恐懼きょうく)” の例文
下野はいよいよ恐懼きょうくして身をちぢめた。四、五十名の一小隊をあずかる侍頭さむらいがしらに過ぎない身分を顧みて、思案に余るものらしく見えた。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実に御下問の条々が理にかなって尋常のお尋ねではないので、岡倉校長は恐懼きょうく致されたと、後に承ったことで御座いました。
心配、恐懼きょうく、喜悦、感慨、希望等に悩まされて従来の病体益〻神経の過敏を致し、日来ひごろ睡眠に不足を生じ候次第、愚とも狂とも御笑ひ可被下くださるべく候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それでも相手の娘さんがびっくりしたように私の顔をじいっと眺めているのを見ると、私の眼にはやはり恐懼きょうくの色が現われていたに相違なかった。
彼は堪えがたい恐懼きょうくと煩悶とにひと月あまりをかさねた末に、彼は更に最後の審判をうけるべく怖ろしい決心を固めた。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
なお拡大して云えばこの場合においては諧謔その物が畏怖いふである。恐懼きょうくである、悚然しょうぜんとしてあわはだえに吹く要素になる。その訳を云えばずこうだ。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
大切な密書を彼女のなすがまゝに任せて只管ひたすら恐懼きょうくしているようなのは、どう考えても不為ふためをはかる者の態度ではない。
心得て六兵衛が恐懼きょうくしながら導いていったところは、ガヤガヤと黒集くろだかりになって人々が打ち騒いでいる奥庭先です。
与八は只管ひたすらに、自分のみが悪いことをしたと恐懼きょうくして、行燈の下へ持って来て、ひねくってみましたが、その時まで閑却かんきゃくされていたのは絵馬のおもてです。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
雲と竜ふたつどもえの件、丹下左膳、鈴川源十郎一味の行状なぞ己が知るかぎりお答え申しあげたお艶は、わが一身のことまでお耳に入れて恐懼きょうくしたまま
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
何とも仰せがないので、僧都は進んで秘密をお知らせ申し上げたことを御不快に思召すのかと恐懼きょうくして、そっと退出しようとしたのを、帝はおとどめになった。
源氏物語:19 薄雲 (新字新仮名) / 紫式部(著)
八年春三月、工部尚書こうぶしょうしょ厳震げんしん安南あんなん使つかいするのみちにして、たちまち建文帝に雲南にう。旧臣なお錦衣きんいにして、旧帝すで布衲ふとつなり。しんたゞ恐懼きょうくして落涙とどまらざるあるのみ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
忠君忠義——忠義顔する者はおびただしいが、進退伺しんたいうかがいを出して恐懼きょうく恐懼きょうくと米つきばったの真似をする者はあるが、御歌所に干渉して朝鮮人に愛想をふりまく悧口者はあるが
謀叛論(草稿) (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
未荘の人は皆恐懼きょうくの眼付で彼を見た。こういう風な可憐な眼付は、阿Qは今まで見たことがなかった。ちょっと見たばかりで彼は六月氷を飲んだようにせいせいした。
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
清盛の脳のめぐりの良さも知らず、乗船の一同、恐懼きょうく感激して、一きれの魚を味ったに違いない。
……さきごろ所司代酒井若狭守わかさのかみ忠義ただよし)どのが参内いたし、おすべりとやら申上げまする、主上御箸つきの御膳部を賜わり、異例の光栄に恐懼きょうくして頂戴仕りましたところ
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
私は漁民の妻女がやむをえずして取ったような純粋な食糧に本づく最後の非常手段以外に、そういう乱民的暴行の演ぜられたことを、私たち民衆の名に対して赤面して恐懼きょうくします。
食糧騒動について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
車夫は恐懼きょうくして頭を何度も下げては「ゴメンナサイ」といい、群衆は大いによろこぶ。
ロメーンズの『動物智慧編アニマル・インテリゼンス』に牛が屠場に入りて、他の牛の殺されがるる次第を目撃し、仔細を理解して恐懼きょうくし、同感するさま著しく、ほとんど人と異ならざる心性あるを示す由を記し
... その要は人々をして善を修め、悪をとどめしむるに至るのみ。下愚庸昧げぐようまいなるものは、この意を悟らず、恐懼きょうく疑惑して、ついにおもえらく、実に三世ありとす。これ必ず野狐やこのみ)(『神社考じんじゃこう』)
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
今や御親政の初めにあたり、非常多難の時に際会し、深く恐懼きょうくと思慮とを加え、天下の公論をもつて奏聞そうもんに及び、今般の事件を御決定になった次第である、かつ、国内もまだ定まらない上に
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
(※戦争終結の詔勅を放送)恐懼きょうくの至りなり。ただ無念。
海野十三敗戦日記 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼らは恐懼きょうくの念をもってその死骸のまわりに集まった。
一層恐懼きょうくいたしておるしだいでございます。
思い掛けぬ失錯を教えられて恐懼きょうくに堪えぬ。
恐懼きょうくおくあたわざる虎之介であった。
拝謁や菊花の階を恐懼きょうくして
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
