所である。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
その折左衛門尉は自分が毎朝馬で馬場先を運動する事を話したので、石黒氏は父親てゝおやかれてあさはやくから馬場先に出掛けて往つた。
はやく母に別れて愛にかつえている加世子にとって、時にとっての話相手になるのではないかと、均平は自分勝手にそんなことを考えていた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
すると薩長などははやくに朝廷の或る人々と謀る所があっていたから直ちに慶喜公の出願を採用され、いわゆる王政復古の大改革となった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
翌朝は八マイルを駕籠で行く可く、はやく出発した。この運輸の方法は、如何に記述しても、それがどんなものであるか、まるで伝えない。
信長は、払暁ふつぎょうすでに、大宮を立って、浮島ヶ原から愛鷹山あしたかやまを左に見て進んでいた。旅行中も、寝るにはおそく、起きるにははやい信長だった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父とは同国の出身で、はやくから病気療養に対するその効用を認めて海水温浴を主唱し、少しは世に知られていた医家があった。西岡である。
次男の修二は、はやくから実業に志し、これは万事好都合に運んで、今は神戸の街にかなりの店を開いてそこの主人として相当に活動している。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
はやい頃から暗示ほのめかしてゐる何ものかがあつて、その人の光明のある立派な道を可愛らしく美しく純潔に、飾つてくれてゐるものがあるかも知れぬ。
地方主義篇:(散文詩) (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
水戸烈公の著「明訓一班抄」にれば、徳川家康は博奕ばくえきをもってすべての罪悪の根元であるとし、はやく浜松・駿府在城の頃よりこれを厳禁した。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
知らずに食うことのないようにと、シナ語の田鶏、フランス語の Grenouille が蛙であることを、私ははやくから調べて用心している。
庶民の食物 (新字新仮名) / 小泉信三(著)
そしてやっと我に帰ったとき、むっくと立ち上って「お巻さん、私さきに帰ってよ」と言うなりはやく店を飛び出した。
妻も私の研究に非常に興味を持ち、私の助手として働いてくれました。私たちは朝はやくから夜おそくまで働きました。
人工心臓 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
猿の遊びて果を求むるがごとし〉とあれば少なくとも心猿(ここでは意猿)だけははやくインドにあったたとえだ。
しこうして又はやくより此意ありたればこそ、葉居升しょうきょしょうが上言に深怒して、これを獄死せしむるまでには至りたるなれ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
翌朝ははやく起き、管守を訪ひてあらかじめことわりおき、さて姫と媼とを急がせつゝ共にボルゲエゼの館に往きぬ。
花に嗜好を持つてゐたのではなかつたが、此紫色の小さい可憐な草花をばかくてはやくから覺えたのである。
すかんぽ (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
何分、朝のはやい役者を泊めている家、すっかり寝しずまっていることゆえ、裏梯子うらばしごを、かまわず上り下りしたところで、見とがめる目も耳もあるはずがなかった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
はやくから開け、絶頂始め坊主小屋等は、碑祠を建立せられたるため、幾部分汚されてるが、世に知られないのは穂高の幸か、空海も、播隆(槍ヶ岳の開山和尚)も
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
春日王は癩病になられたがために、奈良坂に隠棲し給い、その子の弓削浄人がこれを孝養するについて、朝はやく起きて市中に花売をした。それで市人が弓削夙人はやびとと云った。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
家持は、父の旅人があのような歌人であり、はやくから人麿・赤人・憶良等の作を集めて勉強したのだから、此等六首を作る頃には、既に大家の風格をそなえているのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
くる日は穂高岳に上るつもりで、朝はやく起きた、宿の女が「飯が出来やしたから、囲炉裏の傍でやって下せえ、いけましねえか」と、畏る畏るしきい越しに伺いに来る、いいとも
梓川の上流 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
すすきだの、もうはやくにあの情人にものを訴へるやうなセンチメンタルな白い小さい花を失つた野茨のいばらの一かたまりの藪だの、その外、名もない併しそれぞれの花や実を持つ草や灌木が
それもことわりや方様の父御は、世をはやふしたまひて、今は母御のお手一ツに、方様の仕送りなさるるなりとか、されば学資の来る時もあり来ぬ時もあり、いつまで続くものともしれねば
葛のうら葉 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
私の脳裡のうりにははやくすでに此の巨人の像が根を生やした様に大きく場を取ってしまっていた。此の映像の大塊を昇華せしめるには、どうしても一度之を現実の彫刻に転移しなければならない。
九代目団十郎の首 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
されど、之等これらは要するに皆かれの末技にして、真に欽慕きんぼすべきは、かれの天稟てんぴんの楽才と、刻苦精進してはやく鬱然一家をなし、世の名利をよそにその志す道に悠々自適せし生涯とに他ならぬ。
盲人独笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
これだけは大自慢の江戸ッ児全体がはやくから遺憾としておるところだ。
残されたる江戸 (新字新仮名) / 柴田流星(著)
黒部川の峡谷を隔てて立山の東に連亙れんこうしている信越国境山脈中の一峰として、はやくから地誌地図等に記載され、一個の山体として取り扱われていたらしいにもかかわらず、元来が越中の称呼であって
それは一面の要求としてはやくから急がれたことでもあつたのだ。
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
翌朝あくるあさはやつもりだったが、てなくなった。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
あまりにはやく、手を入れられた悲しさよ!
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
昔我が濁れる目にはやく浮びしことある
酒を飲むべき機会は限定せられ、且つはやくから予期せられていた。大体に神に酒を供える日と、同じであったとって誤りがない。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
二歳の時はやく奉公に出たのであるから、教を受けるには、宿に下る度ごとに講釈をくとか、手本を貰って習って清書を見せに往くとか
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その石碑は今なお芝西ノ久保光明寺の後丘に残存している。匡温は曾祖父星渚にて学を好み十二、三歳にしてはやく詩を賦した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そしてその原稿を抱いて、朝はや麹町こうじまちの方にいるある仲介者の家を訪ねたのは、町にすっかり春の装いが出来たころであった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
英詩人野口米次郎氏の頭の天辺てつぺんはやくから馬鈴薯じやがいものやうな生地きぢを出しかけてゐた。氏は無気味さうに一寸それに触つてみて
古代の禊ぎの方式には、重大な条件であったことで、はやく行われなくなった部分があったのだ。詞章は変改を重ねながら、固定を合理化してゆく。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
はやくより個性とか自我とかいうような意味で文芸を扱うことに気が付いて、それを俳句にも応用した様子が見える。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
二葉亭もやはり、はやくから露西亜の新らしい文芸の洗礼を受けていても頭の中では上下を着て大小を佩していた。
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
二十七日の夜ともいうべき二十八日のはやくに出港せしが、浪風あらく雲乱れて、後には雨さえ加わりたり。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
重宗ははやくより最もその意を注いで、調査に調査を加え、既に判決を下すばかりになっていたものであるが、辞職の際の事務整理に、ことさらにこれのみを取残し
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
はやく烏がカー カー 即ち「女房」と鳴く。だから神さんは亭主よりも早く起きねばならぬ。
このようにして忠敬の遺した仕事はいつまでも大きな意味をもって記憶されてゆくことを考えますと、はやく学問の道に志した彼もまた安んじてめいするに足りるのでありましょう。
伊能忠敬 (新字新仮名) / 石原純(著)
(伊太利の俗、尼寺に入れんと定めたる女兒をば、はやくより小尼公アベヂツサなど呼ぶことあり。)