れう)” の例文
それは判りませんが——何でも其前の晩は珍らしく番頭さんも重三さんもれうへ泊つて、朝はお二人にお孃樣と坊ちやまと四人で御飯を
念佛ねんぶつにごつたこゑあかるくひゞいた。地上ちじやうおほうたしも滅切めつきりしろえてれうにはてられた天棚てんだな粧飾かざりあかあをかみ明瞭はつきりとしてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
いけちん小座敷こざしきれうごのみで、その棟梁とうりやう一度いちど料理店れうりてん其處そこひらいたときのなごりだといた。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
金を石つころほどにも思はぬ人達のれう妾宅せふたくなど、不氣味な靜けさと、目に餘る贅澤さで、町家に立ちまじつて五軒十軒と數へられます。
與吉よきち紙包かみづゝみの小豆飯あづきめしつくしてしばらくにはさわぎをたがれううち㷀然ぽつさりとして卯平うへい見出みいだして圍爐裏ゐろりちかせまつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
つまさせ、てふ、かたさせ、ときますなかに、くさですと、そこのやうなところに、つゆ白玉しらたまきざんでこしらへました、れう枝折戸しをりどぎんすゞに、芥子けしほどな水鷄くひなおとづれますやうに、ちん、ちん……とかすか
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
此處ここは人の出入りがはげしくて、とても見張つては居られませんから、二十四日の晩からお糸は向島のれうへやつて置くつもりです。
とき幾多いくた民家みんか猶且やつぱり非常ひじやう慘害さんがいかうむつて、村落むらすべては自分じぶんしのぎがやつとのことであつたので、ほとんど無用むようであるれう再建さいこんかへりみるものはなかつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
うまく持ちかけた八五郎の誘ひもはぐらかされて、仕樣ことなしに、八五郎一人だけ、佐渡屋のれうに面目次第もない顏を持込んだわけです。
社家しやけとも寺とも、れうともつかぬ門構へ、百壽園と船板の看板、洒落しやれたやうな、氣障なやうな、異樣な構への家に、八五郎は案内したのです。
「俺にも解らねえ、二日でも、女護の島見たいなれうに引止められて居たんだから、手前てめえも少しは智惠が付いたらう。何とか此先を考へてみな」
眞つ直ぐに兩國へかゝると、橋のたもとで何處かの小僧さんが待つて居て、『増屋の主人が小梅こうめれうに居るから、其方そつちへ持つて行くやうに』といふ傳言ことづてです
追ひ廻してゐましたよ。店には若い者がいつでも五六人はゴロゴロしてゐますからね。私達がれうへ來ることになつたのは、そのせゐだつたかも知れません
「八、もう一度青葉のれうへ行つて見ようか。いろ/\厄介なことの起るのは、矢つ張りあの邊が火元らしいぜ」
その日、娘のお糸を護つて向島のれうの警戒は、物々しいと言はうか、大袈裟おほげさと言はうか全く話になりません。
平次と八五郎は、扇屋のれうの隣り、花時は團子も賣る、しもた屋作りの家を訪ねました。
れうの玄關には、大きい鈴がブラ下がつて居りました。その頃では珍らしい試みで、成程『鈴屋敷』だと思ひ乍ら、二つ三つガランガランとやると、玄關の障子がなめらかに開いて
大家たいけれうの裏手らしい黒板塀くろいたべいの潜りが開いて、若い女が小手招ぎをして居ります。
それからもう一度れうに取つて返して、其處に居る者に一と通り會つて見ました。
「お孃樣と坊ちやまがいらつしやる、根岸のれうに」