煙管キセル)” の例文
それは康熙年間のある夏の午後のことである。涼亭には蒲留仙ほりゅうせんが腰をかけて、長い煙管キセルをくわえながらうっとりとして何か考えている。
この刹那せつなに箱のふたをあけると、案の通り土で造った円筒状の煙管キセルの雁首が一箇出た。箱の蓋をく見ると、煙草タバコを刻んだ跡もある。
土塊石片録 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
是も今は昔、或る一人の親族の老女に教えられたのは、煙管キセルで吸っていると時々何とも言えぬくらい、甘くておいしいことがある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
『矢筈草』いよいよこれより本題にらざるべからざる所となりぬ。然るに作者にわかまどうて思案投首なげくび煙管キセルくわへて腕こまねくのみ。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
暗に嫁のお冬と言わないばかり、無事な右手に握った煙管キセルで、自棄やけに灰吹を叩きます。なるほど福島浪人というのは嘘でなかったでしょう。
のどがかわけば小間使いが天目台てんもくだいをすりあしでささげてまいりたばこがほしければ一ぷく一ぷくそばから長い煙管キセルにつめて火をつけて出す
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その隣りが酒屋の物置と酒屋の店蔵で、そのさきが煙草タバコ問屋、煙管キセル羅宇ラオ問屋、つづいて大丸へむかった角店の仏具屋の庭の塀と店蔵だった。
旧聞日本橋:02 町の構成 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
こういう時に、宗右衛門が酒気を帯びていると、銓を側に引き附けて置いて、忍耐を教えるといって、たわむれのように煙管キセルで頭を打つことがある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管キセルを口にくわえて、悲しそうな顔をしながら、地上にまるくうずくまっていた。
健が平生へいぜい人に魂消たまげられる程の喫煙家で、職員室に入つて来ると、甚麽どんな事があらうと先づ煙管キセルを取上げる男であることは、孝子もよく知つてゐた。
足跡 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
宗平は真鍮しんちゅう煙管キセルたばこをつめつつ語る、さして興味ある物語でもないが、こうした時こうした場所では、それもおもむきふかくきかれたのであった。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
紙筆しひつ硯机けんき煙管キセル巾櫛きんしつの類より、炉中の火、硯池けんちの水に至るまで、その主の許可あるにあらずして使用することを許さず
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
寝すごしたのだろうと思い、わしは自分で煙草盆たばこぼんを引き寄せ、マッチで煙管キセルに火をけ一二服吸い、き入ったが、その音でも奈世は起きて来ない。
(新字新仮名) / 富田常雄(著)
久助は今、岩に腰をかけて、煙管キセルでぷかぷかと一服休んでいる。紫色の煙が澄み切った秋の空気の中を静かに上っている。赤蜻蛉とんぼがすいすいと飛んでいる。
忠僕 (新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
彼は頭にはフェルトのきたない帽子をかぶり、身には一枚のく薄い綿入れを着て、体はすっかりちゞこまっていた。手には一つの紙包と一本の長い煙管キセルとを持っていた。
故郷 (新字新仮名) / 魯迅(著)
間もなく六やんは煙管キセルを腰の煙草入れにしまいこみ、背のびしながらたちあがった。そして馬の手綱をほどいたあと、なに気なく坂の下を眺めた。六やんはびっくりした。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
長火鉢の前にいたお神さんは、煙管キセルで事務所の方向を指しながら、親切に教えてくれた。
情鬼 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
この通風筒というのは、煙管キセル雁首がんくびの化物みたいな、風をとおす大きな筒です。
怪塔王 (新字新仮名) / 海野十三(著)
夏雄さんの彫り物では鏡蓋かがみぶた前金具まえかなぐ煙管キセルなど沢山に所持しており、また古いものにも精通しておられ、柏木貨一郎というとその頃の数寄者仲間には知られた人で、同氏が所持していたものといえば
「親分のめえだが、泥棒が金唐革きんからかわの飛切り上等の懐中ふところ煙草入を忘れて行くという法はねえ。おまけに煙管キセルは銀だ。あれは安くちゃ買えませんぜ」
銭形平次捕物控:050 碁敵 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
