御車みくるま)” の例文
御車みくるままへふんをするといかんといふので、黒胡麻くろごまを食べさせてふんの出ないやうにするといふ、牛も骨の折れる事でございます。
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
「これは、中宮のお実家方さとがたに、俄な御病人が出来たため、夜もいとわせ給わず、おん見舞にまかられる御車みくるまです。——列を遠くにお開きなさい」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
 寛平くわんびやう法皇此事をきこしめして大におどろかせ給ひ、御車みくるまにもめし玉はず俄に御くつをすゝめ玉ひて清涼殿に立せ玉ひ、かくと申せとおほせありしかども左右の諸陣警固けいごして事を通ぜず
今出川いまでがわ大納言だいなごん様の御屋形から、御帰りになる御車みくるまの中で、急に大熱が御発しになり、御帰館遊ばした時分には、もうただ「あた、あた」と仰有おっしゃるばかり、あまつさえ御身おみのうちは
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
美しい膳部を院の御車みくるまへ運び続けるのが布衣ほいたちには非常にうらやましく見られた。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
叡山の衆徒は感奮し、大塔宮様ともどもに、車駕しゃがを西塔に迎えたてまつり、おりから攻めよせて来た佐佐木時晴の、六波羅勢を打ち破ったが、その時心ない山風が吹いて、御車みくるますだれひるがえした。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかも筒井を迎えに行った春の渡舟に、つやのいい御車みくるまうしが一頭乗せられ、ゆっくりと船頭はをこぎながら、皆さん大声を出さないでくれ、牛が喫驚びっくりすると川にはまるから頼みますぞと呶鳴どなった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
待つにあらず待たぬにあらぬ夕かげに人の御車みくるまただなつかしむ
恋衣 (新字旧仮名) / 山川登美子増田雅子与謝野晶子(著)
御車みくるまに牛かくる空やほととぎす
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
ゆえに、都をかの地へおうつしあるように望みます。——すでに、遷都せんと儀仗ぎじょう御車みくるまも万端、準備はととのっておりますから
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みな白錦しろにしき御旗みはたでございます。つるぎやうなものもいくらもまゐりました。うち御車みくるま曳出ひきだしてまゐりまするを見ますると、みな京都きやうとの人は柏手かしはでを打ちながら涙をこぼしてりました。
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
 寛平くわんびやう法皇此事をきこしめして大におどろかせ給ひ、御車みくるまにもめし玉はず俄に御くつをすゝめ玉ひて清涼殿に立せ玉ひ、かくと申せとおほせありしかども左右の諸陣警固けいごして事を通ぜず
現に内裡だいりの梅見の宴からの御帰りに、大殿様の御車みくるまの牛がそれて、往来の老人に怪我させた時、その老人がかえって手を合せて、権者ごんじゃのような大殿様の御牛みうしにかけられた冥加みょうがのほどを
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
院の御車みくるまには紫夫人と女御をいっしょに乗せておいでになって、次の車には明石夫人とその母の尼とが目だたぬふうに乗っていた。それには古い知り合いの女御の乳母めのとが陪乗したのである。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
御車みくるまの中に坐せられたは、主上にはおわさで師賢もろかたであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そこで、一夜、李楽が手下をつれて、また、村へ酒や女を捜しに行った留守の間に、かねて計り合わせていた朝臣や侍側の将たちは、にわかに御車みくるまをひき出し
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところかずなりません落語家社会はなしかしやくわいでも、三いうしや頭取とうどり円生ゑんしやう円遊ゑんいうまうしまするには、仮令たとへ落語家社会はなしかしやくわいでも、うか総代そうだいとして一名は京都きやうとのぼせまして、御車みくるまをがませたいものでござりますが
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
讃岐さぬきへ流されてい、これで院(上皇)を犬と呼んだり矢を射るなどの大不敬を酔興すいきょうにやった武士どもの御車みくるま暴行事件はひとまずかたがついたようなものだった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「不日、二夫人の御車みくるまを推して、この内院を立ち去るであろう。物静かに、打立つ用意に取りかかれ」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帝は、驚愕して、座を起たれ、皇后の御手を取って、皇居の裏から御車みくるまにかくれた。侍衛の人々、文武の諸官、追うもあり、残るもあり、一時に混雑に陥ちてしまった。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だから当然、みかどの臨幸りんこうを約していた北山の西園寺家では、御車みくるま迎えの清掃にチリもとめぬ用意をととのえ、やがて夏の陽あしもひぐらしの声に涼めきそめる頃ともなれば
「太守徐栄じょえいは、相国のため道を開き、帝の御車みくるまをお迎えして、ここに殿軍しんがりなすと聞いたので、安心して参ったが、さては裏切りしたか。その分なれば、踏みつぶして押し通れ」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わざわざ御車みくるまをおむけになったのも、能登のと加賀かが出雲いずも伯耆ほうき伊予いよ播磨はりま下毛野しもつけ武蔵むさしなどの御料の牧の若駒どもが、加茂の五月をまえに、ぞくぞく都へひかれて来たので
「ええ、おひそかに、御車みくるまで皇居を出られ、途中で輿こしにお乗り換えあって、叡山へ、というお手順とか。いずれお姉宮へも、武者どもが輿を持ッて、お迎えにやってまいりましょう」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いうまでもなく、これは天皇後醍醐の御車みくるまだった。——敵を計るには味方を計れと、衛門えもんの兵にすらも覚られぬように、動座のご一歩を、まずはつつがなく踏み出されたものである。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それとともに、いかなる貴人の御車みくるまを見たのであろうか。あたふたと、上西門院の、門のまぢかへと、大股おおまたに歩み去った。忠正はそこで、牛車くるまにむかい、礼をしている様子であった。
となえ、また高氏もそれを称揚して、共々、れの御車みくるま迎えに来ていたのだった。
らすまじと、御車みくるまのうちでせぐりあげている苦しそうなお忍び泣きも、ありあり外にまで洩れ聞えていた。——で従者たちもみな、もらい泣きして、地に嗚咽おえつをこらえているのだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はや、夕風。まだ御車みくるまが着かぬとはおかしいぞ。ぞ、路地をみてまいれ」
「やあ、推参すいさんな。これは院の御車みくるま、院の御幸ごこうなるぞ」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御車みくるまでなく、鳳輦ほうれんだった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おうえ。はや御車みくるまへ」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)