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はや
ふりがな文庫
“
夙
(
はや
)” の例文
わたくしは
夙
(
はや
)
くから文学は
糊口
(
ここう
)
の道でもなければ、また栄達の道でもないと思っていた。これは『小説作法』の中にもかいて置いた。
正宗谷崎両氏の批評に答う
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
まして近ごろすでに
夙
(
はや
)
く科学研究に関する統制の声の聞かれるがごときは、この見地において我々の最も遺憾とするところである。
社会事情と科学的精神
(新字新仮名)
/
石原純
(著)
即、天
ノ
窟戸を本縁とした鎮魂の呪言——此詞章は
夙
(
はや
)
く呪言としては行はれなくなり、叙事詩として専ら物語られる事になつたらしい。
国文学の発生(第四稿):唱導的方面を中心として
(新字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
人を
悦
(
よろこ
)
ばせ、おのずから人の望みに応ずるというような楽しい状態を表示するために、
夙
(
はや
)
く生まれていた単語ではなかったろうか。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
文学志望で
夙
(
はや
)
くから私の家に出入していた。沼南が外遊してからは書生の雑用が
閑
(
ひま
)
になったからといって、殊にシゲシゲと遊びに来た。
三十年前の島田沼南
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
▼ もっと見る
西村廓清の妻島の里親河内屋半兵衞が、西村氏の眞志屋五郎兵衞と共に、
世
(
よゝ
)
水戸家の用達であつたことは、
夙
(
はや
)
く海録の記する所である。
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
その折左衛門尉は自分が毎朝馬で馬場先を運動する事を話したので、石黒氏は
父親
(
てゝおや
)
に
牽
(
ひ
)
かれて
朝
(
あさ
)
夙
(
はや
)
くから馬場先に出掛けて往つた。
茶話:03 大正六(一九一七)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
夙
(
はや
)
く母に別れて愛に
渇
(
かつ
)
えている加世子にとって、時にとっての話相手になるのではないかと、均平は自分勝手にそんなことを考えていた。
縮図
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
すると薩長などは
夙
(
はや
)
くに朝廷の或る人々と謀る所があっていたから直ちに慶喜公の出願を採用され、いわゆる王政復古の大改革となった。
鳴雪自叙伝
(新字新仮名)
/
内藤鳴雪
(著)
翌朝は八マイルを駕籠で行く可く、
夙
(
はや
)
く出発した。この運輸の方法は、如何に記述しても、それがどんなものであるか、まるで伝えない。
日本その日その日:03 日本その日その日
(新字新仮名)
/
エドワード・シルヴェスター・モース
(著)
信長は、
払暁
(
ふつぎょう
)
すでに、大宮を立って、浮島ヶ原から
愛鷹山
(
あしたかやま
)
を左に見て進んでいた。旅行中も、寝るには
晩
(
おそ
)
く、起きるには
夙
(
はや
)
い信長だった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
父とは同国の出身で、
夙
(
はや
)
くから病気療養に対するその効用を認めて海水温浴を主唱し、少しは世に知られていた医家があった。西岡である。
夢は呼び交す:――黙子覚書――
(新字新仮名)
/
蒲原有明
(著)
次男の修二は、
夙
(
はや
)
くから実業に志し、これは万事好都合に運んで、今は神戸の街にかなりの店を開いてそこの主人として相当に活動している。
田舎医師の子
(新字新仮名)
/
相馬泰三
(著)
夙
(
はや
)
い頃から
暗示
(
ほのめか
)
してゐる何ものかがあつて、その人の光明のある立派な道を可愛らしく美しく純潔に、飾つてくれてゐるものがあるかも知れぬ。
地方主義篇:(散文詩)
(旧字旧仮名)
/
福士幸次郎
(著)
水戸烈公の著「明訓一班抄」に
拠
(
よ
)
れば、徳川家康は
博奕
(
ばくえき
)
をもってすべての罪悪の根元であるとし、
夙
(
はや
)
く浜松・駿府在城の頃よりこれを厳禁した。
法窓夜話:02 法窓夜話
(新字新仮名)
/
穂積陳重
(著)
知らずに食うことのないようにと、シナ語の田鶏、フランス語の Grenouille が蛙であることを、私は
夙
(
はや
)
くから調べて用心している。
庶民の食物
(新字新仮名)
/
小泉信三
(著)
そしてやっと我に帰ったとき、むっくと立ち上って「お巻さん、私さきに帰ってよ」と言うなり
夙
(
はや
)
く店を飛び出した。
何が私をこうさせたか:――獄中手記――
(新字新仮名)
/
金子ふみ子
(著)
妻も私の研究に非常に興味を持ち、私の助手として働いてくれました。私たちは朝
