“舎人:とねり” の例文
“舎人:とねり”を含む作品の著者(上位)作品数
吉川英治14
山本周五郎4
紫式部3
森鴎外3
折口信夫2
“舎人:とねり”を含む作品のジャンル比率
文学 > 日本文学 > 小説 物語0.8%
文学 > 日本文学 > 小説 物語(児童)0.3%
文学 > 日本文学 > 評論 エッセイ 随筆0.1%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
庄内しょうないの酒井家の臣、加藤宅馬たくまと松平舎人とねりの二人が、ふと客間の書院で、耳をそばだてて訊ねた。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
門跡に事へた候人は、音読してこうにんとも言うたが、元はやはりさむらひゞとで、舎人とねりを模した私設の随身ズヰジンである。
国文学の発生(第二稿) (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
その歌詞うたことばを耳に聞いていた時である、武蔵の眼は、太鼓の座に、太鼓をたたいている舎人とねりの手をじっと見ていたが、
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実家へ遊びに行って、帰りそびれているのだろうと、召次の舎人とねりに聞きあわせると、実家にお帰りはなかったという。
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
庭では、松原多仲と岩瀬舎人とねりが、足軽をよんで来て、大きな籠へ鶴を入れてしまおうとするらしく、追い廻していた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
供奉ぐぶには、六衛府ろくえふの公卿、近衛の騎馬、舎人とねり仕丁しちょうから、窪所くぼしょの侍までみな盛装して従った。
供は村山喜兵衛、矢崎舎人とねり、辻村平六、そして成瀬久馬の四人、べつに挾箱はさみばこと献上品を運ぶために、小者が三人ついた。
「矢崎舎人とねりは家禄召し上げ、領内追放ということにきまった、にもかかわらず原田は顔色も変えなかった」
と、蒼惶そうこうとして奥へはいり、社家の雑掌ざっしょう舎人とねりを集めて、何か鳩首して相談をこらしているらしく思われる。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「鎌倉殿から拝領なされたとかで、この毛艶けつやはどうじゃ、馬品の美しさよ、などと舎人とねりどもまで誇らしげに自慢しておりました」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真淵は此一首を、舎人とねりの作のまぎれ込んだのだろうと云ったが、舎人等の歌は、かの二十三首でも人麿の作に比して一般に劣るようである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
片倉隼人が甲斐をみちびいていったのは、邸内の家従長屋の一軒で、もと矢崎舎人とねりの住んでいた家であった。
「む。院の舎人とねりに物をくれてたのうだら、中門のみずの裾の木立に忍ばせてくれた程に」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲斐が「席次争い」の騒ぎを知ったのは、矢崎舎人とねりの裁きがあって、十日ほど経ったのちのことであった。
廊の外で声がした。夜殿よどのの諸所を戸じまりに廻る六位ノ蔵人くろうど舎人とねりのようであった。
——支度が終るとすぐ、矢崎舎人とねり、辻村平六の二人を供に、宇田川橋の伊達兵部邸へゆき、そこから兵部と共に、乗物で酒井雅楽頭の本邸へいった。
その後から又二人、馬の歩みに遅れまいとしていて行くのは、調度掛と舎人とねりとに相違ない。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
女にはどうして勝負が決まるのかも知らぬことであったが、舎人とねりまでがえんな装束をして一所懸命に競技に走りまわるのを見るのはおもしろかった。
源氏物語:25 蛍 (新字新仮名) / 紫式部(著)
それを、彼は今、はっと受け取ったのである。神楽殿の上で、太鼓をたたいている舎人とねりの二本のばちの手——二刀の真理をその音に聞いたのだった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左近衛府さこんえふ舎人とねりたちへは等差をつけていろいろな纏頭てんとうが出された。
源氏物語:25 蛍 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「おや/\あれが皇子さまであつたのか。俺はえらいことをした。」と、おぢいさんは心のうちに思ひました。そのとき一人の舎人とねりがやつて来て、申しました。
拾うた冠 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
天皇はすべてのことをお聞きになりますと、鳥山とりやまという舎人とねりに向かって、
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
召次侍めしつぎざむらい舎人とねりなどにもまた過分なものが与えられたのである。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
舎人とねりの小黒が、あわてて駈けだしてきて、手綱をおさへる。そして何か言つた。
春泥:『白鳳』第一部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
矢崎舎人とねりが云った。彼は喜兵衛よりずっと若く、まだ二十一歳であった。
それは先刻さっき帰った客の——加藤宅馬、松平舎人とねりの二人が発案で、物置小屋の隠れたる名工、山浦内蔵助を世に出すために、武器講という会を立てようというのであった。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忠三郎は舎人とねりの弟で十五歳、十内は松原十右衛門の子で十六歳だった。
その日、湯島へは矢崎舎人とねりと中黒達弥、それに塩沢丹三郎が供をした。