二人は恐懼きょうくしながら、近侍にいて長廊下を巡って来た。お錠口へ来ると、しばらくここでお待ちをと言ったまま外に残されていた。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
心配、恐懼きょうく、喜悦、感慨、希望等に悩まされて従来の病体ますます神経の過敏を致し日来ひごろ睡眠に不足を生じ候次第愚とも狂とも御笑い可被下くださるべく候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
いよいよ恐懼きょうくした大作が、お艶を呼びに急ぎさがってゆくと、忠相と泰軒、顔を見合ってクスリと笑った。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
お粗末にしてはならないという恐懼きょうくの心と、それから、水商売の者は神様をうやまって、縁喜えんぎを祝わねばならぬということが、因襲的な信仰になっているらしい。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
職事はどうなることやらと案じながら、こわ/″\仰せの趣を伝えると、時平は恐懼きょうくく所を知らず、従者共に先を追わせることをも禁じ、あわてふためいて退出して
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しかも主侯自ら腰を低めて恐懼きょうくあたわないといったように、倉皇としながら小走りに、近よると、釣りの御前の遙かうしろに膝をこごめて、最上級の敬語と共に呼びかけました。
御主人の院はお驚きになって、恐懼きょうくの意を表しておいでになった。
源氏物語:36 柏木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
丁は恐懼きょうくのあまりに病いをて死んだ。
木工助は、主君の子にそうされて、恐懼きょうくにかたくなっていた。だが、枯木のようなかれの肋骨あばらの下にも、やがて烈しい感情が波打っていた。
「はいっ……」と、恐懼きょうくしながらも、こう主従顔のそろった絶好な機をのがすまいとするものの如く、大和守は喰いさがって
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「かかる山家へ、みかどの御使みつかいとは恐懼きょうくにたえません。そも、何事でございましょうか。ごらんのような、名もなき、田舎いなか武門のあるじなどへ」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
使いは恐懼きょうくして帰った。使いの者のうけた感じでは、秀吉が多少、癇癪かんしゃくを起しかけているように見えたかもしれない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「時局、容易ならぬときにいたりましてござりまする。……そのうえに、叡慮えいりょをわずらわし奉るは、まことに、恐懼きょうくにたえぬとはぞんじますなれど」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が——やがて万太郎の口から出たことばは、常々、金吾が恐懼きょうくしていたような冷たいものではなかったのです。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で、どうも、にわかに驚き入って、恐懼きょうくの措く所も知らずという有様、実以て、御処置に当惑いたしました
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いっときたりと打ち捨ておかれぬ大事ではありますが、叡慮えいりょを騒がし奉るだん、なんとも恐懼きょうくにたえませぬ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、立ちすくみ、恐懼きょうくと共に全身は、なにか雷気らいきをふくむ黒雲の中にでも立ち暮れたような茫然を見せ
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孔明は恐懼きょうくして病褥びょうじょくを出、清衣せいいして、玄徳を迎えた。彼の病室へ入ってくるなり玄徳はあわてて云った。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正親町天皇おおぎまちてんのうの皇子、誠仁さねひと親王がここにおいで遊ばすのであった。——で、信忠の臣は恐懼きょうくしつつも、まず御門へ事情を訴え、おゆるしを仰いでそれへ混み入った。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御自身、御進発ときいて、恐懼きょうくしました。もとより秀長の力足らざるところから、御憂慮を煩わしたもの。自責にたえませんが、しかし、天下に面目が立ちません。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——不遜ふそんのつみ軽からずと恐懼きょうくしてはおりまする。なれど、ことは国事です。うえかたのみならず下億衆しもおくしゅうの地獄か楽土かのわかれ、その今を坐視してはいられませぬ」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何事か存じませぬが、けしきをそこない、光秀、恐懼きょうく身のおき場もわきまえませぬ。どこが悪いと、お叱りくださいましょう。この場にて、お叱りくださるもいといませぬ」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清経は、恐懼きょうくして、さらに、静を辛辣しんらつに責めた。余りに長い時間を冷たい板床にひきえられていたせいか、静は、急に眉をひそめ、蒼白あおじろくなって苦しげにっ伏した。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)