夙
(
はや
)
くから夜
晩
(
おそ
)
くまで働きました。
人工心臓
(新字新仮名)
/
小酒井不木
(著)
猿の遊びて果を求むるがごとし〉とあれば少なくとも心猿(ここでは意猿)だけは
夙
(
はや
)
くインドにあった
喩
(
たと
)
えだ。
十二支考:07 猴に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
而
(
しこう
)
して又
夙
(
はや
)
くより此意ありたればこそ、
葉居升
(
しょうきょしょう
)
が上言に深怒して、これを獄死せしむるまでには至りたるなれ。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
翌朝は
夙
(
はや
)
く起き、管守を訪ひて
預
(
あらかじ
)
めことわりおき、さて姫と媼とを急がせつゝ共にボルゲエゼの館に往きぬ。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
花に嗜好を持つてゐたのではなかつたが、此紫色の小さい可憐な草花をばかくて
夙
(
はや
)
くから覺えたのである。
すかんぽ
(旧字旧仮名)
/
木下杢太郎
(著)
何分、朝の
夙
(
はや
)
い役者を泊めている家、すっかり寝しずまっていることゆえ、
裏梯子
(
うらばしご
)
を、かまわず上り下りしたところで、見とがめる目も耳もあるはずがなかった。
雪之丞変化
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
夙
(
はや
)
くから開け、絶頂始め坊主小屋等は、碑祠を建立せられたるため、幾部分汚されてるが、世に知られないのは穂高の幸か、空海も、播隆(槍ヶ岳の開山和尚)も
穂高岳槍ヶ岳縦走記
(新字新仮名)
/
鵜殿正雄
(著)
春日王は癩病になられたがために、奈良坂に隠棲し給い、その子の弓削浄人がこれを孝養するについて、朝
夙
(
はや
)
く起きて市中に花売をした。それで市人が弓削
夙人
(
はやびと
)
と云った。
賤民概説
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
家持は、父の旅人があのような歌人であり、
夙
(
はや
)
くから人麿・赤人・憶良等の作を集めて勉強したのだから、此等六首を作る頃には、既に大家の風格を
具
(
そな
)
えているのである。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
翌
(
あ
)
くる日は穂高岳に上るつもりで、朝
夙
(
はや
)
く起きた、宿の女が「飯が出来やしたから、囲炉裏の傍でやって下せえ、いけましねえか」と、畏る畏る
閾
(
しきい
)
越しに伺いに来る、いいとも
梓川の上流
(新字新仮名)
/
小島烏水
(著)
薄
(
すすき
)
だの、もう
夙
(
はや
)
くにあの情人にものを訴へるやうなセンチメンタルな白い小さい花を失つた
野茨
(
のいばら
)
の一かたまりの藪だの、その外、名もない併しそれぞれの花や実を持つ草や灌木が
田園の憂欝:或は病める薔薇
(新字旧仮名)
/
佐藤春夫
(著)
それも
理
(
ことわり
)
や方様の父御は、世を
夙
(
はや
)
ふしたまひて、今は母御のお手一ツに、方様の仕送りなさるるなりとか、されば学資の来る時もあり来ぬ時もあり、いつまで続くものともしれねば
葛のうら葉
(新字旧仮名)
/
清水紫琴
(著)
私の
脳裡
(
のうり
)
には
夙
(
はや
)
くすでに此の巨人の像が根を生やした様に大きく場を取ってしまっていた。此の映像の大塊を昇華せしめるには、どうしても一度之を現実の彫刻に転移しなければならない。
九代目団十郎の首
(新字新仮名)
/
高村光太郎
(著)
されど、
之等
(
これら
)
は要するに皆かれの末技にして、真に
欽慕
(
きんぼ
)
すべきは、かれの
天稟
(
てんぴん
)
の楽才と、刻苦精進して
夙
(
はや
)
く鬱然一家をなし、世の名利をよそにその志す道に悠々自適せし生涯とに他ならぬ。
盲人独笑
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
これだけは大自慢の江戸ッ児全体が
夙
(
はや
)
くから遺憾としておるところだ。
残されたる江戸
(新字新仮名)
/
柴田流星
(著)
黒部川の峡谷を隔てて立山の東に
連亙
(
れんこう
)
している信越国境山脈中の一峰として、
夙
(
はや
)
くから地誌地図等に記載され、一個の山体として取り扱われていたらしいにも
拘
(
かか
)
わらず、元来が越中の称呼であって
後立山は鹿島槍ヶ岳に非ざる乎
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
それは一面の要求として
夙
(
はや
)
くから急がれたことでもあつたのだ。
煤煙の匂ひ
(新字旧仮名)
/
宮地嘉六
(著)
翌朝
(
あくるあさ
)
は
夙
(
はや
)
く
発
(
た
)
つ
積
(
つもり
)
だったが、
発
(
た
)
てなくなった。
平凡
(新字新仮名)
/
二葉亭四迷
(著)
あまりに
夙
(
はや
)
く、手を入れられた悲しさよ!
