ささや)” の例文
空想は縦横に馳騁ちへいして、底止する所を知らない。かれこれするうち、想像が切れ切れになって、白い肌がちらつく。ささやきが聞える。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
中央の実情にはまったくくらい隠岐ノ清高をつかまえて、この夕、道誉が、何をささやいていたかなどは、誰知るはずもなかったのだ。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渡邊の耳元へ低声こごえささやいておいて、自分独りで二階へあがっていった、軈て低い春日の声に混って、主人あるじの太い声が断片的きれぎれに洩れて聞えてくる。
誘拐者 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
明治の女子教育と関係なき賤業婦の淫靡いんびなる生活によって、爛熟した過去の文明の遠いささやきを聞こうとしているのである。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼はたちままなこを着けて、木立は垣の如く、花は幕の如くにさへぎひまを縫ひつつ、しばらくその影をひたりしが、つひたれをや見出みいだしけん。慌忙あわただしく母親にささやけり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「反動……革命だ……」といふのが、その唇をもれた最後のささやきであつた。阿耶は僕の胸のなかで失神した。
わが心の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
うたはせて舞はせて人の爲ぬ事して見たいと折ふし正太にささやいて聞かせれば、驚いて呆れて己らは嫌やだな。
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
ドアの外まで見送って、彼女はそれを彼の耳のそばに、くりかえしてささやいた。
薔薇夫人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そこにはうしろの窓からくる光を浴びて、それぞれの家の家族らしい人たちが嬉しそうにかたまっていた。雑音の沈んだ夕ぐれは空気が澄んでいるので、彼等のささやきが顫えるように伝わってきた。
運命について (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
先刻ささやき合った、それだ、小雨のそば降るように来た、一行の中には偃松を見て、引き返すような男はいない、しかしと、路でないところへ割り込んで来たのである、白檜の林はともあれ
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
こんなささやきは、何時までも続きそうに、時と共にまずに語られた。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
射干してささやく近江やわたかな
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
で、みかどが、すぐそばの廉子やすこへもう一ト言、何か仰っしゃりたいとしていることも、なかなか、ささやくひまが見つからなかった。
うたはせて舞はせて人のぬ事して見たいと折ふし正太にささやいて聞かせれば、驚いてあきれておいらは嫌やだな。
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
家扶かふの娘の十二三になるのをかしらにして、娘が二三人いたが、僕を見ると遠い処から指ざしなんぞをして、ささやきあって笑ったり何かする。これも嫌な女どもだと思った。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
お俊は骨牌かるたの席にかへるとひとしく、ひそかに隣の娘のひざきて口早にささやきぬ。彼は忙々いそがはしく顔をもたげて紳士のかたを見たりしが、その人よりはその指に耀かがやく物の異常なるにおどろかされたるていにて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
河風に吹かれるあしそよぎとも、時雨しぐれに打たれる木葉このはささやきとも違って、それは暗い夜、見えざる影に驚いて、ねぐらから飛立つ小鳥の羽音にもたとえよう、生きた耳が聞分けるというよりも
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
射干してささやく近江やわたかな
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
またいま、堂上に流行の学風や新思想が、その目標とするところは、幕府なき天皇一元の復古にあるのだという機微なささやきも
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
所々にちいさいを作って話をしているかと思えば、空虚な坐布団も間々あいだあいだに出来ている。芸者達は暫く酌をしていたが、何かささやき合って一度に立ってこん度は三味線を持って出た。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
婢女はしためども気味わるがりてささやき合ひしが、門の扉のあけくれに用心するまでもなく、垣にだれし柿の実ひとつ、事もなくして一月あまりも過ぎぬるに、何時いつとなく忘れて噂も出ずなりしが
琴の音 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
答はあらで、つぶやくか、ささやくか、小声ながらしきりに物言ふが聞ゆるのみ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
そしてただ「ちょへい? ちょへい?」という怪訝いぶかりの小声だけが、魔のささやきみたいに、盛り場の昼を、吹き廻っていた。
小さい時、小学校で友達が数人首を集めて、何かささやき合っていて、己がひとり遠くからそれを望見したとき、ややこれに似た寂しさを感じたことがある。己はあの時十四位であった。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
人々のあいだに、小さいささやきが流れ、そしてしばしは、その詩句と詩意とに、各〻思いをひそめ合うらしい容子だった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お常が四五歩通り過ぎた時、女中がささやいた。「奥さん。あれですよ。無縁坂の女は」
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
また、さっきから山門の袖にたたずんで様子を見ていた一武士も来て、彼と何かささやきあい、やがて肩を並べて、藁葺御堂わらぶきみどうの方へ、一しょに歩み出していた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはこれまで度々一時の発動に促されて書き出して見ては、挫折ざせつしてしまったではないかと云うささやきである。幸な事には、この咡きは意志を麻痺まひさせようとするだけの力のあるものではない。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ただいささか、ご当惑に見えたのは、帝のおたねをやどして早や三月か四月にあることを、彼女がささやいたそれを聞かれたときのおん眉のかげりだけだった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
首を縮めてささやき合いながら出て来た。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
鎌倉の枢機すうきささやかれたその一言が、いまでも彼には、なまりを呑んで帰ったように、心を重くしていたのだった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
出世のつる、栄華権勢けんせいの欲望など、ほしいまま何でもつかめとばかりな甘い秘密なささやきが、たとえば深淵しんえんの珠のごとく、帝と自分とのあいだには今ある気がした。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……兄がこの目で見た小宰相こさいしょうノ君のような例もあるからのう」と、恐ろしいことをささやいて聞かせた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それだけに気を奪われ、その一とき、廉子が童僕わっぱの金若の肩を抱くようにして、彼にささやいていた姿などは、誰も見ていないし、またそこは見えないような暗がりだった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主膳のささやきは、彼の悪酔をなお濃密なものにした。驚きと、ほろ苦い失恋の追想の中にである。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石も草も木も蕭々しょうしょうと物みないているようで、しかもその幽鬼ゆうきがみな自分を指さしてささやく。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、母子ふたりには、しょせん、寝つかれはしなかった。——途中、藤夜叉と告げて風の如く消え去った者のささやきが「……あらぬ嘘か」「真実まことか」と、まだどこかでは迷われている。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、了現はさっそく、ふところ覚えを、よろいの袖から取り出して、およその数量を正成へささやいていた。ここでの、孤立持久の籠城は、正成がはじめから一貫してきた方針である。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肌着の深くから、小さく結んだ文を取出して、彼はかさねて、下の顔へ、こうささやいた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして何かささやいていたが、すぐ取って返すなり、又太郎主従へ向ってこう告げた。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左の手が、小刀のある脇腹にかくされたのは、おどしとしても、物騒な姿勢である。高氏は見まいとした。こういう時は地蔵菩薩を念じていよ、とよくいった母のささやきがどこかで聞えた。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
資朝の後家は、背にまとい付いている子の頬へ、頬ズリを与えるようにささやいた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてしばらく、女に話しかけていたが、すぐ戻って来て、藤五の耳へささやいた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……何かこれには深いわけが?」と、なかなかこのささやきは消えなかった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その英姿をたたえるとも怪しむともつかないささやきが諸人の間に流れていた。
師直はあわてて、もいちど、藤夜叉の肩ごしに、ひと言ふた言、柄にもない優しいことばをささやいていた。そして、駻馬かんばの如く身をひるがえすやいな彼方の疎林の下を駈けくぐって行ってしまった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もっとも、時人じじんの言葉には、こんなささやきまであった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、林の中の小道から庭ごしをしてささやいた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、心配してささやき合った。
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)