渓間たにま)” の例文
旧字:溪間
魚でもさけますと大きなやまめ渓間たにまの鯉は蛇を食べますから鮭や鱒を食べると三年過ぎた古疵ふるきずが再発すると申す位で腫物や疵には大毒です。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
赤々として熱そうな、日入いりひの影が彼方むこうの松林に照りつけると、蜩の声は深山の渓間たにまで鳴くのである。もはや帰るべき時はきたった。
森の妖姫 (新字新仮名) / 小川未明(著)
銀盤の上を玉あられの走るような、渓間たにまの清水が潺湲せんかんと苔の上をしたゝるような不思議な響きは別世界の物の音のように私の耳に聞えて来る。
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
が、青年の言葉を、かみしめているうちに、美奈子は傍の渓間たにまへでも突落されたようなはげしい打撃を感ぜずにはいられなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
径は渓間たにまの方へ低まって往った。丹治は眼を渓の下の方にやろうとした。赤いもやが眼の前を飛ぶような心地きもちがした。
怪人の眼 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
僧都は珍客のためによい菓子を種々くさぐさ作らせ、渓間たにまへまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応きょうおうに骨を折った。
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
先日渓間たにまざんに遭った女どもの一人が彼の妻だったとも言う。管敢は匈奴の捕虜の自供した言葉を知っていた。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
お花畑を出でると、雪の渓間たにまがある、林泉がある、見慣れないけものが、きょとんとして、こちらを向いている。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
山から山に渡るには頂上より頂上まで行くのが最も近道ちかみちであるが、実際山より山にうつるには、一度ふもと渓間たにまに降りてまたまたけわしき峰をよじ登らねばならぬ。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
少くも骨の一片位はなくてはならんはずだが、品物はそのまま其処そこに身体は何処どこ渓間たにまへでも吹飛されたものか、この秘密はおそらくはれもくものはあるまい
越中劍岳先登記 (新字新仮名) / 柴崎芳太郎(著)
二十三日、いえのあるじにともなわれて、牛の牢という渓間たにまにゆく。げにこのながれにはうおまずというもことわりなり。水のるる所、砂石しゃせき皆赤く、こけなどは少しも生ぜず。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
どんなにか美しいはずのこんもりした渓間たにまに、ゴタゴタと妙な家のこけらぶきの屋根が窮屈そうに押しあっているのを見下ろして、なるほどこうしたところかと思った。
雑記(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
木綿もめんを晒す石津川いしづがはの清い流もあります。私はこんな所に居て大都会を思ひ、山の渓間たにまのやうな所を思ひ、静かな湖と云ふやうなものに憧憬して大きくなつて行きました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
なお追掛けて出ると、は如何に、拙者がばかされていたのじゃ、茅屋あばらやがあったと思う処が、矢張やっぱり野原で、片方かた/\はどうどうと渓間たにまに水の流れる音が聞え、片方は恐ろしい巌石がんせき峨々がゞたる山にして
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
沢をいって、浅間のものの水汲むというあたりに外套がいとうをぬぎ、雪ふみしめてのぼりゆく。尾根に出ても陰鬱な空、近山のほかは見えず、渓間たにまの黒松は雪をいただいて、足下ちかくならんでいる。
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
渓間たにまに築いた炉は、一ヶ月足らずの苦心で成就し、何者とも知れぬ武士や人足の運び込んだ地金の銅と鉄は、毎日毎日熔かされ、られ、鍛えられて、次第に井上流五貫目筒が出来上って行きます。
江戸の火術 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
竹藪たけやぶに伏勢を張ッている村雀むらすずめはあらたに軍議を開き初め、ねや隙間すきまからり込んで来る暁の光は次第にあたりの闇を追い退け、遠山の角にはあかねの幕がわたり、遠近おちこち渓間たにまからは朝雲の狼煙のろしが立ち昇る。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
落葉松からまつ渓間たにまの窪は刈株かりぐひの白う褪せたる乾田ひだ菱畦ひしあぜ
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「いや、渓間たにまへ駈けた」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
姉は流石さすが躊躇ためらっていたように見えた。さも哀しげに渓間たにまの月影を見下して、果ては二人してさめざめと泣くのである。
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)
... 牡蠣かきは五月が有毒時期になり、渓間たにまの鯉は夏が有毒時期になり、いのししなんぞは寒い時ばかりが食べられるので秋と春は大層肉の毒質が強いそうです」小山の妻君「オヤオヤ、猪の肉は毒ですか」
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
ただしんとして四辺あたりには風の折々、さわさわと木の葉の鳴る音ばかりで渓間たにまひぐらしの鳴くのが聞えて、なんだか非常に心細くなって、後へ戻って兄を追うかと思いました。
迷い路 (新字新仮名) / 小川未明(著)