知人ちじん)” の例文
これは大乗院の僧朝舜ちょうしゅん知人ちじん和田某が、湊川合戦の直後(約一ヵ月後)神戸へ出むき、同地で見聞して帰ったことの手紙で
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれ直接ちよくせつちゝ紹介せうかいた。ちゝとほして間接かんせつその知人ちじん紹介せうかいた。さうして自分じぶん將來しやうらい影響えいきやうやうひと物色ぶつしよくして、二三の訪問はうもんこゝろみた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
まだかみのご利益りやくがあるものとしんじて、むら知人ちじんをたよってかえりましたが、もはやだれもふりむくものはなかったので、そのうにこまり、星晴ほしばれのしたある
きつねをおがんだ人たち (新字新仮名) / 小川未明(著)
谷中やなか知人ちじんいゑひて、調度萬端てうどばんたんおさめさせ、此處こゝへとおもふに町子まちこ生涯せうがいあはれなることいふはかりなく、暗涙あんるいにくれては不徳ふとくおぼしゝるすぢなきにあらねど
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
然しこの広告が富岡先生のこの世に放った最後の一喝いっかつで不平満腹の先生がせめてもの遣悶こころやり知人ちじんってらされたのである。心ある同国人の二三はこれを見て泣いた。
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
知人ちじん柳房生りゅうぼうせいの親戚某神学士ぼうしんがくしも、病を得て英国から帰途印度洋で死んで、新嘉坡シンガポールに葬られた。二葉亭氏も印度洋で死んで新嘉坡で火葬され、骨になって日本に帰るのである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それから千葉県ちばけんそれがし埼玉県さいたまけんそれがし非職ひしょくになったという話をしている。それはみな糟谷と同出身どうしゅっしん獣医じゅういで糟谷の知人ちじんであった。糟谷はいまの場長の話は遠まわしに自分にふうするのじゃないかと思った。
老獣医 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
そのあひだぽつり/\とくびられる知人ちじん未知人みちじん名前なまへえずみゝにした宗助そうすけは、時々とき/″\うちかへつて御米およね
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
さいは海軍かいぐん鳥居とりゐ知人ちじん素性すぜうるからで利發りはつうまれつきたるをとこあるよし、其方そなた異存いぞんなければれをもらふて丹精たんせいしたらばとおもはるゝ、悉皆しつかい引受ひきうけは鳥居とりゐがして
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
わたしは、北海道ほっかいどう知人ちじんがありますので、そこへたよっていきたいとおもいます。しかし、それにしては、すこし旅費りょひりません。それで、んだちち形見かたみですが、ここに時計とけいっています。
般若の面 (新字新仮名) / 小川未明(著)
宗助そうすけ一封いつぷう紹介状せうかいじやうふところにして山門さんもんはひつた。かれはこれを同僚どうれう知人ちじんなにがしからた。その同僚どうれう役所やくしよ徃復わうふくに、電車でんしやなか洋服やうふく隱袋かくしから菜根譚さいこんたんしてをとこであつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)