ろく)” の例文
六十七歳で眠るが如く大往生を遂げた。天王寺墓域内、「吉梵法師」とろくされた墓石は今なお飄々ひょうひょうたる洒脱の風丰ふうぼうを語っておる。
五千の偽装兵をしたがえ、張遼、許褚きょちょを先手とし、人はばいをふくみ馬は口をろくし、その日のたそがれ頃から粛々しゅくしゅくと官渡をはなれて、敵地深く入って行った。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三日みつかにしてのちへいろくす。病者びやうしやみなかんことをもとめ、あらそふるつて、でてこれめにたたかひおもむけり。しんこれき、めにり、えんこれき、みづわたつてく。
正面に「葛羅之井かつらのい。」側面に「文化九年壬申三月建、本郷村中世話人惣四郎」とろくされていた。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
臣願わくは少をもって衆を撃たんといった陵の言葉を、派手はで好きな武帝は大いによろこんで、その願いをれた。李陵は西、張掖ちょうえきに戻って部下の兵をろくするとすぐに北へ向けて進発した。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そして今私の手許にろくせられているその方言が既に相当な多数に上りノートブック十冊位の分量に達しているが、これは皆私自身と他から親切にも報告してくれた協力者との結晶である。
このとし永楽帝は去年丘福きゅうふく漠北ばくほくに失えるを以て北京ほくけいを発して胡地こちに入り、本雅失里ベンヤシリ(Benyashili)阿魯台アルタイ(Altai)と戦いて勝ち、擒狐山きんこざん清流泉せいりゅうせんの二処に銘をろくして還りたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
月は瑞龍ずいりゅうの雲に隠るといえども、光はしばらく西山の峰にとどまる、碑をたてめいろくする者は誰ぞ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孫子武そんしぶ齊人也せいひとなり兵法へいはふもつ呉王闔廬ごわうかふろまみゆ。闔廬かふろいはく、(一)の十三ぺんわれことごとこれる。(二)もつすこしくこころみにへいろくきか』と。こたへていはく、『なり』と。
王侯将相よりも文豪の尊敬される欧羅巴ヨーロッパならとっくに日本の名蹟とし東京の名誉とした飯田町の誇りとして手厚く保管し、金石にろくして永久に記念されべきはずであるが
従者ノ泥路ニ苦シマンコトヲおもんぱかリ天ノあかつきトナルヲ待ツテ発ス。路山間ニ入ル。岐アリ石ニろくシテ曰ク左スレバすなわち若松ニシテここヨリ距ルコト十有七里ナリト。大和久ノ駅ニ飯ス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
初夏はつなつ夕映ゆうばえの照り輝ける中に門生が誠意をめてささげた百日紅ひゃくじつこう樹下に淋しく立てる墓標は池辺三山の奔放淋漓りんりたる筆蹟にて墨黒々と麗わしく二葉亭四迷之墓とろくせられた。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
穰苴じやうしよすなはへうたふ(一二)ろうけつし、りてぐんめぐへい(一三)ろくし、約束やくそく(一四)申明しんめいす。約束やくそくすでさだまる。夕時せきじ莊賈さうかすなはいたる。穰苴じやうしよいはく、『なんすれぞおくるる』
と、人はばいふくみ、馬は口をろくし、深く蜀陣へ近づいた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
碑を建て、めいろくするものは誰ぞ。源光圀げんみつくにあざな子龍しりゆう
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)