えつ)” の例文
彼は城中に入るとすぐ、大広間を用いて、斎藤内蔵助くらのすけ以下、多くの留守居衆にえつを与え、各〻から挨拶をうけて後、初めて奥曲輪おくぐるわに入った。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八月には、かしこきあたりのえつをたまい、太政大臣、諸けい、開拓次官ら相会して、ここに北海道開拓の新しい計画を定めた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
十二三歳の頃京都に松岡門人津島恒之進つしまつねのしん、物産にくはしきことを知り、此の頃家君の京遊に従つて、始めて津島先生にえつし、草木の事を聞くこと一回。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
藤原秀郷、いつはりて門客に列すきのよしを称し、彼の陣に入るの処、将門喜悦の余り、くしけづるところの髪ををはらず、即ち烏帽子に引入れて之にえつす。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
いつまでも大海人が黙つてゐるので、嶋の聯想はもつと先へ伸びていつて、こんどはそのむかし若い頃にえつをたまうたことのある唐の二世皇帝の威容を思ひうかべた。
春泥:『白鳳』第一部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
直ちに徳川将軍にえつし、大統領の国書を奉呈し、幕閣に向ってその談判を開くの要求を為し、しこうして幕閣はハリスにせまられ、同年七月を以て謁見応接の礼式を定めしめ
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
余が鈴索すゞなはを引き鳴らしてえつを通じ、おほやけの紹介状を出だして東来の意を告げし普魯西プロシヤの官員は、皆快く余を迎へ、公使館よりの手つゞきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
前年さきのとし牧之ぼくし江戸に旅宿りよしゆくの頃、文墨ぶんぼく諸名家しよめいかえつして書画しよぐわひし時、さきの山東庵には交情まじはりあつくなりてしば/\とふらひしに、京山翁当時そのころはいまだ若年なりしが、ある時雪のはなしにつけて京山翁いへらく
例えば信乃が故主成氏こしゅうしげうじとらわれをかれて国へ帰るを送っていよいよ明日は別れるという前夕、故主にえつして折からのそぼ降る雨の徒々つれづれを慰めつつ改めて宝剣を献じて亡父の志を果す一条の如き
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
〔評〕南洲弱冠じやくくわんの時、藤田東湖ふじたとうこえつす、東湖は重瞳子ちやうどうし躯幹くかん魁傑くわいけつにして、黄麻わうま外套ぐわいとう朱室しゆざや長劒ちやうけんして南洲をむかふ。南洲一見して瞿然くぜんたり。乃ち室内に入る、一大白をぞくしてさけすゝめらる。
かの美婦のえつには君子ももって死敗すべし。…………
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
吉宗が大統をうけてから、万太郎はまだ一度も新将軍にえつを賜っておりませんので、義通よしみちは、今日の拝賀をよいしおに彼をともなって来ております。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
余が鈴索すずなわを引き鳴らしてえつを通じ、おおやけの紹介状を出だして東来の意を告げし普魯西プロシヤの官員は、みな快く余を迎え、公使館よりの手つづきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
地下じげの一野人を、こう近々と召されるさえ、時なればこそである。のみならず、簾を捲かせて、えつを与え給うなどは、殿上にはない破格だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神戸信孝としては、秀吉が、尼ヶ崎まで来ていながら、大坂へ来て自分にえつらないことが第一の不満らしく
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
亜相あしょうはいまおいででないが苦しゅうあるまい。えつをとらせてやりましょう。きざはしの下に待たせておおきなさい」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後に思いあわせれば、宮にえつを賜わり、平家討伐の事や、諸国の源氏へ参加の令旨りょうじを下さる事など、夜もすがら頼政父子おやこと、しめし合せておられたかに思われる。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤吉郎は、さっそく義昭よしあきやかたへ出向いて、将軍家にえつを乞う——と、執事しつじの上野中務大輔なかつかさのたゆうまで申し出た。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「城中より侯成こうせいという大将がこうを乞うて出で、丞相にえつを賜りたいと陣門にひかえております」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で、機嫌のよい阿波守は、えつをゆるして、当座の手当を与えるように近侍きんじへいいつけた。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
旗本の子弟がたくさん陪席ばいせきに招かれて来ていた。親どもは、こういうしおにわが子を将軍のえつに進めておくことは、一生の栄達のいとぐちになると考え、武技の上覧を、側衆まで伺い出た。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
からくも人見又左があいだを取って、ていよく、光圀のまえを退さがったが、心中安からぬ思いはぬぐうべくもない。とうとう、ひそかに光圀の父頼房にえつうて、ありのままを訴えた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帝は、自身の虜囚りょしゅうの姿などを、人目にさらすのは、極度に嫌ッておいでだった。従来、探題の北条仲時や時益へも、じかにえつを与えられたことはない。すべて二人の伝奏でんそうに依っている。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その移転わたましの式の日、頼朝のいでたちは水干すいかんに騎馬で、前後左右、おびただしい武者を従え、新館の寝殿(正殿)にはいると、美しき御台所とならんで、出仕の武士三百余人に、えつを与えた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と命じて、龍床から一同のものへ最後のえつを与えた。そしてまた
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、三人づれの旅僧が、番兵を通じて、えつを求めて来た。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
将軍家は、破天荒はてんこうな例外として、藤吉郎にえつをゆるした。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわちえつを与えて、玄徳は、張翼を重く賞した。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤孝父子は、すぐ秀吉にえつを求めて
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)