みづから)” の例文
みづからにても容されたのは、たれにも容されんのにはまさつてをる。又自ら容さるるのは、終には人に容さるるそれが始ぢやらうとふもの。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
今の青年で、世間より以外にみづからがある筈がないと言つてゐるものさへある。世間即ち自己であればそれで足りるやうな青年が多い。
解脱非解脱 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
にぶる時はたくはへたるをもつてみづからぐ。此道具だうぐけものかはを以てさやとなす。此者ら春にもかぎらず冬より山に入るをりもあり。
然れども余はみづから左迄に藝術批判の眼識低き者とは思はず、人の呼んで先生を不眞面目なりとなす時、先生の眞面目を叫んで誇らんとするものなり。
芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみづからを証拠てる丈でも三四郎は風流人である。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
かうして判決はして置くが、此判決の儘には執行されないだらうと、裁判官みづからがある予想を打算して居たんだと云ふ疑惑が、続いて起つて来べき筈だ。君の疑問を推論して行けばだね。
逆徒 (新字旧仮名) / 平出修(著)
翁これを納めて、二九三祝部はふりらにわかちあたへ、みづからは一むらつみをもとどめずして、豊雄にむかひ、二九四かれなんぢ秀麗かほよきたはけて二九五你をまとふ。你又かれかりかたちまどはされて二九六丈夫ますらを心なし。
それのみならず、孝経にも、身体髪膚之しんたいはつぷこれを父母に受く、あへ毀傷きしやうせざるは孝の始なりとある。みづから、好んでその身体を、虱如きに食はせるのは、不孝も亦甚しい。だから、どうしても虱狩るべし。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
釋迦佛は誕生したまひて七歩し、口をみづからひらいて、天上天下唯我獨尊てんじやうてんかゆゐがどくそん、三界皆苦我當度がいかいぐがたうどの十六字をとなへ給ふ。今の月滿御前は、うまれ給ひてうぶごゑ(初聲)に南無妙法蓮華經と唱へ給ふ歟。
ふね塲合ばあひには、それをもつ輕氣球けいきゝゆう運命うんめいぼくし、みづから天運てんうんつきあきらめて、其時そのとき最後さいご手段しゆだんすなは海賊船かいぞくせんとか其他そのた強暴きようぼうなる外國ぐわいこく軍艦等ぐんかんとうに、海底戰鬪艇かいていせんとうてい秘密ひみつさとられぬがため
急ぎ我首を取て、殺生関白の名を後代までさらし給ふべし、敵の首をとらん事は思ひもよらざる事也、此職に在ては、天下の邪法を正し給はんこそ、国たましゐの役なるべきに、みづから邪法を行ひ給ふ事
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
おそろしき「うたがひ」は、ああみづからの身にこそ宿れ
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
彼の作こそは悉くわが空想の産みし所にして、描きたる人々の性格餘りに變化無しとの評ありし時われみづからも亦頷きたり。
彼は親友の前にみづからの影をくらまし、その消息をさへ知らせざりしかど、陰ながら荒尾が動静の概略あらましを伺ふことを怠らざりき、こたびその参事官たる事も
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
親をころしたるゆゑみづからけんにいたりて事のよしをつげたる事など○広異くわうい記○宣室志せんしつしを引てしるせり。
物数奇ならば当人の随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみづからを放逐したとすると、甚だ気の毒である。聞く所によると、あれ丈の学者で、月にたつた五十五円しか、大学から貰つてゐないさうだ。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
いと淡き今宵の月の色こそ、その哀にも似たるやうに打眺うちながめて、ひとの憎しとよりはうたみづからを悲しと思続けぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
親をころしたるゆゑみづからけんにいたりて事のよしをつげたる事など○広異くわうい記○宣室志せんしつしを引てしるせり。
井元は日華洋行の營業成績が面白く無く、方々へ不義理が出來た上、最近不渡手形を出したのが世上の噂になると、根が善良過る位善良な人間だから、おもひつめてみづから命を絶つたのだ。
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
此の集收むるところの作品の過半は今日までに發表したる余の作品中最も厭ふべく忌むべきものとみづからおもへるところのものにしていづれは昨日の事の悔まれぬはなきが中にもかゝる作品を
芭蕉はせをとは草庵さうあんに芭蕉をうゑしゆゑ人よりよびたる名ののちにはみづからがうによべり。
その中に書いてある事は自分が想像もしなかつた意外千萬なもので、殊に自分を驚かしたのは文中所謂青年文士の談話として、自分が廢嫡されるかどうかといふ問題をみづから論じてゐる事であつた。
芭蕉はせをとは草庵さうあんに芭蕉をうゑしゆゑ人よりよびたる名ののちにはみづからがうによべり。
○さてわが駅中えきちゆうに稲荷屋喜右エ門といふもの、石綿を紡績はうせきする事に千思せんしりよつひやし、つひみづからその術を得て火浣布を織いだせり。又其頃我が近村きんそん大沢村の医師黒田玄鶴げんくわくも同じく火浣布を織る術をたり。