一刹那いっせつな)” の例文
一寸法師は、お花に正面から見つめられて、一寸ちょっとたじろいだ。彼の顔には一刹那いっせつな不思議な表情が現れた。あれが怪物の羞恥しゅうちであろうか。
踊る一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その瞬間、おのを手にしてドアの陰に立っていたあの数日前の一刹那いっせつなが、恐ろしいほどはっきりした実感として記憶によみがえった。
この一刹那いっせつなの哀楽をいつまでも逃がすまいと二人で取り縋っているかのように、砕けるばかりに抱き合った。厳として存する谿谷の掟。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
健三も一刹那いっせつなにわが全部の過去を思い出すような危険な境遇に置かれたものとして今の自分を考えるほどの馬鹿でもなかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
長吉はその後姿うしろすがたを見送るとまた更に恨めしいあの車を見送った時の一刹那いっせつなを思起すので、もうなんとしても我慢が出来ぬというようにベンチから立上った。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
突きあたった一刹那いっせつなに感じたところでは、熊のような長い毛が一面に生えているらしかったというのである。
馬妖記 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
失望落胆らくたんに沈んでいる時にも、もしこれがソクラテスじいさんであったら、この一刹那いっせつな如何いかに処するであろう、と振返って、しずか焦立いらだつ精神をしずめてみると
ソクラテス (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「ワン」「ツー」「スリー」の号令とともに、一思いにドブンと、海中に投げ込まれようとした一刹那いっせつな
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
燃え上っている大きなほのおの中のたきぎのように、わたくしはあなたが用捨ようしゃもなく、未来に残して置かねばならないはずの生活までを、ただ一刹那いっせつなの中に込めて、消費しておしまいなさるのを
葉子は一刹那いっせつなの違いで死のさかいから救い出された人のように、驚喜に近い表情を顔いちめんにみなぎらして裂けるほど目を見張って、写真を持ったまま飛び上がらんばかりに突っ立ったが
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
勿論もちろん男の憎い事などは産が済んだ一刹那いっせつなに忘れてしまった自分は、世界でこの刹那に一大功績てがらを建てたつもりですから、最早如何なる憎い者でもゆるしてやるといったような気分になります。
産屋物語 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
純一がはっと思って、半醒覚はんせいかくの状態にかえったのはこの一刹那いっせつなの事であった。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかもそれが一刹那いっせつなひらめくことがあっても次の瞬間にはすでにえてしまっている。いわゆる前方をとざしてわだかまるのは常闇とこやみである。一刹那の光はむしろ永劫えいごうの暗黒を指示するが如くに見える。
彼は彼自身の眼を疑うように、一刹那いっせつなは茫然とたたずんでいた。が、たちまち大刀を捨てて、両手に頭を抑えたと思うと、息苦しそうなうめき声を発して、いとを離れた矢よりも早く、洞穴の外へ走り出した。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼池のほとりの一刹那いっせつなを思うては、戦慄せんりつせずには居られません。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
芝居じみた一刹那いっせつなが彼の予感をかすかにゆすぶった時、彼の神経の末梢まっしょうは、眼に見えない風になぶられる細い小枝のように顫動せんどうした。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼は一刹那いっせつな、弓のように身を縮めたかと思うと、たちまち一発の巨大な弾丸となって、熊を目がけて飛びかかっていった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
軽い戦慄せんりつが姫の体を一刹那いっせつな走ったと思ったが、観念した姫は悪びれもせず、盃を受けていただいた。正に唇を着けようとする。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
第一の小説は今を去る十三年の前にあったことで、これはほとんど小説ロマンなどというものではなくて、単にわが主人公の青年時代の初期の一刹那いっせつなのことにすぎない。
一刹那いっせつなの間お玉だと思った事がある。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那いっせつなが苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
覗きからくりの絵板が、カタリと落ちた様に、一刹那いっせつなに世界が変ってしまった。庄太郎しょうたろうはいっそ不思議な気がした。
灰神楽 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
彼女の心から一刹那いっせつな悲しみの影が消え去った。身も心も痲痺しびれようとした。「死んでもよい」という感情が、人の心へ起こるのは、実にこういう瞬間である。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この変化は実に一瞬の間に、一刹那いっせつなに生じたことである。
その笑顔がまた変に彼の心に影響して来る事も彼にはよく解っていた。彼女は一刹那いっせつなひらめかすその鋭どい武器の力で、いつでも即座に彼を征服した。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一刹那いっせつな、私はまぼろしを見ているのではないかと疑いました。事実私の神経は、それ程病的に興奮していたのですから。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
すさまじい微笑が一刹那いっせつな多四郎の頬に浮かんだが、山吹の顔をジリジリと上の方へ向けようとする。二人の顔が合った時多四郎は突然自分の顔を山吹の顔へ落としかけた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一刹那いっせつな、死んだ弘子の写真ではないかと感じたほど、この歌姫は、彼のかつての恋人とうり二つであった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
群集は一刹那いっせつな静かであった。思いもよらない出来事のために物を云うことさえ出来なかったのだ。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
余が視線は、蒼白あおじろき女の顔の真中まんなかにぐさと釘付くぎづけにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯たいくせるだけ伸して、高いいわおの上に一指も動かさずに立っている。この一刹那いっせつな
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一刹那いっせつな、この世の視野の外にある、別の世界の一隅いちぐうを、ふと隙見すきみしたのであったかも知れない。
押絵と旅する男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
すると館の音楽は忽ちハタと音を停めて、人声さえも静まったが、その静けさも一刹那いっせつな、忽ち聞こえる横笛の音。それに続いて鼓の音。その囃子はやしさえ一しきり、さびのある肉声の歌うを聞けば
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
もうどう焦慮あせっても鼓膜こまくこたえはあるまいと思う一刹那いっせつなの前、余はたまらなくなって、われ知らず布団ふとんをすり抜けると共にさらりと障子しょうじけた。途端とたんに自分のひざから下がななめに月の光りを浴びる。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
幾千年、幾万年、お前たち、空も森も水も、ただこの一刹那いっせつなの為に生き永らえていたのではないか。お待ち遠さま(!)さあ、今、私はお前達のはげしいねがいをかなえて上げるのだよ
火星の運河 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
千百の顔が、一刹那いっせつなハッと色を失って思わず舞台の上から眼をそらした。次に起こるべきあまりにもむごたらしい光景を、正視するに忍びなかったのだ。婦人客は両手で眼をおおった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一刹那いっせつな、私の目には、背景が空ばかりだったためか、それが、非常に大きな異形いぎょうのものに見えた。しかし、次の刹那には、それは、ものなどよりはもっと恐しいものであることが分った。
毒草 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)