夢は夢に過ぎなかったが、彼が前殿の廊で仆れていたのは事実であった。孔明はその朝、常より早めに軍師府へ姿を見せていたが、舎人とねりから噂を聞いて、すぐ漢中王の内殿を訪れた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宮廷におかせられては、御代みよ御代の尊い御方に、近侍した舎人とねりたちが、その御宇ぎょう御宇の聖蹟を伝え、その御代御代の御威力を現実に示す信仰を、諸方に伝播でんぱした。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
「あいや、御岳みたけ舎人とねりたちに申しあげる。狼藉者ろうぜきものは手まえの友人ゆえ、このほうにて取りおさえますから、しばらくの間、そのご神縄を拝借はいしゃくいたします」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、さらに著しいのは天智てんじ天皇崩御後における壬申じんしんの乱において、身分の低い舎人とねりや地方官をのみ味方とする天武天皇の軍が、大将軍大貴族の集団たる朝廷方を粉砕したことである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
はじめは、数名の嗚咽おえつだったが、しだいに、廊の左右からきざはしの下にまで、敷波しきなみにヒレ伏していた公卿や舎人とねりにいたるまでの、すべての人影のむせごえになっていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三日目の夜は大蔵卿おおくらきょうを初めとして、女二の宮の後見に帝のあてておいでになる人々、宮付きの役人に仰せがあって、右大将の前駆の人たち、随身、車役、舎人とねりにまで纏頭てんとうを賜わった。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
と、殿上でも、舎人とねり蔵人くろうどたちが風にもてあそばれ、てんてこ舞いな姿だった。雨のないのがまだ見つけもので、木の葉まじり、大屋根の檜皮ひわだまでが空に黒いチリのつむじを描きぬいている。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小次郎は立ちくたびれて、輦宿の横の棟をのぞいてみると、そこには、それぞれの主人に供して来た牛飼やら舎人とねりたちが、十人以上も、たむろしていて、なにか、血眼をひとつむしろに寄せあっていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「めッそうもない。じつはその折、わが眼の前ですぐいたせとの大御所の仰せつけに、やむをえず、公卿三名と、舎人とねり雑色ぞうしきなど七、八名をかこいから解いて、お座所の内へ入れたような次第でして」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真先にはむかしながらの巻毛の大仮髪おおかずらをかぶりたる舎人とねり二人、ひきつづいて王妃両陛下、ザックセン、マイニンゲンのよつぎの君夫婦、ワイマル、ショオンベルヒの両公子、これにおもなる女官数人したがえり。
文づかい (新字新仮名) / 森鴎外(著)
近衛府このえふの有名な芸人の舎人とねりで、よく何かの時には源氏について来る男に今朝も「そのこま」などを歌わせたが、源氏をはじめ高官などの脱いで与える衣服の数が多くてそこにもまた秋の野のにしきの翻る趣があった。
源氏物語:18 松風 (新字新仮名) / 紫式部(著)
真先まさきにはむかしながらの巻毛の大仮髪おおかずらをかぶりたる舎人とねり二人、ひきつづいて王妃両陛下、ザックセン、マイニンゲンのよつぎの君夫婦、ワイマル、ショオンベルヒの両公子、これにおもなる女官数人したがへり。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その意気ごみから見ても、いかに彼が、貞盛という賢くて陰性な敵にたいして、日頃から、いや都に舎人とねり奉公していた弱冠のむかしから、心中の怒りを抑えていたか、また、近年の憤怒をつつんで密かに今日の機会を待っていたことかが、察しられる。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青い葉の菖蒲に紫の花が咲いているのを代赭たいしゃ色の着物を着た舎人とねりが持って行く姿があざやかであるとか、月の夜に牛車に乗って行くとそのわだちの下に、浅い水に映った月がくだけ水がきららと光るそれが面白い、と清少納言の美感は当時の宮廷生活者に珍しく動的である。
——と、もう濁流にせかれる花と泡沫うたかたの明滅みたいに、白い素足やら夜風のなかの被衣かずき、また、みだれにまかす黒髪などが、むかし薔薇園しょうびえんとよばれた六波羅北苑ほくえんの木戸から東山のほうへ落ちて行き、それには一部の公卿と大勢の舎人とねりなども付いて行った。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時平が重くて美しい肩の荷物を持て扱いながら、あえぎ/\車のきわまで辿たどり着くと、雑色ぞうしき舎人とねりたちが手に/\かざす松明たいまつの火のゆらめく中で定国や菅根やその他の人々が力を添え、両側からすくい上げるようにして辛うじてその嵩張かさばるものを車へ入れた。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
無政府党事件としては一番大きい Juraユラ の時計職人の騒動も、この人が煽動せんどうしたのだ。瑞西スウィスにいるうちに、Bernベルン で心臓病になって死んだ。それからクロポトキンだが、あれは Smolenskスモレンスク 公爵の息子に生れて、小さい時は宮中で舎人とねりを勤めていた。
食堂 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのお糝粉ただ糝粉とは云ふものゝ決して昔のやうな正面へドデンと白い山脈のやうなものが据えられ、その前へ赤、青、緑、黄、黒、時として金、銀までの小さな色糝粉の舎人とねりのごとくとあしらはれてゐるものではなく、一めんの黙々と白い、巨いなる固まりの、さうしてまことに一も二もなくたゞそれつきりのものだつた。
下町歳事記 (新字旧仮名) / 正岡容(著)
それは陛下のお座所から諸殿の廊下にまでともされる毎晩の百目蝋燭は一本百匁以上もある大きな物であり数も相当な消費になるが、やがて陛下がご寝所にお入りになると、むかしで言う舎人とねりのような下級宮内官吏が、蝋燭バサミと黒塗りの鑵のような物を提げて、その一本一本のとぼし残りをふッと吹いては鑵に入れて消して廻る。
美しい日本の歴史 (新字新仮名) / 吉川英治(著)