愛玩あいがん)” の例文
西人のわが草木を愛玩あいがんし、わが草木を貴重するは、実に先生より始りました。先生の功は、まことにさかんなるものではありますまいか。
禾花媒助法之説 (新字新仮名) / 津田仙(著)
けれどよく見ると、それは地中海からあげたのままとも思われない品、加工したあとがある。何かの品として愛玩あいがんされたらしい手艶てづやがある。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いい陶器とうきというものは、こんなくるしみをえなければ、愛玩あいがんができないものか。」と、殿とのさまはうたがわれたこともあります。また、あるときは
殿さまの茶わん (新字新仮名) / 小川未明(著)
赫子の義兄大川宗三郎氏の陰影の深い耽美的たんびてき作品に傾倒して居た私が大川氏の愛玩あいがんすると評判高い赫子に多くの価値を置こうとするからだった。
鶴は病みき (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しかし廷臣一般の詠んだ種々の体は、院の御心からすれば、手にとって愛玩あいがんなさる様々な光沢の玉のごときものであった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
晩年あまり外出せぬようになってからは、楽しげに愛玩あいがんすると聞いて、知人が一つ二つ持って来て下さる事もありました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
ただしはまたみずからもああいう美しいものを愛玩あいがんしていた時代が一度はあって、後ようやくに、寒い大きな島に移って行き
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私は日常応接する森羅万象しんらばんしょうに親しみを感じ、これを愛玩あいがんしては、ただこの中にプレイしているのだと思っている。
亡び行く江戸趣味 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
器をつことと器を愛することは同じ意味である。愛なくば有たないのだとも云えるであろう。工藝は自ら愛玩あいがんせらるべき性質を帯び、賞味せらるべき性情をかねる。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
春琴は明治十九年六月上旬より病気になったが病む数日前佐助と二人中前栽なかせんざいに降り愛玩あいがん雲雀ひばりかごを開けて空へ放った照女が見ていると盲人の師弟手を取り合って空を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
観賞植物として現代の都人にでも愛玩あいがんされてよさそうな気のするものであるが、子供のときうちの畑で見たきりでその後どこでもこの花にめぐり合ったという記憶がない。
糸車 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
二人の言う処はいずれにしても江戸の声曲を骨董的こっとうてき愛玩あいがんするという事に帰着するのである。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
父はその年始めて誰かから朝貌あさがおを作る事を教わって、しきりに変った花や葉を愛玩あいがんしていた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
無論家宝として高橋君の愛玩あいがんかざる光広みつひろさく千匹猿せんびきざるつばもどこへ往ったか判らなかった。
千匹猿の鍔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
片岡君は人生最後の酒を酌む為めに愛玩あいがんの逸品を使ったのである。それをったのだから無論誠意はあった。のみならず今回は思い立つ日が元日に当る。これぐらい吉日はない。
一年の計 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
自分は今この二品ふたしな琴樋ことひの裏に貼紙をなしてわたしの日頃愛玩あいがんせることを記しおきければ、やがて、その人にりて、これを知らるるでありましょう、これは今より確言かくげんをしておきます……
二面の箏 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
これから僕ひとりきりで思う存分に愛玩あいがんしようという気持は(何故なぜなら村の人々はいま夏場の用意にいそがしくて、そんな花なぞを見てはいられませんから)何ともいえずにさわやかで幸福です。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
衣帯正しく端然として膝に手をいてじっともの思いに沈んだが、かりものの経机をそばに引着けてある上から、そのむかしなにがし殿でんの庭にあった梅の古木で刻んだという、かれ愛玩あいがん香合こうごうを取って
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
新仏にいぼとけといっしょに檀家だんかから菩提寺ぼだいじへ納めてくるいろいろの品物には、故人が生前愛玩あいがんしていたとか、理由わけがあって自家うちには置けないとか、とにかく、あまりありがたくない因縁ものがすくなくない。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
たまたまそれを取り上げて愛玩あいがんし加工し、また授受するような時世になっても、その説話は必ずしもひろく伝わらず、もしくは誤解と誇張とを伴って世に残った。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「味わう」とか「愛玩あいがんする」とかに止まらず、何がそれを美しくさせたか。いかなる領域からその美が発しているか。誰の手が作りなしたか。何がその資材であるか。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
さかずき持つ妓女ぎじょ繊手せんしゅは女学生が体操仕込の腕力なければ、朝夕あさゆうの掃除に主人が愛玩あいがん什器じゅうきそこなはず、縁先えんさきの盆栽も裾袂すそたもとに枝引折ひきおらるるおそれなかりき。世の中一度いちどに二つよき事はなし。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
彼はまた湯鑵に新しく水を入れて来て火鉢の火を盛んにした。湯の沸く間に、彼は彼の唯一の愛玩あいがん品の南蛮なんばん製の茶瓶ちゃびんひざに取上げて畸形きけいの両手で花にでも触れるやうに、そつとでた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
しにく我心にとって誠に心よくないから、実はわたしにとっては何とも心もとないことだが時節なれば致方いたしかたないと諦めて過日すぐるひは日頃愛玩あいがんの琴二面を人手に渡して、ここに金が六十円出来た
二面の箏 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
外套がいとうの裏は繻子しゅすでなくては見っともなくて着られないと云ったり、りもしないのに古渡こわたりの更紗玉さらさだまとか号して、石だか珊瑚さんごだか分らないものを愛玩あいがんしたりする話はいまだに覚えていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
すべてこれらは、有閑なさい夫人の物ずきがあつめた愛玩あいがんの誇りらしい。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春信はみずから役者似顔絵を描かずと称し、もっぱら美人を描きまたこれに配するに美貌びぼう若衆わかしゅを以てせり。余の最も愛玩あいがんあたはざるものはすなわちこれら年少相思の男女を描けるものとす。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
もし美の問題を過去の歴史に止めるなら、それはただ愛玩あいがん的な鑑賞に止ってしまう。私たちにとって大切なのは、むしろ新作品への準備である。進んではその生産であり発展である。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
だが、その美しさには雪子も呆然ぼうぜんとして息を吐いた。父は梅麿を自分の蒐集物しゅうしゅうぶつ愛玩あいがん品の中に数へ、しかもその中で最も気に入つた一つのものゝやうに、書斎で、庭で、二人は大概一緒だつた。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
梅モドキは要するに市中の愛玩あいがん用で、こんな広々とした村の庭に植えて置いて、赤い実に日のあたる美しさを眺めよう、鳥も呼び寄せて楽しもうなどという、虫のよいことを考えたのが誤りだった。