おのの)” の例文
そして再び身慄みぶるいに襲われた。なぜならば、ろうやかに化けた女狐めぎつねのように——草の根におののいていた女は、野で見るには、余りに美しい。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、はては四次元が三次元に、また二次元にと、ついには外界のすべてが、自分自身の中へ沈潜してゆくのではないかと、おののかれたのである。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
手のとどくほど近く見え、鉛のように胸壁に落ちている雪は、銀のおののくように白く光って、叩けばカアンと音がしそうだ、空はもう純粋なるアルプス藍色となって
雪中富士登山記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
と問うように、光悦は、下男のうしろにおののいている母のすがたと、そこに立っている武蔵のすがたとを静かなまなざしで見くらべた。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、あぶや黄金虫や——それまで彼女にたかっていた種々いろいろな虫どもが、いきなりおののいたようないっせいに、羽音を立てて、飛び去ってしまった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
傷を受けてげ足をする獣のあとに、濃い碧の血が滴れているように、日に一寸だめし、五寸だめしに、破壊されている焼岳が、おののいたりわめいたりするときに、ところを嫌わず
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
とその歓びにおののき、同時にかりそめにも内蔵助の心を疑ってみたり、この人間の世を邪視じゃししていた自分が、打ちのめされたように恥かしくて
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、一方小六を、どんなにかなだめすかしても、彼はおののくのみで、一言も口にはしないのである。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
小次郎は、そういって、まわりにいる三、四十人の顔を見まわしている。皆、生唾なまつばをのんで、彼の厳しい稽古ぶりにおののいた。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
儀右衛門は、法水の顔を見ると、おののきながらも、待ち兼ねたように切り出した。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
右門はまだ生きている自分を見出したよりも、水にも濡れていないお由利の姿を見て、世にあるまじき不思議のように、あっと、おののいてさけんだ。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、親船のともにいる妃たちには、彼の声も救いには思えない。——いまにも船戦ふないくさか、とおののいている姿だった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
背の姫は、おののくのだった。美しい死体を負っているような冷たさに、新六郎まで、生きた心地もなく涙で答えた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうした中に、熊本の町は、十八日の黄昏たそがれを落した。人影はおろか、いつもの灯も見えない。ただ暗い雲の吐く粉雪のけむりに全市は霏々ひひおののいていた。
日本名婦伝:谷干城夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
怒りおののいていうのである。はっと又十郎は地へ手をついてしまった。生れて初めて見た父の形相に彼もふるえた。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平和の近づく歓びよりも、これから酷寒の冬に向うような恐怖に近いおののきのほうを先に抱いてしまうのだった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殊には、これまでの数年が、たえず彼女の心をおびやかしていた毎日であったから、繭の中に守られていても、ややもすれば、風を恐がる花のようにおののくのだった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、それにせよ、処女が処女でないといわれることは、忍び難い恥辱をあびたように身がおののくのだった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何気なく振向いた禰宜の妻は、伝右衛門のすがたを見ると、すぐいつぞや激戦の恐怖を衝かれたように、濡れ手のまま跳びあがった、極度に顔いろをおののかせた。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おののきながら紙の端を支えている指の爪が、先刻さっき、使いの途中で見た死人の爪と、同じような色に見えた。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おののいておるらしいが、何も恐がるに及ばぬ。そなたに罪はない。合戦は、清盛と義朝のいたした事だ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この屋敷の内部へ入り込んで来る浅野浪人の千変万化な跳梁ちょうりょうぶりを思うと、吉良家の使用人たちは、それが直接自分たちの不安であるように、肌を寒くしておののいた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忠興からそう云われて、彼女はまた、れはてている涙をおののきこぼした。——今朝、鏡の前にあった清麗も艶美も、嘘のものだったように彼女の面からかき消えていた。
その幌にくるまれた牡丹色ぼたんいろのビロウドのクッションには盛装した石炭屋の夫人マダム高瀬槙子と、めいの奈都子とが、ほッと、蒼白いおののきから救われた顔をしていたのである。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とかすかに答えた千浪は血のおののきに上逆うわずって、男の手がふんわりと肩にからんだのもうつつであった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明けても暮れてもいくさばかり多かった彼女の娘時分には、戦に出ている夫とか、子とか、兄弟とかの便りを知るすべもないし、また、自分たちの明日あしたも知れぬ運命におののいて
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それも今は、すすだらけになったまま、不具の良人と同じように、納屋の隅に埋もれていた。彼女は、見るたびに、いまわしい気もちにとらわれた。戦というものにおののきを覚えて
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
トム公の海軍洋刀メスの先は、さおになっておののいている奈都子の顔のそばまで届いていた。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なるほど、こうの水はいつのまにか鉛色に見え、そよ風は雨気をささやきはじめて、藤の花の紫は、まさに死なんとする楊貴妃ようきひの袂のように、にわかむせぶようなにおいを散らしておののいている。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、心の奥のものが、風竹の葉のごとく、おののそよぐのをどうしようもなかった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くるまは、血のなかを、ぐわらぐわらとおののきめぐって、洛陽へはいってしまった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おののく影をあとにおいて、利家は、そのまま勝家を迎えるため、玄関へ出て行った。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あるじの子息北山半三郎が寝室へ来て、甚助をゆり起し、おののきながら云うのだった。
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二本の朽木は、からくもおどろきにおののく身を、断層の宙に支えているに過ぎない。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
又八をして猜疑さいぎおののかしめたものは、お通と武蔵との、むつまじそうな姿だった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今朝は夢にも思わなかった故郷の空へと、そして、かかる事とは夢にも知らない故郷の人々へと——空虚うつろな身と、おののく魂を乗せて、すでに、東海道をッしぐらに駈けさせているのであった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
若い男女は、すくんだまま、楠平のかんだかい声に、顔いろをおののかせていた。
夕顔の門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何をもたらしてきたこの手紙か。——父家厳いえとしの手はおののかずにいられなかった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しるしているほどであるから、京都の市民が、かつての平家が都落ちの時のように、また、木曾義仲きそよしなかが乱暴を働いたように、義経の兵も、存分な狼藉ろうぜきを働いて行くであろうと、怖れおののいていた。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母はその話になると、浜子の前例もあるので身をおののかせて泣いた。「私は何たる馬鹿だろう」と、悔ゆるばかりだった。ぼくは或る額の貯金を心がけて、それを持って遠いS市へ出かけて行った。
新九郎の置手紙を、茶店の亭主から受けとった重蔵は、すこしおののきながら、その封を切った、——封をきると共に、うす墨の文字を流した巻紙が、夜風にばらばらと四、五尺膝から吹かれてゆく。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日吉は、心のうちでおののいた。父のことばは、父のいう通りに思った。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「負って進ぜる、背におすがりなされ」二人のこういういたわりの言葉さえも、姫の耳に、はっきり入っているかどうか、姫は気もなえて、ただ、向けられた覚明の背を見ると、わなわなとおののきつつ
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其女そなたもまた、俺のすがたを見て、なぜそのようにおののくのだ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
揺れたり、おののいたり、廻ったり、止まったりするのであった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
楠平はすぐ、はっと或る予感の的中を思って、体がおののいた。
夕顔の門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一転、その巨眼は、金蓮のおののきを、冷ややかにめすえて。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どう答えようかとおののいていると沢庵が傍らから無造作に
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お菅は、むせび泣いて、薄い体を、よよと畳におののかせた。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
声はあやしくおののいたが、涙の顔は決して見せない。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)