このわたしをわたりましたのが仕合わせでござりましたと腰のあいだから煙草タバコ入れの筒を抜き取って煙管キセルにきざみをつめながらいうのである。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
築地本願寺畔の僑居きょうきょに稿を起したわたしの長篇小説はかくの如くして、遂に煙管キセルやにを拭う反古ほごとなるより外、何の用をもなさぬものとなった。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
和三郎は小腕をまくって、ブルブルふるえながら、冷静をとりもどそうとして、煙管キセルに火をけたが、のぼせているので火皿ほざらの方を口へもっていった。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
どれも大きなまげに結って、綺麗なかんざしをさし、緋の長襦袢ながじゅばんに広くない帯、緋繻子の広いえりを附けたかけという姿です。すっかり順に並びますと、その前へ蒔絵まきえの煙草盆と長い煙管キセルとを置きます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
艫の舵柄の傍では、年老った船頭が一杯機嫌で胡座あぐらをかき、大きな煙管キセルで煙草をみながら舵柄を見て、二人のわか舵手かこに冗談口を利いていた。煙草の火の光が暗い中に螢火のように光っていた。
幽霊の自筆 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
福地先生は風呂より上りし所と見えて平袖中形牡丹ひらそでちゅうがたぼたん浴衣ゆかた縮緬ちりめん兵児帯へこおびを前にて結びだいなる革蒲団の上に座しおもむろに銀のべの煙管キセルにて煙草のみてをられけり。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
唐物問屋とうぶつどんやの荷蔵の裏になって、ずっと高い蔵つづきの日かげなので、稗蒔屋はのどかになたまめ煙管キセルをくわえ、風鈴屋はチロリン、チロリンと微風そよかぜに客をよばせている。
煙管キセルを指先で廻して、こんな事をポンポンと言いながらも妙に考え込んでおります。
せまい道巾みちはばのところへいったら、小さな店に、さびしげにいた黒い白粉おしろいをつけたようなお女郎が「おちゃびんだ」とどなって、煙管キセルを畳に投げつけたので、私はびっくりして
追手おってつかまって元の曲輪くるわへ送り戻されれば、煙管キセル折檻せっかんに、またしても毎夜の憂きつとめ。死ぬといい消えるというが、この世の中にこの女の望み得べき幸福の絶頂なのである。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その上灰吹はいふきをポンとならして煙管キセルをはたくのが癖であることを、彼女がよく知っているので、そんな事にまで不自由を忍ばなければならなかったので、彼女が辞し去ったあとで
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
その間に抽斗の草稿は一枚二枚と剥ぎ裂かれて、煙管キセルやにを拭う紙捻こよりになったり、ランプの油壺やホヤを拭う反古紙になったりして、百枚ほどの草稿は今既に幾枚をも余さなくなった。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
おしょさんはなんでだまって煙草タバコなんか長い煙管キセルからのんきにふかしてるのだろう——
初めて片膝を蒲団の上に載せるように枕頭に坐って、先ず一服したあと煙管キセルを男に出してやる——そういう時々先生はお妾に対して口には出さない無限の哀傷と無限の感謝を覚えるのである。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
舞台と平時ふだんとの区別もなく白く塗りたてて、芸に色気が出ないで、ただの時は、いやに色っぽい、女役者の悪いところだけ真似るのをいやがっている九女八くめはちは、銀のべの煙管キセルをおいて
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
祖母は何もかも一番早くゆくから一番さきにしまいになる。すると、長い煙管キセルをついて監視人と早がわり、御飯粒ひとつでもこぼすと、その始末をしてしまわないうちは食べさせない。
あたしの家の近所で、一番早くなくなったのが、両換屋りょうがえやと、煙管キセルのらお問屋だ。
といいながら、器用に、ポンと音をさせて煙管キセル吸殻すいがら吐月峰はいふきへはたいた。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
おじいさんは刀豆なたまめ煙管キセルをジュッと吸った。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)