“こうぜん”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:コウゼン
語句割合
昂然64.7%
哄然10.0%
浩然9.3%
公然5.3%
恍然2.7%
鏗然1.3%
亢然0.7%
向前0.7%
昴然0.7%
晃然0.7%
(他:6)3.9%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
罪人のあの柔和なレシグネーションの中に、昂然こうぜんとして何物にも屈しまいとする強さを私は明かに見て取ることが出来る。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
マリユスはコゼットと相並んで、かつて瀕死の身体を引きずり上げられたあの階段を、光り輝き昂然こうぜんとして上っていった。
こんどは、哄然こうぜんたる声を、官兵衛は暗やみへ放った。そして詩でも吟じるがごとく、自嘲じちょうの感を、ひとり壁に向って云っていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「骨が舎利になろうともこの鬼王丸さようなことはいかないかなすることではないわい!」一丈余りの白髪を左右にパッパッと振りながらまたもや哄然こうぜんと笑い捨てた。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
明智になるのだ、孟子もうし所謂いわゆる浩然こうぜんの気はへそを讃美した言葉だ、へそだ、へそだ、へそだ
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然こうぜんの気を養うのが例である。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あるひかり愚者ぐしや自分じぶん位置ゐち利用りようして貴方あなた公然こうぜんはづかしめていて
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
あるいかり愚者ぐしゃ自分じぶん位置いち利用りようして貴方あなた公然こうぜんはずかしめていて
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
孔明もそこにいたが、二人のその話には、何もふれて行かなかった。独り船窓に倚って、恍然こうぜんと、外の水や空を見ていた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さながら人間の皮肉を脱し羽化うかして広寒宮裏こうかんきゅうりに遊ぶ如く、蓬莱ほうらい三山ほかに尋ぬるを用いず、恍然こうぜん自失して物と我とを忘れしが
良夜 (新字新仮名) / 饗庭篁村(著)
其の時不意に煖炉棚マントルピースの上の置時計がジーと蝉のように呟いたかと思うと、忽ち鏗然こうぜんと鳴ってキンコンケンと奇妙な音楽を奏で始めた。
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かつて門弟の胃を病む者あり、口中に臭気しゅうきあるをさとらず師の前に出でて稽古しけるに、春琴例のごとく三のいと鏗然こうぜんはじきてそのまま三味線を置き、顰蹙ひんしゅくして一語を発せず
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「いいわ。結構よ。」美和子は、亢然こうぜんと、それに答えると、一散に奥へ走って行った。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「弘安四年に、元寇げんこうの役があった、そのとき執権時宗は、なにがしとかいう禅僧のところへいって、大事到来せり、いかんか向前こうぜんせんと訊いた、禅僧某はかねて時宗の師家だったが、問いに対して、迷惑すべからず、と答えた、時宗は大喝だいかつし、元軍討滅の決意をかためたという」
昴然こうぜんと絶叫するさまは
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
晃然こうぜんとかざす鉄杖輝く……時に、月夜をはるかに、唄の声す。
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ただいかなる景情けいじょうを詩中に持ち来って、この曠然こうぜんとして倚托きたくなき有様を写すかが問題で、すでにこれをとらえ得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あたかも人影と人影との間に、建物と建物とのまわりに煌然こうぜんとして輝いていた。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
と見れば皎然こうぜんたる銀の地に、黄金の雲を散らして、紺青こんじょうの月、ただ一輪を描いたる、扇の影に声澄みて、
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
また、その岩質が非常に脆く、永年土中に在って雨水異物を吸って表面がぼろぼろに朽ち果てたところから、井戸一帯に燐の粉がこぼれて、それに鬱気うつきを生じ、井戸の中、ふたの石、周りの土までが夜眼にも皓然こうぜんと輝き渡っていたその理を、彼は不幸にもわきまえなかったのだ。
虓然こうぜんの声左右にあるごとく酒几上きじょうに傾かざる者なしとあって、虎の声は随分大きいが獅に劣る事遠しだ、『類函』に魏明帝宣武場上にて虎の爪を断ち百姓をして縦観せしむ
『淵鑑類函』巻四二九に虎骨はなはだ異なり、咫尺しせき浅草といえどもく身伏してあらわれず、その虓然こうぜん声をすに及んではすなわち巍然ぎぜんとして大なりとある。
それからこの本の名を鴻漸こうぜんのそれに習って『茶経』と言わずに『茶の本』としたわけは、原文が陸羽の書物のそのままの英訳でないことを思い合わせる時、なまじいに、あの本の名を借り用いては、意外の連想から、本書の姿を見ひがめ、『茶経』そのものとの不即不離の関係を危うくする恐れがあることを村岡氏は懸念されたためである。
茶の本:01 はしがき (新字新仮名) / 岡倉由三郎(著)