山羊の歌
(新字旧仮名)
/
中原中也
(著)
昔我が濁れる目に
夙
(
はや
)
く浮びしことある
ファウスト
(新字新仮名)
/
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(著)
酒を飲むべき機会は限定せられ、且つ
夙
(
はや
)
くから予期せられていた。大体に神に酒を供える日と、同じであったと
謂
(
い
)
って誤りがない。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
二歳の時
夙
(
はや
)
く奉公に出たのであるから、教を受けるには、宿に下る度ごとに講釈を
聴
(
き
)
くとか、手本を貰って習って清書を見せに往くとか
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
その石碑は今なお芝西ノ久保光明寺の後丘に残存している。匡温は曾祖父星渚に
肖
(
に
)
て学を好み十二、三歳にして
夙
(
はや
)
く詩を賦した。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
そしてその原稿を抱いて、朝
夙
(
はや
)
く
麹町
(
こうじまち
)
の方にいるある仲介者の家を訪ねたのは、町にすっかり春の装いが出来たころであった。
黴
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
英詩人野口米次郎氏の頭の
天辺
(
てつぺん
)
は
夙
(
はや
)
くから
馬鈴薯
(
じやがいも
)
のやうな
生地
(
きぢ
)
を出しかけてゐた。氏は無気味さうに一寸それに触つてみて
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
古代の禊ぎの方式には、重大な条件であったことで、
夙
(
はや
)
く行われなくなった部分があったのだ。詞章は変改を重ねながら、固定を合理化してゆく。
水の女
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
夙
(
はや
)
くより個性とか自我とかいうような意味で文芸を扱うことに気が付いて、それを俳句にも応用した様子が見える。
鳴雪自叙伝
(新字新仮名)
/
内藤鳴雪
(著)
二葉亭もやはり、
夙
(
はや
)
くから露西亜の新らしい文芸の洗礼を受けていても頭の中では上下を着て大小を佩していた。
二葉亭追録
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
二十七日の夜ともいうべき二十八日の
夙
(
はや
)
くに出港せしが、浪風あらく雲乱れて、後には雨さえ加わりたり。
突貫紀行
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
重宗は
夙
(
はや
)
くより最もその意を注いで、調査に調査を加え、既に判決を下すばかりになっていたものであるが、辞職の際の事務整理に、
故
(
ことさ
)
らにこれのみを取残し
法窓夜話:02 法窓夜話
(新字新仮名)
/
穂積陳重
(著)
朝
夙
(
はや
)
く烏がカー カー 即ち「女房」と鳴く。だから神さんは亭主よりも早く起きねばならぬ。
日本その日その日:03 日本その日その日
(新字新仮名)
/
エドワード・シルヴェスター・モース
(著)
このようにして忠敬の遺した仕事はいつまでも大きな意味をもって記憶されてゆくことを考えますと、
夙
(
はや
)
く学問の道に志した彼もまた安んじて
瞑
(
めい
)
するに足りるのでありましょう。
伊能忠敬
(新字新仮名)
/
石原純
(著)
(伊太利の俗、尼寺に入れんと定めたる女兒をば、
夙
(
はや
)
くより
小尼公
(
アベヂツサ
)
など呼ぶことあり。)
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
“夙”の解説
夙(しゅく、夙の者、宿の者)は、中世から近世にかけて近畿地方に多く住んでいた賎民。中世の非人身分が分解する際に生じ、被差別部落の起源の多くであったかわたよりも下位でありながら、その差別はそれほど強烈ではなかったといわれる。
(出典:Wikipedia)
夙
漢検準1級
部首:⼣
6画
“夙”を含む語句
夙夜
夙慧
夙川
夙縁
夙昔
夙人
夙起
夙志
夙懟
夙才
馬夙彩
臣夙夜
夙約
夙村
夙望
夙少
夙卒
夙分